『始まりの出会い』







 その日はまぁ最悪だった。
 最悪だと断言しながら、そのくせ良いこともあったのだからどうしたものかと思う。

 最悪なことは一つ。
 死にかけたこと。

 良かったことは一つ。
 誰かに救われ、生き延びたこと。

 人生の終わりと始まりに立ちあったのだから、まぁ、とにかくとんでもない日に違いない。
 最悪かどうかはおいて、そう思う。

 そして2つ目のおしまい。
 それからはじまり。










 それは、稲妻のような切っ先だった。
 心臓を串刺しにせんと繰り出される槍の穂先。
 かわそうとする試みは無意味だろう。
 それが稲妻である以上、人の目では捉えられない。
 それはすなわち、衛宮士郎という少年の命はここで費えるということであり、変えられようのない事実。

「え――――?」

 だが。
 少年を貫こうとする稲妻は、
 少年を救おうとする月光に弾かれた。

 ぎん、と、優美さには欠けた無骨な音。

 否。目前に降り立った音は、無音の極み。
 どこまでも華やかで、優雅。纏った赤の外套は夜の夜気を一瞬で消し去るもの。

「なに………!?」

 それは、本当に。
 土蔵の空気を一瞬で塗り替え―――
 魔法のように、現れた。

 眩い光の中、それは、現れる。
 女。
 優雅で、華美で、鮮烈。
 光を塗りつぶすかのように赤い外套はひるがえり、槍を払った銀の光は収縮する。

 それは、現れるなり―――
 否。現れる直前、少年の胸を貫こうとした槍を打ち払い、躊躇うことなく男へと踏み込んだ。

「―――本気か、七人目のサーヴァントだと……!?」

 弾かれた槍を構えようとする男と、手にした収縮した銀の光―――すなわち、一振りの短剣を無造作に一閃する女。
 二度、火花が散った。

 槍という長柄、それを構えるよりも先に振るわれた短剣は、得物の不利をついた隙を決して逃しはしない。
 現れた女の短剣によって、たたらを踏む槍の男。

「く―――!」

 不利と悟ったのか、男は獣のような俊敏さで土蔵の外へ飛び出し―――
 退避する男を視線で舐めつけ、威嚇しながら、それは静かに、少年へと振り返った。

 風の強い日だ。
 雲が流れ、わずかな時間だけ月が出ていた。
 土蔵に差し込む銀色の月光が、赤い外套を纏う女を照らしあげる。
 月光はなお冴え冴えと闇を照らし。
 土蔵は女の姿を拒むように、かつての静けさを取り戻す。

 時間は止まっていた。
 おそらくは一秒すらなかった光景。

 されど。
 その姿ならば、たとえ地獄に落ちようと、鮮明に思い返す事ができるだろう。

 僅かに振り向く横顔。
 どこまでも真っ直ぐな蒼の瞳。
 時間はこの瞬間のみ永遠となり、彼女を象徴する赤い外套が風に揺れる。

 ―――差し込むのは僅かな蒼光。
    鴉の濡れ羽色のような髪が、月の光に濡れていた。

「―――」

 声が出ない。
 少年は別に突然の出来事に混乱していた訳でもない。
 ただ、目前の女の姿があまりにも綺麗過ぎて、言葉を失った。

「――――――」

 女は宝石のような、何の感情も伺えない瞳で少年を見据えた後。

「―――初めまして。マスター」

 闇を切り裂く声で、彼女は言った。

「え……マス……ター…?」

 問われた言葉を口にするだけ。
 彼女が何を言っているのか何者なのか、少年には分からない。
 今の少年に分かる事と言えば―――このすらりとした細い体躯をした女も、外の男と同じ存在という事だけ。

「………………」

 女は何も言わず、真っ直ぐに少年を見つめている。

 ―――その姿を、なんと言えばいいのか。

 この状況、外ではあの男が隙あらば襲い掛かってくる状況を忘れてしまうほど、目の前の相手は特別だった。

 この土蔵だけ時間が止まったかのよう。
 先ほどまで少年の体を占めていた死の恐怖はどこぞに消え、今はただ、目前の女だけが視界にある―――

「召喚されたのはいいけど、随分と乱暴ね。まぁ。私も人の事は言えなかったけど…」

 ふっ―――と、空気が軽くなった。
 止まっていた筈の時間が動き出す。
 女は1人ぶつくさと呟き―――それはどこか面白がっているようにも聞こえ―――

「―――いいわ。サーヴァント・タクティシャン。召喚に従い参りました。マスター、指示をどうぞ」

 その、マスターという言葉と、タクティシャンという響きを耳にした瞬間、

「―――っ」

 左手に痛みが走った。
 思わず少年は左手の甲を押さえつける。
 それが合図だったのか、女は静かに、秀麗な顔を頷かせた。

「これより私は貴方と共に、そして貴方は私と共に。―――ここに、契約は完了する」

 そう、契約は完了した。
 一方的でありながら最終的な通告。

「な、契約って、なんの―――!?」

 少年とて魔術師の端くれ。その言葉がどんな物かは理解できる。
 だが女は少年の問いになど答えず、優雅な挙措で顔を背けた。

 ―――向いた先は外への扉。
    その奥には、未だ槍を構えた男の姿がある。

「―――」

 まさか、と少年が思うよりも早かった。
 女は躊躇うことなく土蔵の外へと身を躍らせる。

 赤い外套がふわりと翻る。

「!」

 体の痛みも忘れ、立ち上がって女の後を追った。
 あの女があの男に敵う筈がない。
 いくら短剣を振りかざし、男を引かせたとしても、女と男の対格差は圧倒的だ。

「やめ―――!」

 ろ、と叫ぼうとした声は、目の前の光景に封じられた。

 ぎん、と音が鳴る。
 僅かな月明かりの下で、銀の光が交差する。
 火花を散らし、ぶつかり合い、弾け散る。

「な―――」

 少年は目を疑う。
 何も考えられないくらい頭の中が空っぽになる。

「なんだ、あいつ――ー」

 響く剣戟。
 月は雲に隠れ、庭はもとの闇へと戻る。
 その中で火花を散らしあう鋼。

 土蔵から飛び出した女に、槍の男は無言で襲い掛かった。
 点による打突。高速の一刺。確実に急所を狙い、貫く突きの動きは、少年が学校にて垣間見たものに他ならない。そこに先ほどまで少年に相対していた時の動きは見つけられない。今の男の動きに比べれば、あんなもの児戯でしかない。
 少年の目には最早その軌跡など追えない。
 旋風のように振り回される攻撃範囲に、女は短剣を持って挑む。

 半端な覚悟でそれは成しえない。
 槍で恐ろしいのは長さに物を言わせた広範囲のなぎ払い。
 身を範囲内に置いた状況下で、一度振るわれれば、身を引いてかわすなどと防御を許さず、生半端に動いたところで身を粉砕されるだけだ。
 男の鋭い一撃は、まるで装甲を持たぬ女にとって致命傷どころか必殺の一撃であろう。

 ―――にも関わらず、女の目に恐怖はない。躊躇いはない。ただ覚悟があった。
 槍の範囲には踏み込まず、その動きを追う。点の軌跡を短剣にて払いながら、後退しながら、それでも彼女は揺らがない。どれだけ打ち合ったことだろう。

 それは、一瞬だった。
 男ですら、予想だにしなかった筈だ。

 女は無造作に赤い外套の裾を払い、槍に巻きつけるようにして封じ、"引き"のタイミングを合わせて土を蹴る。生き物のように槍に巻きついた外套は、女の体を爆発的な速度で踏み込ませる。

 男の速さは圧倒的なはずだ。
 それはあの赤い戦士との攻防でもはっきりしている。
 元より速さに優れた騎士であり、その中でも最速を誇るくらいの自負はある。だからこそこの騎士に隙はない。
 その最速の男の動きに合わせるなど、考えたところで無駄だと子供でも分かるだろう。

 そう、無駄だ。
 あまりにも無謀極まりなく、無駄でしかない筈の行為は、女によって意味を成す。

 結果、槍の間合いの内側―――それも数センチとない至近距離に女の体は滑り込む。
 それは、槍の長所を殺し、短剣の長所を活かす距離。
 息を詰めた男の首を、短剣は無造作に跳ね―――飛ばせない。

「っ――ー」

 紙一重で、否、薄皮一枚を切り裂き、男はその刃より逃れた。
 さすが、というべきか。一瞬の爆発めいた瞬発力で男は飛びのき、もう一度槍を構える。
 最速の筈の男は、得物を見る目で女を嘗め回す。
 油断したか、己に問う。
 応えは是であり否。
 このサーヴァントは得体がしれない。一度は既に槍を弾かれた。その相手に油断などあり得ない。
 しかし、自身の速度を上回る存在などいない、などという傲慢な考えがどこかになかったか、と問われれば否定は出来まい。それこそが自信に裏づけされた油断に他ならない。

「セイバー、じゃねぇな」

 獰猛な獣。
 まさにそう示すに相応しい男だった。
 ぞわり、と全身を襲う殺気に、少年は棒立ちのまま動けない。

「アーチャー、でもねぇ。ライダーかキャスターか…?」

 驚嘆と警戒、不審と困惑。そして何よりも苛立ちか。
 正体を掴み切れず、獰猛な獣たる蒼き槍兵は二の足を踏んでいた。
 彼にとってもこの状況は予想外であり、計画外。

 男にとって、今夜は様子見に過ぎなかった。
 それが赤き弓兵との戦闘へなり、一般人に姿を見られ、その一般人がマスターに化した挙句に正体不明のサーヴァントとの戦闘へと陥っている。
 あとついでに言うなら、目の前の女が纏う赤い外套が、いやおうなしに中途に断ち切られた弓兵との戦闘を思い出して腹が立つ。
 それとは別の次元で、いい女相手に戦う必要があるというのは気に食わない。
 そう、男にとって目の前の女は敵であるなしに関わらず―――いい女だった。ある意味ではそれこそ胸糞の悪い一番の事実だ。
 まったく、けちの付き通しだと、男は身を振り返る。

 チッ、と舌を鳴らし、女を見据えた。
 何者か。
 セイバー、アーチャー、ランサーは有りえない。女の短剣の扱いはセイバーと呼ぶには精彩に欠けており、アーチャーは既に邂逅した。ランサーは自分自身。
 ライダー、アサシン、バーサーカー、キャスター。
 バーサーカーもまた有りえないだろうだろう。アサシンと呼ぶには堂々としすぎている。残すはライダーかキャスター。しかし、違和感はぬぐえない。
 違う、と告げる。
 男の感は、この女は違うと告げている―――。

 女は動かなかった。
 月光の下、よく出来た人形のような美貌が照らされる。
 あまりにも鮮やかな赤い外套すら、女を引き立てる道具にしかなりえない。

 時は凍ってるようだった。
 男も、女も、少年も、息告ぐ事すらも忘れた静寂の大地。

 しん―――と静まり返った空間を崩したのは、女の吐息。

「っ…はっ」

 否。吐息など、そんな静かなものではない。
 堪えていたもの全てを吐き出すかのような、豪快な噴出。

 視線を一身に受け、もうダメだ、と言うように女は―――



 笑った。



「ああ?」
「はっ、もう、だめ、はは、何これ。あり得ない、あり得ないわ」

 ぶつぶつと1人呟きながら、涙までこぼして笑い始める。
 それはもう何もかもを無視して、土蔵の空気を一瞬で塗り替えてしまった時のように、この場の空気を塗り替えてしまう。
 大人びた蒼い瞳は無邪気な幼子のように、近寄りがたいとも思える壮絶なほどの美貌はくしゃくしゃに歪む。

「あ?」
「………はぁ?」

 呆気に取られた男と少年。
 女はまるでそれに構わず、ようやく笑いを収める。…まぁ、目じりにまだ光るものがあるのはご愛嬌だ。

「引きなさいランサー。どうせ、本気じゃないのでしょう?」
「…馬鹿かテメエ。そっちの腑抜けはともかく、サーヴァント相手に簡単に引けるかってんだ。…ああ、そうだ。訊いてやるよ。テメエ、クラスは何だ―――」

 腑抜け、と称されたことに少年は「むっ―――」と不満げに拳を握る。
 女はにんまりと―――そう、邪気も毒気も併せ持ったひどく恐ろしげな笑みを浮かべ。

「あら、分からない? まぁ、当然でしょうけど?」

 なんて言いながら、ふっ、と息をついて、纏め上げた髪からこぼれた長い一房をさらりと払う。
 なんとも優雅で、華やかな挙措。
 たとえその口の端に乗る言葉がやたらと挑発的で無礼な言葉に他ならなくとも、甘い睦言を囁かれているようだ。

「チッ」

 殺気が、ぶわり、と膨れ上がり―――
 少年の体が知らず後ずさる。

 ヤバい、と、全身が叫んでいた。
 まずい、あれは、まずい。
 夜の校庭で争う青赤。
 青い方のソレに、吐き気がするほどの魔力が流れていく。
 殺される、と、あの時ワケもなく確信した。
 あの赤いヤツは殺される。
 あの一撃は防げる筈がない。
 死ぬ。
 
 まずすぎる、危険だ―――思考の展開の果て、急速に収縮、固まる。

 ―――助けなければ。

 かちりと、固まる。
 逃げるという選択はない。
 助ける。
 助けないと、いけない。

 だって、少年は助けられた。
 誰かに、そしてこの女に命を救われた。

 それならば、助けなければ。
 震える足を押さえつける。
 止めなければ。
 助けなければ。

 そうじゃないと、そうしなければ―――

 あの男は、女を殺すに違いない。
 殺して、殺して、殺して、そうして笑うのだ。
 狂犬のように。
 獣のように。
 
 だから、震える足を叱咤して、女を庇うように、否、庇うために走る。
 今少年ができる限りの速度で、あらん限りの覚悟を持って、疾走する。

 一瞬瞠目する女の瞳。
 虚をつかれたのか、一度は目の前に少年が立つのを許し、そして一瞬で排除した。
 少年の襟首を掴み、吹き飛ばす。加減はされていたのだろうが、少年の体は軽々と宙を飛び、出てきたはずの土蔵へと押し込まれる。

「馬鹿っ! 邪魔するんじゃないわよ!」

 少年へ怒鳴りつけながらも、女は男への視線を緩めない。
 その視線は、警戒では…ない。
 信用、違う。信頼、違う。
 ただ、確信。
 そう、確信だ。

 男は天を仰いで、くっ、と笑う。
 一瞬で殺気を散らし、槍すらも虚空へと消え去った。
 女との距離は2メートル余り。女ならばすぐさま詰められる距離だろうが、男は最早気にしなかった。

「くそ、いい女じゃねぇか」

 からりとした顔で笑う。
 女はそれに答えるように、満面の笑みを浮かべ。

「そ、嬉しいわ。ランサー。―――わたしもあなたみたいな人は好きよ」

 やけに、感慨深い声で、そう、言い放った。
 さすがに男は呆気にとられ―――。

「はっ、そりゃ光栄だな! 次会う時は最高のデートだ」

 そう言い残し、堂々と背を向けた。その姿は誇り高く、英霊と呼ぶに相応しい。
 塀を乗り越えようとして、ああ、と思い出したように振り替える。

「そういや、結局あんたのクラスは何だ? 正直検討もつかねぇ」

 全く情けねぇと首を回す男に、女はにんまりと笑って見せた。

「イレギュラー、いえマイナーかしら。七騎士じゃないわ」
「はぁ? んだそりゃ、分かる訳ねぇじゃねぇか」
「だから、"当然"だと言ったじゃない」

 挑発ではなく、"事実"としてそれを言った。
 それをどう捉えるかは各自の自由。
 笑う女に男は呆れ、けれども清清しい気持ちで笑っていた。
 楽しいと、そう戦闘以外で感じるのは久しぶりだ。
 トン、と跳躍。見も心も軽く塀を乗り越えた直後、凛とした、涼しい声が耳に届いた。

「タクティシャン」

 ―――策士、と。
2010年6月20日
 正直Fateみたいなめちゃくちゃ大人気で素敵過ぎる創作が溢れる中に、自分が書いたもの出すのはめちゃくちゃ緊張するというか申し訳ないというかびびるんですが、書きたくなっちゃって、書いちゃったので…こっ、こっそり頑張ります。
 少しでも気に入っていただけると嬉しいですっ。

 タクティシャン、割と存在そのものがご都合主義的なサーヴァントです。
 その真名は―――ねぇ?(笑)