夕焼けに染まる木の葉を肴にして、っぽのグラスに酒を注いだ









「起きた?」

 人の気配に目を覚ますと同時、どこか人を食ったような、悪戯な調子で問いかけられる。
 ぼんやりと視線を転じて相手の姿を探す。
 探した方向が見当違いだったのかどうか、相手の顔を拝むよりも早く、ふわりと特徴のある香りが鼻について、細くて長い指が顔の前でひらひらと泳いだ。紅く塗られた長い爪が残像のように瞼の裏に残る。
 紅い爪先を追いかけると、一人掛けソファーにゆったりと身を預ける、くるくると跳ねる特徴的な長い黒髪をもつ女の姿。
 ソファーの上で組んだ長い足の上に肘をついて、女は思っていたよりも穏やかな表情でこちらを見ていた。その姿はなんとも魅惑的だったけど、それよりもそのあまり見ることのない柔らかい表情に目を奪われた。
 小さく息を呑んで、けれどもそのことを知られないよう、殊更意識していつも通りの声を装う。

「やっほー紅。なんか、ご機嫌?」
「ええ、まぁね」

 鼻歌でも歌いだしそうな調子で、女はにこりと子供のように笑って見せたから、"いつも通り"、はどこかへ飛んで、ひどく驚いた。この滅多に笑う事のない冷たい女に一体何があったというのか。

 そこまで考えて、まぁ酒絡みか弟子絡みなのだろうと容易に想像がついたので苦笑する。
 彼女がこよなく愛してる物はその2つ…まぁ弟子が3人なので4つだ。

「それで?」

 何があったの?そう問えば、鼻歌と共に迫力満点の笑顔が降ってくる。

「ふふ。聞いて喜んで泣いて感動なさい」

 笑えばいいのか泣けばいいのか迷いそうだ。
 そう思いながら先を視線で促すと、紅はくるりと後ろを振り返り、なにやらごそごそと紙袋の中をあさる。
 じゃじゃん、とばかりに出てきたのは、なんともまぁ見慣れぬラベルをした見慣れた一升瓶。やっぱり酒か。

「木の葉一本桜! 木の葉酒の中でも銘酒中の銘酒よ」

 一升瓶に頬擦りしながら、とろけそうな笑顔でくふふと笑う。
 ひどく妖しい光景ではあるが、まぁ、これは惚れた弱みという奴で、可愛いなーとか思えるから全然いい。
 とりあえず笑っておく。笑えだの泣けだの言った割りに、カカシの表情には全く頓着していない紅は誇らしげに胸を張った。

「これを、中忍昇格のお祝いで貰ったのよ…。普通、逆だけどね」

 ああそういえば中忍試験の結果が出たんだな、とかのほほんと思う。
 紅の愛弟子たちは見事中忍へと昇格したのだろう。そして師に対する感謝の形としてその銘酒を送ったのだ。…酒なのはどうかと思うが、まぁ、紅の好みをよくよく把握しているからこそであろう。
 自分の受け持ち班のピンク色の髪を思い浮かべて、まぁ受かっただろうとか思う。最近は綱手に弟子入りしてほとんど会ってもいないが、中忍試験を受けるということは知っている。3人で受けるのが原則のこの試験で、他の2人のメンバーを調達したのもカカシだ。受かったとしても紅の班みたいなことは絶対にしてくれないだろうけど。

 よっこらしょと身体を起こして、紅の頭をよしよしと撫ぜた。

「うん。良かったね」

 一瞬きょとんとした紅の顔が、僅かばかり照れたようにほんのりと赤く染まって、視線が軽く逸れる。いつもなら跳ね除けて「ふざけるな」とでも言うだろう女傑が、何も言い返さずに素直に頭を任せていることは、なんとも気持ちがいい。
 もっとも、一皮剥いてしまえばとても可愛らしい女性であることは知っているのだけど。

 まだ開けた様子もない一升瓶には傷一つなくて、貰ってからまず一番に見せにきたのだろうと思う。そういうところが、すごくすごく、可愛いと思う。…十分に成熟した女性に使う表現ではないと思うのだが。

「…さて、飲みに行きましょう、カカシ」

 一升瓶を軽く振って、にんまりと紅は笑う。
 閉じたカーテンを開けて外の様子を確認すると、思ったとおりの夕焼け空。
 カカシがこんなに早い時間から布団に潜りこんでいたのは、暗部任務の方が連日徹夜になってしまって終わったのが今日の昼をとっくに過ぎた頃だったからだ。

「…って、紅、いつから来てたの?」

 中忍試験の結果が出るのは試験終了翌日の朝一番。
 それから合格した者達は中忍ベストの支給や任務の変化の説明や心構えやなんやらと結構色々とあって、紅が木の葉酒を8班メンバーから貰ったのはきっとその後。それからきっと昼ご飯はお祝いかねて一緒に食べたのだと思う。
 カカシが眠りについたのは午後2時過ぎだったが、どれだけ8班と居る時間が長引いたのだとしても、そのころには終わるだろう。もう4時間も立っている。

「さぁ? 3時くらいだったかしら?」

 それだけの間部屋にいられても気付かなかったなんて、と思うと同時、それだけ待たせてしまったのかと愕然とする。

「暗部任務続きだったみたいだから、寝かしといてあげたのよ。それに、丁度これから晩酌にいい時間帯だわ」

 呆然と固まってしまったカカシに、紅は上機嫌のままくすくすと笑って、一升瓶を抱きしめた。
 紅は待たされるのは嫌いだし、待たせる奴も嫌いだが、今回ばかりは別だった。自分でも驚くほど待つのはが苦ではなかったし、熟睡する無防備な男の寝顔を眺めているのもそれはそれで面白かった。

「えーっと、ごめんね?」
「謝る暇があったら早く出かけるわよ。早く飲みたいんだから」

 言うと同時、紅はグラスを食器棚から取り出し長い黒髪を揺らして踵を返す。
 そのあっさりとした動作に苦笑して、カカシはとりあえずポットと水のペットボトルとを抱えて後姿を追った。

 2人で飲む場所はお決まりで、いつも火影岩の上の高台。
 店に行くのでなければ、必ず外で飲むのも2人の決まりごと。
 いつからそうなったのかは2人とも覚えていない。
 覚えていないほど昔から、こうして2人酒を飲み交わす。

 カチンとグラスを合わせて木の葉の里を見回す。
 それは本当に毎度毎度お決まりの儀式で、なんとなく酒が美味しくなる。

「あ、美味い」
「…ん、いけるわね」

 夕焼けに染まる木の葉を肴に、2人にんまりと笑った。