『悪戯と歓迎と』










「髪が、伸びたな」

 ぼうっとしていたところに、急に声をかけられ思わず過度に反応してしまった。
 声の方に振り向くと、そこには中忍試験のための話し合いにきた砂の上忍の姿がある。

「…テマリ」
「…おいおい。随分と上の空だな…。暗部最強が聞いて呆れる」

 心底呆れました、というように肩をすくめた砂の忍。
 いささか腹がたって、眉間に皺が寄る。かつての同期である下忍仲間が、一部を除いて決して知ることのない、暗部最強の忍の顔が現れる。

「そろそろ貴女とは決着をつけたほうがよろしいですか?」
「まさか。私はこんなところで道草食っている暇はないんだ。さっさと用事を終わらせてしまうよ」
「あら、砂最強と謳われた貴女が、敵意を持つ者を前にして逃げるというの?」
「こんな場所で決着をつけるほど、私たちの戦いは安くないだろう? それに、今なら確実に私が勝つぞ?」
「…自惚れていますね」
「何とでも言え。だがな、ヒナタ」

 くくっと、人の悪い笑みを浮かべて、テマリはヒナタの耳元に口を近づける。
 次に出した言葉は、今の彼女にとっては大きな爆弾。

「ナルトが帰ってくるのだろう?着替えておいたらどうだ?」
「―――っっ!!!!!!!!!」
「髪も、折角それだけ伸びたんだ。編んでやろうか? ああ。いっそ化粧してみたらどうだ?」
「て、テマリ!!!!!!!!!」
「久方ぶりの再会だ。部屋でも予約しておこうか?」
「テマリ!!!!!!」
「あ、それはもうしといた」

 大音響で叫んだヒナタの声に、新しい声がかかった。黒髪を頭のてっぺんで束ね、背中を丸く縮めた、面倒臭がりの暗部仲間。それからテマリの恋人。
 あまりにもあっさりとしたシカマルの言葉に、一瞬ヒナタは言葉の意を掴み損ねる。

「な!! …え!!?」
「ふむ。用意がいいな。では私はヒナタを小奇麗に仕込もうか」
「テマリ?! シカマル!?」

 叫ぶ少女の声は2人に全く届かず、少女は呆然とテマリに引きずられた。
 うずまきナルトの帰還する日の、朝のことだった。








 へへ、と笑って、鼻をこする。目の前にはあまりにも懐かしい我が故郷。はっきり言って嫌な思い出の方が格段に多いが、それすらも今は気にならない。ナルトはここで生まれ、育った。

「2年半振りぐらい…か」

 里を離れ、世界に出た。自来也という足かせはついていたが、それは全く気にならなかった。うずまきナルトではなく、暗部所属の翔雪(しょうせつ)という本性を見せてからも、彼とは結構うまくやってきた。
 故郷とは違う世界。未だ戦乱の渦中にある国々や逆に平和を楽しむ国々。ほんの少し木の葉を離れてみれば、そこはあまりにも木の葉とかけ離れていた。

「全然変わらないってば」

 感慨深げに頷く。
 例えそこにある思い出がどんなに苦しくても、どんなに辛くても、それでも、この地は己の故郷なのだ。
 そわそわと弾む気持ちを抑えきれず屋根の上を駆ける。
 遠くに見えるは栄えある火影岩。新たに綱手の顔も加わっている。懐かしい己の家も見えた。一楽、公園、アカデミー…どれもこれも懐かしい。

 そして何よりも。
 至るところに散在する懐かしい気配。当たり前の事だが、2年半ぶりに感じるもの。

「カカシ先生!」

 一番近くの懐かしい気配。
 走りよって声をかけたら、2年半ぶりだというのに全く変わらない上司の姿。
 そして、次に見つけたるは懐かしい下忍第7班の仲間だ。桃色の髪を肩口まで伸ばしたりんとした背中。荒んだ子供時代を送ったナルトにとって、当たり前の世界の幸せな家族の象徴でもある春野サクラは、今も昔も変わらぬ憧憬の対象だ。嬉しくなって声をかける。気配で分かる。2年半前より、ずっとずっと成長している。あの頃よりずっと強くなっている。もっとも、自分や三忍には及ばないだろうし、精々が中忍以上上忍以下といったところであろう。それでも彼女が伸びる余地はいくらでもあるし、まだまだこれからだ。

 嬉しくて、嬉しくて、更に周囲の気配を模索したところ、懐かしすぎる気配がした。その気配は何故か屋根の上を疾走していて、更には風の如くナルトの元へ降り立った。

 音もなく突然現れた人物に唖然とする面々。
 それくらいに密やかで、そのくせひどく大胆な登場の仕方だった。
 何故ならナルトとサクラの間を分断するようにして降り立つと同時に、どこから取り出したのか常識外れの大風呂敷をナルトに巻き付けそのまま担ぎ上げたのだ。

「はぁっ!!?」
「ちょ、え、えええっっ!?」

 驚く面々には構わず、その人物は面倒臭そうな顔に似合わぬひどく俊敏な動作で綱手に一礼し、その場を走り去った。これまた恐ろしく素早い。あれは何者だと言いたくなる程度には早い。

「って、えええっ?」
「今の…シカマル、よね…?」

 唖然、とした言葉が相応しい面々に、火影と言う立場から数人の子供が置かれた位置を知っている綱手は大きな大きなため息をついて見せた。
 それはどこか嬉しそうなものでもあったのだけど。








 そうして拉致されたうずまきナルトは、シカマルの肩の上から懐かしい木の葉を見ていた。

 木の葉丸たち子供3人衆の人影。
 チョウジの前以上に大きな体の影。
 その後ろに隠れてしまっている長身のいの。
 えらくでっかくなった犬を超えた犬の赤丸とその上に乗るキバ。
 全身という全身を服で覆いつくしたシノ。

 懐かしい、懐かしい、木の葉の姿。
 意図せずに喉元から声が洩れた。笑ってしまう。

「…何、笑ってんだよ。気持ちわりぃ」
「すっげー嬉しいんだよ。俺、ほんとに帰ってきたんだよな!」
「そりゃ見りゃ分かるだろ」
「…ってーか俺どこに連れて行かれるわけよ」
「今更かよ」

 こういうシカマルとのやり取りすら懐かしくて、ついつい頬が緩む。
 くくっと笑いっぱなしのナルトが気味悪くなったのか、ひょいと木の上で放り投げられた。
 大風呂敷の結び目を解いて抜け出す。
 視線を周囲に向ければ、そこはどこぞの高級旅館といった風情。整えられた木々と、計算されつくした広大な庭。ででんと構えた巨大な門。

「どこだよここ」
「木の葉一の老舗旅館、各々の部屋についた露天風呂が何より名物。温泉の効能はリラックス効果、肩こり、腰痛、神経痛、関節痛、筋肉痛、五十肩、やけど、切り傷、美肌効果等々。山菜をメインとする料理は定評も高く、地元でとれた松茸料理が自慢。値段も質も木の葉一だ」
「ちょ…ちょ、ちょっと待てシカマル。俺は遊びに帰ってきたんじゃねーぞ」
「ああ。火影の許可はとってある。任務は5日後からだ。それまでは悠々自適生活を送りやがれくそ羨ましい」

 えらく面倒そうにそう言い切って、シカマルはくるりとナルトに背を向けた。
 置いていかれそうになって、ナルトは慌てて声を出す。

「ま、」
「ああ。金は払ってある。後は全部あいつに聞け」

 くく、と笑った猫背の男はあっという間に消えて、入れ替わりのように姿を表す黄土の髪を持つ長身の女。

「テマリ…?」
「よう。久しぶりだなナルト」

 惚れ惚れとするような、男らしい挨拶だった。
 以前と同じ、人を喰ったような笑い方で、手招く。

「何で、テマリがここに? 任務?」
「中忍試験が近いからな。それに、お前がそろそろ帰ってくるというから、任務期間を多少調整した」

 にやりと笑って、テマリが歩き始める。その明らかに目的をもった動きに釣られ、ナルトはその背を追った。大きな門を通過し、庭の風景を楽しみながら旅館まで歩く。

「シカマルとは上手くやってるみたいだな」
「当然」
「相変わらず自信家で。…それで、どこ行くわけ? シカマルはなんのせつめーもしなかったぞ」

 一応この場所に関する説明だけはしていったが。
 しかし木の葉一の値段とはいったいどの位するのか空恐ろしい。後から請求されそうで怖い。シカマルは老後の隠居生活のために金の蓄えに関して結構うるさいのだ。
 ナルトの苦虫を何匹も潰したような表情から事情を察したのか、テマリは面白そうに笑う。

「ここは老舗だろう? いたるところにがたもきてるし、改築も補強も必要だ。ただ、それで風情を失ってしまっては元も子もない。一度大幅な改築作業をしたんだがな、そのときにシカマルが関わっている。微細な計算と設計、調整でな。だから顔が利く。そのときサービス券も貰ってたしな。お前が思うより金はかかってないよ」
「そう、なのか…?」
「そう。だから安心しろ」

 笑いながらテマリは旅館に入り、それと同時に女中に頭を下げられる。

「テマリ様とうずまきナルト様ですね。シカマル様よりお話は聞いております。どうぞごゆっくりとくつろぎ下さい」
「ありがとう。聞いていると思うけど、しばらく接待は要らない。すまないけど、案内も私がさせて貰う。後から荷物が届くから、預かっていてほしい」

 10数人近くに及ぶ出迎えに、たじたじとなっているナルトとは違い、テマリは堂々たる態度で笑って見せた。その笑顔は、いつもの皮肉気なものとは違い、ただただ柔らかいものだったから、ナルトはポカンとその顔を見つめる。

「じゃあ行こうか?」
「……お、おうっ」

 木の葉に帰ってきてから驚くことばかりだ、とナルトは深く嘆息した。
 これが2年半という時の流れだろうか。

「…っつか、なんか慣れてるのな」
「ああ、うちはいつもこんな感じだ」

 平然とテマリが返した言葉に、ナルトは唖然としてテマリの後姿を見つめる。
 うち、とテマリがいうからには、それは風の国での話で。それは砂の里の風影家の話で。確かに昔テマリの家が代々忍として活躍してきた有名な一族の末裔で、家は無駄に馬鹿でかいと言っていたような気はするがしかし。

 これが、いつも?

「………恐ろしい」
「そうか? そうでもない」

 平然と言うテマリは、矢張り慣れているのだろう。高級そうな掛け軸にも、高級和紙を使った障子紙にも全く動じない。
 やがてテマリはピタリと足を止め、ナルトに向かい合った。

「それじゃあナルト、後はごゆっくり」

 そう言って何故か彼女はぐっ、と握った拳から親指だけを突き出して見せた。悪戯っぽい笑顔はそのままに、あっというまに消えた。シカマルもテマリも結局ナルトにとって肝心なことは言わなかった。情報のない行動をナルトが嫌っているのを知っていて、彼らはわざとそれをする。懐かしい、けれど苛立たしい彼らの性質にため息をついて、ナルトはふすまへと向き直る。
 何故シカマルとテマリが火影に手を回してまでこんなことをしたのか。幾らなんでもナルトに休暇をとらせるだけが目的ではないだろう。何せあのシカマルが自腹を切っているわけだし(後から請求される可能性もなくはないが)。気が乗らなければ何を言っても動こうとはしない、気紛れ大将のテマリが絡んでいるわけだし。

 ひとつ息を吸って、覚悟を決める。
 この先何が待っていたとしても、受け止めることができるように。
 罠とか、そういう気配はない。何か獣がいるとかそういう感じでもない。

 …里に帰ってきてから一番警戒しているのが、一番気心の知れた相手の行動だというのが少し虚しかった。



 そして。

 扉を開ける。




「…あっ」

「えっ…」




 軽く、いや、だいぶ重く、思考が停止した。
 全身の動きが止まって、筋肉が固まって。

 ―――覚悟、決めていたはずなんだけどな。

 一番最初に思ったことがそれだった。
 さすがシカマルとテマリ。

 上がりに上がった心拍数を押さえつけて、ナルトは笑った。
 彼女の気配だけは、ナルトには読めない。それはあまりにも近すぎて、あまりにも同じ気配であるから。それは彼女にとっても同様で。



「……久しぶり。……ただいま。ヒナタ」



 何よりも懐かしい少女の姿は、ナルトの想像をはるかに超えていて、褒め言葉の一つも出せなかった。
 きれいにきれいに着飾った少女は、ひとしきり動揺してから、ナルトに向き直る。



「……お帰りなさい。ナルト」



 鮮やかな、満開の笑顔はナルトが里を出る前と何も変わらなくて、それがひどく嬉しかった。











 そしてそれを仕組んだ2人組みは、彼らとは既にだいぶ離れた場所にいた。
 木の葉の外れにある、小さな団子屋。
 お決まりのメニューの中からお決まりの注文をして、並んでお茶を飲む。

「ナルトの奴上手くやってるかね」
「んーまぁ大丈夫なんじゃないか? 私が言うのもなんだが、今日のヒナタは格別だぞ」
「ふーん。ちょっと、見たかったかな」
「恋人の前でいい度胸だな。浮気宣言か?」
「まさか。俺みたいな奴に付き合えんのはお前くらいだろ」
「それで、私に付き合えるのもお前くらい、か?」
「当たり前」

 にやりと笑ったシカマルに、悪戯な笑みを返して、2人は遠い遠い旅館を見つめたのだった。
   2007年10月14日
 非常に遅くなりましたが、芽衣様よりリク頂きました「第2部のナルト帰還あたりのナルヒナ+シカテマ」です。
 最初は本編どおり進ませようと思っていたのですが、結局途中で大分違う事になりました。

 き、期待に添えてればいいなと思いますが。
 とにもかくにも、遅くなってすみませんの一言です。
 リクエストほんっとうにありがとうございました!!