『ガラスの靴はないけれど』







 それは、その姿は、何の前触れもなく、唐突に現れた。
 まるで闇を切り抜いたような、真っ黒な姿。
 鋭い光を放つ瞳は暗く、どこか空恐ろしい印象を与える。
 その場にいる下忍のほとんどが彼を知らず、ただ一部の下忍と、上忍のみが彼の姿を、名を知っていた。

「…うちは…イタチ」

 カカシの呟いた名前に、下忍は思わず同じ”うちは”の姓を持つサスケを伺い、彼の青ざめた様子に言葉を失う。その、青ざめた表情は一瞬。それはすぐさま怒りという感情に取って代わられ、ぶわりと、殺気が放たれた。見たこともないサスケの取り乱した様、に、誰もが息を詰め、動くことも出来ずに彼を見守った。
 何が起ころうとしているのか、全く分からない。けれど、サスケの殺気に息を呑む。
 さりげなく上忍らは下忍を庇い、前に出る。

「…どの面下げてきやがったよ。てめぇ」
「………」

 静かなサスケの言葉に、イタチは何も言わず、ただ、何故か非常に思いつめたような表情で、ずんずんと歩いてきた。その、どこか異様な空気に、思わず上忍らは身を引いてしまう。飛び出そうとしたサスケを間一髪でカカシがとめる。
 そして、イタチは…。


「迎えに来たよ。俺のお姫様」


 そう、妙にきざったらしく…言い切って見せた。
 ちなみに片膝を付いて手を差し伸べると言う王道の騎士ポーズ。

 唖然。

 まさにその言葉が似合う下忍・上忍の者達。言われた本人はぽかんとイタチを見上げて…続けて一つ、ブハッ!!! と吹き出す音がした。音の発信源は、つい今の今までイタチに飛び掛らんとしていたサスケ。
 一体どうしたというのか、自分の足元を一心に見つめて、小刻みに震えている。

「さ…すけ……?」

 なにやら不穏に思って、サクラといのが、すすす…とサスケから距離をとる。カカシもまた、そそくさと逃げた。
 殺気がどこかに消えてしまっている。
 残ったのはどこかこっぱずかしいような甘ったるいようなむず痒いような、なんとも言えない空気だけ。

「く…は…っっ!は、ははっ!ははははあっは!!」

 もう駄目だ、というように身体を二つ折りにして大爆笑をはじめたサスケに、誰もが唖然とするしかない。

「サスケ…お前…騙したな…」

 大爆笑中のサスケに、ギギッ、とイタチはぎこちなく振り返る。その頬はうっすらと赤く染まっており、それは目の前で言われたヒナタもまた同じ。真っ赤になって俯いている。

「あはは、は、ははっ! 言った! 本気で言った! あーーーーっ!!! さいっこう!!! 今時プロポーズの言葉が"迎えに来たよ。俺のお姫様"なんってありえねーーーーーっっ!!」

 ご丁寧にイタチの声をモノマネして、一語一句再現する。実の兄弟だけあって、よく似ていた。

 誰だこいつ。

 そう思ったのは全員同時だろう。
 イタチはまるで完熟トマトの如く全身を赤くさせ、サスケに掴みかかる。最早、上忍らにそれを止める気力はなかった。なんだか非常に馬鹿馬鹿しい気がした。

「サスケ…マジで、"月読"5回くらい食らわないか?」
「あ、それ勘弁」

 あっさりと宣言して、そそくさとヒナタの後ろに隠れる。

「ほらヒナ、兄貴に返事」

 いささか慌てた口調でヒナタの両肩を後ろから掴み、軽く押す。その言葉に、イタチの表情が真剣さを取り戻した。緊張してます、といった風情でヒナタの言葉を待つ。
 顔を真っ赤にして、ほとんど涙目になったヒナタが顔を上げた。
 ごくりと、誰かが喉を鳴らした。先程とは違う意味で訪れる沈黙と痛いほどの緊張。

「…ずっと…待ってたの」
「…ああ」

 もう一度、俯く。
 深く、深く、息を吸い込んで。



「散々人のこと待たせといてこれはないんじゃないの!? このバカイタチ!!!!!!!」



 素晴らしい怒鳴り声だった。
 ぴん…と張り詰めた高音は、ヒナタの声を待っていた全員の耳を貫く。一斉に耳を押さえ、突っ伏した。それくらいの破壊力があった。

「その上何? サスケとはちゃっちゃと連絡取っておきながら人には便りの一つも寄越さない。その上こんな公衆の面々の目の前でいきなり変な事言い出して…」

 怒りに打ち震える少女。それはいつものおどおどとした小さな優しい少女ではなくて。
 まるで別人。


「えーっと…何?何がどうなってるの?」
「そっ…そんなの分かるわけないじゃないー」

 少女たちの混乱を解消してくれるものはどこにもない。
 意味分からずにおろおろと立ち尽くす彼女らを、全く気にも留めずに事態は進んでいく。


「嬉しいくせに」
「…サスケ。ちょっと今試してみたい新技があるのだけど、いいかしら?」

 にっこりと、ヒナタは笑った。

「あー無理絶対無理俺普通に死ぬって」

 冷や汗をたらしながらサスケは後ずさる。
 同じように、騒ぎから上下忍は等しく後ずさった。


 誰だこいつら。


 さっきも思ったことを、もう一度思った。
 既にうちは兄弟と日向ヒナタのイメージ像がガラガラと音を立てて瓦解している。
 しかし誰も説明なんてしない。黒ずくめの男は小さな少女におろおろと謝る。

「え、ええと、ごめん。ヒナタ」
「謝らないでよ!」
「うんごめん」
「だから…っ!」
「うん。でも待たせてごめん」

 全く持って真っ直ぐな目で、そんなことを言うもんだから、ヒナタは唖然と口を開け閉めして。また、俯く。深呼吸して、自分よりもかなり高い位置にある顔を見上げた。
 前はもっと近くに顔があったのに。

「……………かなり待ってたんだから。あと一日でも遅かったら切り捨てるつもりだったんだから」
「良かった」
「良くない」
「間に合った」
「遅すぎる」
「でも待っててくれた」
「自惚れないでよ」
「ヒナタは俺が自惚れるようなことばかり言う」
「言ってない」

 誰一人口をはさむことが出来ない。仲が良いのかそうでないのかよく分からない早すぎる会話に、サスケがにやにやと笑った。にやにやと。

「あーこのバカップルな応酬を久々に聞くと滅茶苦茶落ち着く」

 物凄く幸せそう。
 そんなサスケから更に遠ざかる人々。
 だって気持ち悪い。
 鳥肌が全身にぶつぶつたっている。もう背筋がぞわぞわだ。
 とりあえずあのにやにや笑顔が怖い。最早同一人物とは思えない。
 あの「うぜぇ」やら「このドベ」やら「オレは復讐者だ」とか、無駄にかっこつけたがりのクールな男の口からバカップルだぁ?

「や、やばいってば、オレってばもう幻覚が見えるってばよ…」
「そ、そうよね!あんなの幻覚よね!」
「そうでなくちゃ偽者に決まってるわーっっ」
「…オレは幻聴が……」
「ま、マジでめんどくせーありえねー」
「…………と、とりあえずさ」

「「「「「「「あのサスケは気持ち悪い!!!!!!!」」」」」」」

 見事な全員分な唱和に、ようやくイタチは彼らを振り向き、困ったようにサスケを見る。
 今や見事に遠巻きな上忍下忍たちだ。
 正直この強烈インパクトのサスケの姿は、ヒナタが超滑らかにイタチとしゃべっている、その驚愕の事実をあっさりと打ち消した。

「サスケ…お前どんな人間演じてたんだ?」
「無口でクールな格好良い悲劇の末裔。ちょっと危険で魅力的な陰のある良い男ってヤツ?」
「………よくもまぁそんな」
「サスケの演技、はっきり言って物凄く気持ち悪かったわ」
「いやでも皆面白いほどに騙されてくれるわけだ。同情から恵んでくれるし」
「………お前、ちょっと子供にしてはひねくれてるんじゃないのか?」
「兄貴に言われる程でもないと思うけど。まーヒナタの演技も死ぬほど気持ち悪かったけど?」
「…………」

 何も言い返さず、少々遠い目になっちゃったりするヒナタに、イタチは色々と過去を思い起こして後悔した。2人ともあんなに可愛らしくてちょっぴり口は悪くても根は素直で良い子だったのに…。矢張り里を出るには早すぎただろうか? タイミング的にはばっちり丁度良かったが、2人を残すのは確かに不安だった。どうにもこうにも自分の知らないうちに大分色々あったのだろう。そりゃあもうあり過ぎるほどに色々あったのだろう。

「…まぁ、過去を悔やんでも仕方ない」
「いきなり何言い出すかな兄貴は」
「なんでもいいけど、早く行きましょう」
「「どこに?」」

 同じ顔で、同じタイミングで、問われて。
 ああ、懐かしい。イタチ帰ってきたんだと、ヒナタは改めて実感する。
 そうしたら自然に笑ってしまった。

「決まってるでしょう? 里の外に。だって、迎えに来たんでしょう? イタチは」

 楽しそうに言い切った少女に、2人はきょとんと呆けつつも全く同じように頷いた。
 ようやくちゃんと言葉の意味を理解して、イタチとサスケは目を合わせる。小さく笑って、同時にヒナタに向かって手を差し伸べた。

「行こうかお姫様」

 サスケの言葉に、イタチは最初自分が言った言葉を思い出したのか顔を赤くし、ヒナタはただ苦笑した。2人の手を取って、肩越しに振り返る。

「じゃ、そういうわけだから。日向ヒナタ、うちはサスケ、もとい、暗部所属"静葉"(しずは)、"動葉"(どうは)の以下2名これより里抜けします。火影様には適当に報告しといてくださいね」
「あ、そうそう。そーいうことなんで、騙して悪かった。じゃーな」

 物凄い軽い里抜け宣言に、誰も声を出せない。
 ヒナタの言い残した暗部名が里でも有数の力の持ち主で、最強なのではとも噂される者達であるのを知ってる上忍は、特に唖然として。何も知らないけど、驚愕するべきことが多すぎて処理能力がさっぱり追いつかない下忍も、ただひたすら唖然として。
 まるで案山子のように突っ立ったまま、何も言えずに見送る。

 その、一瞬後には3人の姿が消えていた。
 なんともあっさりと淡白な別れ。
 消える直前、イタチがヒナタに口付けていたように見えた。サスケがさっきまでのにやにや笑いとは違う、柔らかで穏やかな笑みを浮かべたように見えた。
 それは一瞬の出来事過ぎて、誰も確信を持てなかったけど。

 木の葉がくるくると彼らの前を通り過ぎて。
 カラスが彼らを馬鹿にするようにして鳴いた。
 天辺にあったお日様が傾いてきた頃、誰かが呟いた。



「………どういうわけ?」



 答える者はいなかった。
   2006年11月24日
 これはギャグなのか、何なのか…。
 申し訳ありません滅茶苦茶遅いです。お待たせしまくりました。
 七瀬様よりリクエスト。
 『スレイタヒナ+スレサスで、イタチがヒナタを迎えにきて、ヒナタとサスケ里抜け(イタチとサスケは仲良しで)』
 です。

 ええと…。本当期待に添えてればいいなと思うんですけど。
 もしもシリアスな彼らを期待していたなら本当すみません。最初はちゃんとシリアスでほのぼのな感じの話にするつもりが、イタチの最初の一言を思いついた瞬間にサスケがこういうキャラになってしまいました…。
 スレらしさがあまりないというかなんというか…もうとにかく申し訳ないのですが、気に入っていただけたら嬉しいです。
 リクエストありがとうございました!!