空々しいほどの演技の中で、絶対に無理だと思っていた念願が叶いました
「おい、何をしている」
こめかみにぴくぴくと浮かぶ青筋を綺麗に綺麗に無視して、ヒナタはその行為を続ける。
その行為というのも、目の前にいる人間の妙に滑らかでしっかりした弾力のある胸を揉むという単純極まりなく、ある意味とてつもなく不埒な真似であった。しかも抗議の声も空しく延々と続ける。
壁を背に座り込んで本を読んでいたテマリは、本と自分の体との隙間に体をねじ込ませてきたヒナタに続きを読むのを諦める。本を閉じてお手上げのポーズ。
その間もヒナタは無心に胸を観察し、その感触を確認していた。
深い深いため息をついて、テマリは本を床の上に置いて両指を合わせる。狭くなった両腕に閉じ込められたヒナタは、先ほどまで散々触っていたふくよかな胸に顔が押し付けられて目を瞬かせた。
テマリはうんざりと印を組む。本来の自分のものでないとはいえ、延々と女の武器をこねくり回されているのは気分が悪い。…そう、決してテマリ本来が持ち合わせているものではない。
ヒナタの頭上で深いため息が吐かれると同時、目の前にあった膨らみはきえて、変わりに薄い胸板に頬が引っ付く。ヒナタが乗っていた少女の足は明らかにたくましく、印を組んだ腕もまたはっきりと太く筋肉の質が変わる。伸縮性のあるタンクトップは突然の体の変化にも物ともしなかった。と、言うよりも元から耐えれるように作られているのだろう。
ヒナタの瞳がぱっと輝いて頬を微かに赤く染まる。猫の子のようにして頬を目の前にある胸にすりつけた。
先ほどの柔らかな感触とはまるで違う筋肉質で薄い胸板。
「ヒーナータ」
顔に手を当てて、テマリは呆れはてる。その声もまたさっきよりもずっと低く、落ち着いた声質。
女から男へと姿を変えたテマリは、ヒナタの頭を掴んで自分の胸元から引っぺがす。
この姿が、テマリの本当の姿。ヒナタとテマリの家族以外は誰も知らないこと。
ほんのりと赤く染まったその頬をテマリは両手で包み込んだ。女の時の手よりも遥かに大きく、広い手のひら。伝わる温度は明らかに高く、テマリはふと落とすようにして笑った。
女である時の彼女が見せるものよりもずっと穏やかで、柔らかい微笑み。
本来の姿であるテマリの基本的な目鼻立ちは女の時と変わらない。その代わり女の時よりも遥かに精悍さが増し、切れ長な瞳は矢張り人を魅了する光を放っている。女として姿を偽ってきたテマリは、"女"である時の自分の姿には特に気を使うし、その効果をよくよく把握しているが、本来の姿にはひどく無頓着だ。
「…………」
「なーんーでそんなことをするのかな。お前は」
熱くなった頬をつまんで、テマリは笑う。
いつもの彼女とは違う笑い方で。ヒナタしか知らない笑い方で。
自然と笑顔がこぼれて、ヒナタは思いっきりテマリに飛びつく。その勢いに負けて、テマリは壁に頭をぶつけた。
「っつぅーーー」
「だって、変化の術でどこまでしっかり出来てるのか気になるじゃない？ テマリのはとても形が綺麗だし」
なくなった膨らみを探すようにぺたぺたとテマリの胸を触って、ヒナタは首を傾げる。彼女が観察及び触ってみた感じでは、非常に良い出来だった。どっちが変化の術で出来た胸なのか並べられても判断するのは中々に難しいかもしれない。
誰のそれをモデルにしたのか、という一点は気にならなくもないが…。
したたかに打ち付けた頭を振りながらも、テマリの表情は穏やかだった。
木の葉の同期達が知るはずもないテマリの本当の素顔。嬉しくなって、ヒナタは顔を上げて提案する。
「ねぇテマリ、このまま外に行かない？」
「はぁ？ なんで」
「その格好ならテマリって誰も分からないよ。だから一緒に出かけようよ」
満面の笑顔に、テマリは瞠目した。あんまりにも無垢で、まるで幼子のような笑い方。それはテマリの知らない笑い方だ。
砂の上忍となったテマリと木の葉の中忍であるヒナタでは中々会う機会が少ない。数ヶ月に何度かある合同任務か、休みを合わせてこうして会うくらいだ。
だからお互い知らないことはまだまだあるのだろう。
既に遠い日となった出会いをテマリは思い出す。
―――お前、まさか日向の………！ 日向…ヒナタ！
―――その目…その髪…。 砂の…テマリ！
互いにチャクラなんて使い果たしていた。
どろどろに汚れ、血にまみれた状態で、意図せずに２人は出会った。
その時テマリはヒナタが知っている実力以上の力と、全く違う性格を持っていることに気付いた。そしてまたヒナタも気付いたのだ。金色の髪をした男が、砂の下忍である少女に違いないのだと。
普段とはかけ離れた格好と眼差しでありながら、一目見たその瞬間に確信した。
それはまるで、出会う事が定められていたかのように。
「テマリ、聞いてる？」
普段よりも低い場所にある顔に見上げられて、テマリは我に返った。
きょとんとした、無垢な瞳に笑う。
テマリもまた…本人すら気がつかないうちに穏やかな瞳でヒナタを見下ろしていた。
２人を知る周囲の人間が見たらあまりにも驚くだろう。
いつもどこか怯えたような瞳の中忍としてのヒナタを知る者たちも、冷たい瞳で全てを跳ね除ける冷たさを持つ暗部としてのヒナタを知る者たちも。
いつも不敵で挑戦的な瞳を持つ上忍としてのテマリを知る者たちも、女ではなく男の姿がテマリの本当だと知る家族たちも。
あまりにも、彼女と彼は違うから。
彼らが知る２人はそんなにも穏やかに笑ったりなんてしないから。
本人たちはまるでそれに気付かない。
「それで、なんで？」
「え？」
「外に出たらばれるかもしれないだろ？ 特にヒナタは」
「大丈夫。白眼さえ隠してしまえば誰も気付かない」
そうにっこりと笑ってヒナタは瞳に術をかける。特徴的な白い瞳が隠れてしまえば、この生き生きと瞳を輝かせる少女が"日向ヒナタ"だとは誰も気付かないだろう。いつも俯いている少女の顔立ちは、余程親しい者でなければしっかりと認識していない。その上今のヒナタは目鼻立ちこそ変わらなくても、表情はあまりに違うから。
それをテマリは分かりすぎるほどに分かっていたが。
「そーいう危険な真似はあまりしたくない」
「………」
素っ気無く言い放たれて、目に見えてヒナタの表情が曇る。
ぎく、とテマリの体が凍った。
別に悪い事を言ったつもりはまるでないし、普段とは全く違う姿を見られて感づかれでもしたら最悪だ。知られてはいけないから隠しているわけで、隠しているということはばれたら色々とひと悶着あるということで。
当然のことしか言っていない、筈、なのだが。
（な、なんで）
奇妙な罪悪感にテマリは平べったくなった胸を押さえる。
女の格好なんてしていても女心が分かるはずもない。
「………別に外に出る必要はないだろ」
ヒナタの機嫌をそれ以上損ねないよう、そろそろと口に出す。
「…たまには、一緒に買い物とか行きたいし」
後、見せびらかしたいし。
口には出せなかったので、俯いた状態でちらりとテマリを伺う。
「………」
「………」
「………………」
「………………」
「………………………」
「………………………今回だけな」
先に折れたのはテマリだった。
ぱっ、と顔を輝かせたヒナタに負けましたとテマリは両手を挙げる。その首根っこに抱きついて、少女は笑った。初めて会ったときよりも遥かに大人びた少女だが、まるで子供のように笑うから、テマリはもう苦笑するしかない。
「ねぇ、テマリ」
「…何」
「私の彼氏として皆に見せに行っちゃダメ？」
テマリの嫌な予感に、ヒナタはにっこりと最高の笑顔で返した。
嫌な予感ほどよく当たるものだ、とどこかで冷静に思って、そのくせしっかりと動揺したようでくらりと眩暈がした。
ヒナタの満面の笑顔を目の前に捉えたまま、こつんと額を合わせる。
薄く笑ったことにヒナタは気づいただろうか。
精も根も尽き果てたような様子で、テマリは乱暴に胡坐をかいた。
一本に纏めた砂色の髪を苛々と解いてかきむしる。ヒナタはそれとは対照的な上機嫌でその首に取り付いて、にこにこと笑った。
「っていうか、ヒナタ演技忘れてるだろ」
テマリは長い髪の隙間から呆れた視線をヒナタに注ぐ。２人がいるところから大分離れて、ヒナタと同期の仲間達がじっと見ているのだ。彼らはヒナタが暗部だということなどまるで知らないし、中忍時に装っている性格が本来とは違うことも知らない。
言われて初めて気がついたのか、ヒナタは慌ててテマリの体を使って自分の姿を仲間たちから隠す。浮かれるにも程があるというくらいに、浮かれているのが見ていてよく分かった。
テマリがヒナタの彼氏として紹介されたのはついさっきの話だった。
サクラといのの質問攻めにあうわ、キバとシノは何故か戦闘準備を始めるわでとにもかくにも散々だったのだ。
「だって、念願かなったんだもん」
「念願？」
「皆に見せびらかす事」
にっこりと笑ったヒナタの肩を抱き寄せて、その唇に口付けた。テマリはその一連の動作をあまりにもさりげなく、流れるように行ったから、一瞬誰もが反応出来ずに固まる。
「ひひひひひっひひなた！！」
「すっ、すっげーすっげーってば！！」
「い、今の…！！ 今の見た？ いの！！？！！？！？」
「ば、ばっちり見たわよーーーーーー！！！！！」
「い、今、今あいつ、ひ、ヒナタに、きっききききき」
「…接吻をした……な」
「ちょ、し、シノ！！！ なんでおまえ蟲出てんだよ！！！ くそめんどくせーーー！！！」
「ああああ赤丸、なんでそんな怒ってんのさ、っていうかキバもシノも落ち着いてよ！！」
「………うるさい」
喧騒をよそに、テマリは笑う。
それは彼が彼女であるときによく浮かべるひどく悪戯なもので。
「見せびらかすなら、これくらいは必要だろ」
しれっとして、テマリはヒナタの耳元で囁く。
顔を真っ赤に染めたヒナタはこくこくと頷いて、テマリの腕の中で目を瞑った。
もう２度とはないであろうこの幸せな瞬間を大事に大事に胸の奥に仕舞い込んで。
