まっすぐに晴れたのように鮮やかな瞳は、忘れようと思っても忘れられるものじゃなかった









 砂の乾いた大地に女が立っていた。
 水も木も動物も、何もかもが死に絶えた様な大地で、女は何かを見つけ、そして、足を止めたのだ。

 何かとは、何かだった。
 ただのぼろきれのような、ゴミのような、屍のような、動物のような、人のような、人でないような…。
 つらつらと連想できるものを思い浮かべながら、それを観察する。

「あーーーーーーーーーー…死んだ」

 それは、突如身を跳ね起こすとそう呻き、もう一度土の上に突っ伏す。
 突っ伏した先で、目線にある細い足首と、よく見慣れた忍の使用する靴を見つけ、ぼんやりと視線を上にスライドさせる。

「あーーーーーーあんた、確か」
「近頃の生ゴミは口を聞くんだな、嘆かわしい」
「はぁ!?」
「ここは風の国の管轄だ。間違っても木の葉のもんが落ちてていい場所ではないんだがな」

 深い深い息をついた女に、その生ゴミと呼ばれたもの、人間の男はしばらくぽかんとして、それから唐突に噴き出した。
 真っ黒に汚れた髪とか、服とか、手足とかはまぁ確かに汚らしくて、生ゴミといえば生ゴミなのだろう。人間をゴミと呼んでいいのなら、だが。
 人間と分かった時点で他のアクションがあってしかるべきだろう。
 大丈夫か、とか、なぜこんな場所に倒れていたんだ、とか、怪我をしているのか、とか。
 その全てを女はすっ飛ばした。

「もう木の葉じゃない」

 笑いながら手に持っていたぼろ屑を女に見えるよう掲げる。
 木の葉のマークの上を何度も何度も削った、元がなんのマークであったかすら分からなくななりそうな額宛。

 女はさすがに驚き、小さく息を呑んだ。
 女の額には、しっかりと巻かれた砂のマークが刻まれた額宛。

「木の葉を、抜けたのか…」
「追い出された、の間違いだ」
「………なぜ?」
「あんたの弟と同じ、化け物だから、で、納得いくってば?」
 
 殊更綺麗ににっこりと笑った、馬鹿で、ドベで、喧しく前向きな、元木の葉の忍。
 男の言葉に、女の瞳を様々な感情が走りぬける。
 戸惑いよりも、弟を引き合いに出された事による怒りが女を包んでいた。

「一緒にするな。我愛羅を追い出すようなことはしない。絶対に」
「ふぅん? いいね、我愛羅は」

 いい肉親がいる。
 静かに静かに笑った男に、女は苛立ちもあらわな形相で、背負っていた扇子を手にかける。
 そのまま扇子で吹っ飛ばされるのだろうか、と一瞬思い、それもいいかと小さく笑った。
 どの道、こんなところで行き倒れていても生き延びれる可能性は殆どない。最後の最後で人に会えたことこそ幸せというものだろう。

 女は男を見下ろし、何度かつま先で砂を叩く。
 どうやらすぐに殺す気はないらしい。

「2択だ」
「はあ?」

 まっすぐに背を伸ばし、砂漠の大地に立つ女は妙に威圧感があって、男はぽかんと口をあける。その中に風に吹かれた砂が飛ぶがまるで気にする様子はない。

「このままここでのたれ死ぬ、砂の忍として生きる…さぁ、どっちを選ぶ?」

 何故だか異様な存在感のある女は、にぃ、と笑んで、馬鹿でかい扇子を男の顎先へと突きつけた。
 男の返答によっては、女は何の迷いもなくこの扇子で首元を横なぎにするだろう。遠目で見ていたときは分からなかったが、骨組みは全て鉄だ。紙に見せかけ見えないようにしてはいるが、細く鋭い鉄片が紙の長さとピタリそろえられている。紙に隠された鉄の鋭い扇子の先はよく切れる刃と同様だろう。こんな無駄に重そうな武器を選んだ女の意図が全く分からない。もっともその重さは何らかの術で調節しているのだと思うが。

 男は鉄の刃を指先でつまみ、下へ押す。
 大した力は込めなくとも、扇子は簡単に下がった。今男が何をしようとも生き残るだけの自信が、女にはあるのだろう。
 そしてそれは確固とした事実でもあった。
 平常なれば、男は女を上回るだけの力を持っていただろうが、今はもう戦うだけの気力も力も残っていなかった。更に言えば、男は実力を偽り、遥かに弱いように見せかけてきたが、どうやらそれは女もまた同様のようだった。
 対峙しただけで、その強さは伝わってくる。かつて、木の葉の下忍、砂の下忍として出会ったときとはまるで比べ物にならない。
 互いに力を欺いていながら、そのことに今の今まで気付いていなかったと言うのならひどく滑稽だった。

 ひどくのんびりとした動作で、男は立ち上がり、その重みを足が支えきれずに僅かに揺らいだが、こらえる。

「……俺ってばさ、馬鹿だからわかんねーってば。俺が砂の忍になるより、ここで死んだ方があんたは楽だろ?」

 口の端を吊り上げて、女を見下ろした。
 身長だけは大分伸びたので、女よりも頭一つ分は大きかった。
 鼻先がぶつかるほどの至近距離で、男は女の瞳を見据える。
 女は視線をけして逸らさず、まっすぐに男の瞳を捕らえた。
 そのあまりにもまっすぐな、強い視線に負けないよう、殊更意識して視線に力を込める。睨みつけるような格好で、男は女の言葉を待った。

「なんだ、死にたかったのか? お前は」
「や、それはねぇけどよ。砂に木の葉の厄介者は不要だろう? いつ裏切るかも分かったものじゃない」
「そうでもない。里に捨てられた忍に行く場所なんてないからな。のたれ死ぬくらいならうちで有効利用させてもらうさ」
「…果たして有効かどうか、ねぇ」

 自嘲気味に笑い、女から視線をそらした。
 うずまきナルト、という、九尾を腹に抱えた男が里を追われたのは、里の人間を殺した所為だ。激情に我を失い、力を隠していた事さえも忘れ、術を使った。散々馬鹿にされたこととか、暴行を受けた事とか、そういう些細な事情はないと同じ事。人を殺した化け物は人に狩られる。
 それだけの事だった。

「忍なら忍らしく、任務の中で死ねばいいさ。あんたが砂で出来る事は山ほどあるんだからな」
「そりゃ…ありがたいってば」

 嘆息交じりの言葉に、女ははふと首を傾げ、にんまりと笑った。
 その表情に何か嫌なものを覚え、とっさに身を引きかけるが、その前に強い視線とまともにかち合い、金縛りにあったかのように動けなくなった。
 やけに強い光を放つ翡翠の瞳は、うずまきナルトを捕らえる。

「お前のその目が好きだ。まっすぐな深い青。海よりも遥かに深く、空よりも尚鮮やか。生きている目だ」

 いきなりなんという告白をかますのか。予想の遥か斜め上を貫いた言葉に、ナルトは追い詰められた気分になった。何がどう追い詰められているのか分からないが、それでも何故か妙に落ち着きなく、焦る。

「お前を生かす理由なんて、それで十分だと思わないか?」
「……なんだよそれ…。結局あんたの嗜好じゃねーか」
「それのどこが悪い? 愛が砂を救う。結構なことじゃないか」
「や、愛じゃねぇってば。意味わかんねーし」
「いいや、愛だよ」

 するりとさらりと女がのたまうので、どこまで本気なのか図りかねる。
 女は笑っているのかと思えば何故か真顔で、その瞳に人を欺くような狡猾な色はないように見える。困惑する男に、女は何事もなかったかのように平然とした態度で言い放った。

「それで、生きるのか? うずまきナルト」
「そりゃ生きるさ。当たり前だってばよ」

 死にたい奴なんて、いない。
 死ぬ覚悟は出来ていても、本来生きたいに決まってる。

「そうか」

 そう、小さく笑って見せた女は、どこかほっとして見えたから、少しだけ、意外に思った。好きだの愛だのは信用ならないが、今垣間見えた表情だけは、信じてもいいような気がした。

 だからうずまきナルトは砂の女の手を取り、共に帰る。
 木の葉とはまるで違う、砂で覆われた土地へ。

 もう一度、生きるために。