彼女はまるで…

 ―――………

 白くて きれいで 優しくて……はかない

 今 支えを失ったら

 簡単に折れてしまうんじゃないか―――?

 って

 思った。


 だから

 それなら

 ―――………





『帰郷』





 なんの話をしていたのか…憶えてない。 
 多分ものすごく些細なことだったと思う。
 ただ、さっきまで和やかに話をしていた相手が急に、床を激しく打ち付けていた私に後ろから抱き付いてきて

「……好きだ」

 ―――そう言った。
 咄嗟に相手を突き飛ばすのも叫ぶのも忘れて、呆けた。
 ぎゅう…って強く抱きしめてくる相手の腕は強くて、当たり前だけど男のそれだった―――。
 普段、生真面目で冗談なんか言わない物静かな相手だけに、その真剣さが分かった。

「…………」

 そうかもしれない―――と、期待した時もあった。
 でも…あの人の気持ちに気付いてからは、できるだけ彼から遠ざかった。

 ―――だって…
 だって私は…

「…………っぅ」
「……ミント?」

 思わず胸を強く抑える。
 痛くない痛くない痛くない痛くない…
 呪文のように思って。
 私は暖かいその腕の中から抜け出した。
 相手の真剣なまなざしがひどく辛い。
 できるだけ不敵な笑みを浮かべてみる。

 ―――大丈夫。

 だって私が間違えることなんてないはずだから―――

「あんた…バッカじゃないの?なーに言ってんのよ!」

 ビッ―――と相手の眉間めがけて、デュエルハーロウを突きつけて

「私は、世界征服するのに忙しいんだからっ!あんたなんか相手にしてらんないわよ!!」

 だから

 ばいばい



 ………ルウ………









 大分日がくれて、星空が見え出し世界も寝静まった頃―――。
 満身創痍の格好で、ミントは自室の扉を開ける。

「はああああああああああ。な〜〜〜〜んで、あそこでベルたちが来るのよぉ〜〜〜〜〜っ!…結局遺産もなくなっちゃったし…きっついわ〜〜〜〜〜〜〜……」

 一応あたりに気を使ってか扉は静かに閉められ、文句もため息の次にでてくるようなもの。
 単に本当に疲れきっていただけかもしれないが、彼女はドロドロの身体のまま豪華なベッドに身を預ける。
 汚れきった体から真白いシーツに色が移っていく。
 明日の朝、見つけたものが悲鳴をあげるのは明白だろう。
 だが、そんなことをミントは気にしない。

 すでにデュープリズムを手に入れそこなった出来事から3年の月日が流れていた。
 ミントの身長は伸び、まだ緩やかだった身体の変化は彼女に充分な肢体をあたえ、大人の身体を作り上げた。
 見目良い真紅に染まった髪は更に長く、強い光のつまった瞳は宝石のよう。
 彼女はたった3年で、まさに自他共に認めるような美女へと変わった。
 …とはいえ、そう簡単に性格が変わるわけではなく、相変わらず彼女の髪は乱雑に二つに括られただけだし、服も3年前着ていたものとさほど大差なかった。
 だがそんなもので見劣りがするような美貌ではない。

 ミントはやはり遺産を巡って旅を続けている。
 あの後一度家に帰ったが、遺産の情報を聞けば台風のように姿を消す。
 泥だらけの己の身体を、ぼう…と見て3年前、地下迷宮で大岩に追いかけられたことを思い出す。
 あの時もこんな風にぼろぼろだったと、思わず苦笑して…身を強張らした。


―――間に合ってよかった。ケガはない?―――


 涼やかな声とともに、すっ―――と差し出された、自分のものより少しだけ大きな手のひら。
 まだ、こんなにもはっきりと意図せず思い出すのは3年前のほとんどの出来事が、彼につながっているから。

 きっと…そのはずだ。

 ミントは、あのルウに告白された時以来、彼に会っていなかった。
 クラウスさんに遺産の情報を教えてもらった時も、彼には知らせなかった。
 彼はもう願いをかなえたのだから…。
 彼の面影を振り払うように、ミントの意識は柔らかいベッドの中へと吸い込まれていった。





 目覚めは唐突なものだった。

「ぐぇっ!!!!」

 かえるのつぶれたような声を出して、ミントは自分が何かに押さえつけられているのを感じた。
 何年もの旅の中で、寝てる間にも本能的に危険を察知するようになったミントだが、自分の部屋だという油断があったらしい。
 何事かと危険に備えながら目を開けて、全身という全身に鳥肌がたった。

「か……か……か……かぼちゃあああああああああっっっっ!!!!!!」

 でかい、人の身体ほどはあるミントの天敵が全身に乗りかかって飛び跳ねていた。
 これはかぼちゃ嫌いのミントでなくとも苦しいだろう。
 こんなことを自分に仕掛ける人間をミントは一人しか知らない。

「ママママママヤ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!何すんのよっ!!早くどかしないよ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」
「あらあら、お姉さま…朝から見苦しいですわ。そ・れ・に・どかしてくださいませ…の、間違いじゃありませんこと?」
「なぬぅ!!!あんた姉上に向かって何てこと言うのよ〜〜〜〜!!!こ〜の陰険女〜〜〜〜〜!!!」

 じたばたじたばた…性懲りもなくわめき散らす自分の姉を見て、マヤは大げさに天を仰ぐ。
 かつて、肩先まで伸びていた髪は昔のミントくらいになっている。
 本人達は認めないだろうが、マヤは姉の姿をそのままなぞってしまっているようだった。
 ふわりと下ろした手入れされた髪がつやつやとミントにはない美しい光沢を放っている。
 その髪と、どこか取り澄ましたような表情が今のマヤと同じ年だった頃のミントとの違いだ。

「全く…頭痛がしますわ…」

 もう一度、天を仰ぎ大きなため息をついたマヤは、非常に珍しいことにかぼちゃをミントの前から消滅させる。

「へ?ま、マヤ、どうしたの?アンタがあっさりやめるなんて…」

 本気できょとんとしたように言われたものだから、もう一度かぼちゃをミントの脳天からぶち落としたい衝動に駆られ…耐えた。

「お姉さま、憶えてらっしゃるとは思いますけど…今日はご自身の生誕日なんですよ?」
「…………」
「まさか…ご自身の生まれた日まで忘れたなどとおっしゃいませんよね?」
「ぐぐぐ………」

 もちろん忘れていた。
 それはもうきれいさっぱりと。
 ミントの様子からそのことを察したのか、マヤは大きなため息をつくと、控えさせていた侍女達を入らせる。

「いいですか、お姉さま?今日は、お姉さまの生誕パーティが開かれることになっております。だからまずは、その薄汚れた格好をどうにかしてくださいませ…」
「なぬっ!!!ちょ…ちょっと待ちなさいよ!!私そんなの知らないわよ!!」
「知らないも知るもありません!!昔からやっていたではありませんか!!!!それを5年もすっぽかして……」

 ぶるぶると震えているマヤによからぬものを感じたのか、ミントは何も言わずに窓にそろそろと近づく。
 ミントの部屋は二階、目の前にはちょうどいい木もあって逃げるなら楽勝な場所。

「甘いですわ、お姉さま」

「ふぎゃ!!!!」

 その行動はあっさりとマヤのかぼちゃによって阻まれた。

「ほ〜ほっほっほ。お姉さまの考えることくらいお見通しですわ!さあっ!皆さんやってくださいな!!」
「わわわわわっ!!!ああああああんた達、何すんのよ!!離しなさいよ〜〜〜〜〜!!!!!」

 わらわらと近寄ってきた侍女達に、かぼちゃ攻撃を受けていたミントはなすすべもなく捕まり、あっさりデュエルハーロゥも没収された。
 10数人の人間に囲まれた状態なので魔法を使う暇もありはしない。

「マ、マヤ〜〜〜〜!!あんた覚えてなさいよ〜〜〜〜〜〜!!!!」
「ほ〜ほっほっほ。もう忘れましたわ!!!」


―――バタン。


 壮絶な姉妹対決は分厚い扉が完全に閉まるのを皮切りに終結する。

「さ〜〜〜て。今日帰ってくることをクラウスさんたちが早めに教えてくださって、助かりましたわ。まあ、予想より少し早かったみたいですけど……?」

 真っ白なスーツの中で染みのように広がった泥の中に、少しだけ違うものを見つける。
 よく見ないと分からないが、茶に近い汚れた塊…

 それは…

「…血…?」





「しょう…たい…じょう?」

 ポツ、と落としたそれに柔らかい、静かな声が答える。

「ええ。ミントちゃんの誕生パーティですって。5年ぶりに開催されるみたい」
「なあなあなあ!それってオレも言っていいわけ!?」
「ええ。ぜひ3人で…って」
「やったぁ!!」

 無邪気に喜ぶ弟のような彼に、思わず顔をほころばす。
 マヤにより預けられた同じヴァレンの人形のルネス―――。 
 彼が、世界になじめず表情がなかった頃が嘘のようだ。
 今では、彼の方が自分より口数も表情も豊かだ。

「んじゃあ、あのお転婆ねーさん、やぁ〜〜〜っと帰ってきたんだな!!」
「そうみたいね。ミントちゃん元気かしら…」
「元気だよ。きっと」

 思わず笑みと言葉が口をつく。
 台風みたいな彼女が容易に脳裏に浮かぶ。
 ずっと会っていない。
 あのデュープリズムの事件の後、何度かミントの遺産探しに付き合った。
 結局遺産は見つからなかったが、一緒に冒険したのは楽しくて…幸せだった。
 最後に会ったのは遺産探しの後…ここを訪れていたミントに自分の思いを打ち明けた時―――。
 床を打ち付ける子供っぽい動作がかわいくて、クレアもルネスも出かけていたこともあっての感情の高まり。
 その末の告白だったが、あっさりと一蹴されてしまった。
 それまでに少しだけ自惚れて期待していたのは、粉々に打ち砕かれたわけだけど、真っ直ぐな彼女が眩しくて忘れられない。

 だが、それから彼女は来なくなった―――。

 何の音沙汰もなくて、心配だけが通り過ぎる日々を送っていたら、クレアから遺跡を探しに行ったと聞かされた。
 どうやら彼女は、マヤと手紙のやり取りをしていたらしい。
 自分にはお呼びがかからなかったことが悲しかった。
 それから3年…彼女の行方も分からず、クラウスさんに聞いてみても消息のはっきりしないことが多かった。
 ミントは強いけど、やっぱりかわいらしい女の子なワケで…ずっと、もやもやしたものを抱えながらここまできた。

 でも―――

 (帰ってきたんだ……)

 それは彼女が無事だったということ。
 それに、もうすぐ会える―――。
 会えるんだ―――。
 胸が詰まるような思いに、思わず目を瞑り天を仰いだ―――。

 だから彼は、一対の目がじっと彼を見ていたのに全く気付かなかった。






「あら、お姉さま…お似合いですわ。馬子にも衣装とはよく言ったものですわね」

 ほほほ…と上品に口元に手をあてて、笑うマヤをミントは壮絶な表情で睨みつける。
 デュエルハーロウは没収されたままだし、久しぶりに着る正式なドレスはひどく重い。
 そう…間違っても跳び蹴りなどできないように作られている。

 ミントにとって救いだったのは髪を緩やかに背中に流し、小さな宝石で飾るだけに収めてくれたことだった。
 髪を精巧にきれいに編み上げるのは、非常に時間がかかり、少しでも動くと何回もやり直しをさせられる。それはミントにとって拷問に等しい。

 旅での汚れはすっかり落とされ白い肌があらわになっている。
 旅の途中で付けた何箇所もの傷―――。 
 一生消えないような傷も少なくはない…。
 マヤにはなぜそこまでしてミントが遺産を求めるのか分からない。

 世界征服―――。

 なぜ、そんな曖昧で不確かなものを真っ直ぐに追い続けられるのか………。

「では、お姉さま。私はお姉さまと違って忙しいので、失礼させていただきますわ。皆さん、見張りは任せましたわよ」
「なぬっ!!」

(に…逃げられないじゃないのよ!!!!)

「あら、お姉さまにはこちらの方がよろしかったですわね」

―――パチンッ。

「ふぎゃ!!!!」

 マヤの指が軽快な音をたてるのと同時に現れたのは、すっかりとお馴染みになったかぼちゃ―――。
 一度ミントの頭上に降ってからは、びょんびょん跳ねながら衛兵のように扉の前に立つ(?)。

「マ…ママママママヤ!!ひひひひひ…卑怯よっ!!!!」

 床を踏み鳴らすミントに、これもお馴染みとなった高笑いを残してマヤは扉を閉めた。
 扉の中からは、いまだミントの怒鳴り声が聞こえてくる。
 そのいつも通りの中で、マヤの眉間に小さくしわがよる。

「……お姉さまの傷で、何か目新しいものがありませんでしたか?」
「いえ…特にはないみたいでしたが…?」 

 シーツの汚れに混じった血を思い出す。

「そう…ですか」

 なら、いい―――。

 ギュッ―――と拳を握り締める。
 いいはずだが…落ち着かない。
 奇妙な胸騒ぎがするのだ。

「思い過ごし……なら…いいのですが…」

 天を仰ぎ、ぽつ…と、こぼした言葉は広く雄大な廊下にあっさりと吸収された―――。