空に向かってそびえ立つ大木は私にはなぜか寂しそうに見えた









　明日、いいものを見せてあげるよ、とハクヤが言った。



「美緒〜、はやく〜」

　人ではありえない身軽さを私に見せつけながら、ハクヤはぴょんぴょんと忍者のように木の枝を渡っていく。
　対する人間の私といえば、その下の地面を息を切らしながら歩くしかない。

　翌日、ハクヤに連れていかれたのは神社の裏にある大きな山だった。
　ハクヤの神社は、山の中腹に建っている。
　村の人々は鳥居の挟まれた長い長い階段を上って神社までやってくるのだ。
　そんな神社で生活するようになってから、階段の上り下りにはかなり強くなってきたと美緒は思っていたのだが。

　神社よりも標高の高いところは普段人の立ち入らない森。
　深い深い、人の手など入っていない深い森。
　当然、道などない。
　そんな山の森を、美緒はハクヤについて登っていた。

「……ちょっと……休憩……」

　山道を登っている足よりも、息の苦しさに限界を感じて美緒は木の根元に腰をおろした。
　山の森の、澄み切った冷たい空気が喉や肺に入ると引きつるような痛みを感じる。
　山登りで息が切れている今は、なおさらに痛い。

「大丈夫？」

　かなり先まで登っていたハクヤが座り込んだ美緒に気付いて戻ってきた。
　心配するくらいなら抱えて連れて行ってくれればいいのに、と真剣に思う。
　
　息を切らせながらじと目でハクヤを睨むと、息に少しの乱れもないハクヤは苦笑いして小夜の背をさすった。

「もうちょっとで頂上だからさ、頑張ろうよ、ね？絶対、美緒に見てもらいたいんだよ」

「そう言うんだったら連れていってよ。歩かせるんじゃなくて」

　唇を尖らせて文句を言うと、ハクヤは困った顔をして立ち上がった。

「美緒の足で歩いて見て欲しいんだよ、この山をも含めてさ」

　言って、頭上を見上げた。つられて美緒も頭上を見る。
　頭上からは、高い木の枝からこぼれる陽のひかり。
　木の葉が光に透けてみえるせいか、落ちてくる光さえも緑色のような気がしてくる。

「ここらへん一帯は僕の領域だからさ、美緒にも知っておいて欲しいんだ」

「うん…。とても綺麗ね、この森も、山も」

　にっこり笑って美緒が言うと、ハクヤの頬にさっと朱がさした。

「あ、照れた？」

「べ、べつに。さっ、行くよ！」

　赤くなった頬を隠すように前を向いて、ハクヤは後ろ手に美緒の手を引いて歩き出した。
　今度は美緒に合わせて、ゆっくりと。








「着いたよ」

「ここが…？」

　ハクヤが美緒の手を引いて連れてきたのは山の頂上だった。
　森が少しひらけて、広場のようになっているところの中央。そこに注連縄が巻かれた白樺の木が一本、立っている。

「これが、僕の本体」

「え…？」

　こともなげに言われたその言葉に、美緒は戸惑ってハクヤを見上げた。
　目の前の、髪から服まで真っ白な神様の本体が、この大木？
　驚く美緒を木の根元に座らせ、ハクヤはその横に立った。

「ほら、ここからだと村が見渡せるでしょ？」

　頷く美緒を微笑んで見て、ハクヤは眼下の景色に視線を戻した。

「この森に住む動物達も、この景色が好きみたいでさ、最後の場所によく僕の根元を選ぶんだよね」

　景色から視線を逸らさずに、ハクヤは語る。

「たくさん看取ったよ、鹿やウサギや鳥や。
…そのなかには僕に魂を預けてくれるコもいてね、僕は彼らの魂の寄せ集めのような存在なんだと思う。
でも、人間は混じってないんだよ。ここまで来る人間はめったにいなかったからね」

　美緒に視線を戻して、ハクヤが微笑む。
　どこか哀しそうな、寂しそうな微笑みだった。

「人間が混ざってないから、人間に憧れて傍によりたいと思うのかもしれないね、僕は」

「………」

　ハクヤの微笑みを見ても、美緒には何も言うことができなかった。
　いや、何かを口にすることが間違っているような気がしてならなかった。
　何を言葉にしても、薄っぺらなうわべだけの言葉になってしまうような気がした。

　だから、立ち上がってハクヤの横に立つと、腕をまわして彼を抱きしめた。
　ハクヤが抱きしめ返してくれる気配がして、温もりが美緒を包む。

「美緒も、死んだら僕の中に入る？ずっと一緒にいられるよ」

　どこか寂しげな言葉に思わず彼の胸にうずめていた顔を上げると、至近距離にハクヤの顔があった。
　その言葉とは裏腹な、どこかいたずらっぽい少年のような笑顔。

「でもやっぱり、このままが一番いいよね！……触れ合えるからさ」

　そのままぎゅっと強く抱きしめられて、美緒も負けじと抱きしめ返す。
　ここにいる彼の存在が、たくさんの動物達のおかげなのならば彼らにお礼を言わなければならないと、美緒は思った。
　彼という存在に、私は…私達は、守られ支えられているから。