「初めまして、だね。瀞稜せいりょう。…ううん。キバ君」

 そう、少女は笑った。















い 手」










 赤い。

 赤い。

 目の前に広がるのはただただ赤い世界。

 未だ慣れぬのは己の弱さか。

 力を入れすぎて鬱血した右手を、震える左手で刀から引き離す。

 べっとりと絡んだ血が両手を赤に染めた。

 刀を振って血を飛ばし、布で綺麗に拭き取ってから背に収める。

 己のした行為の後を一度ちらりと見て…すぐに逸らした。

 気を紛らせる為にこちらに近づく気配に意識を向ける。

「瀞稜。そっちも終わったの?」

 軽やかな女の声と同時に声の主が現われる。

 その姿を見た瞬間、瀞稜は顔をしかめた。

 暗部服を身に纏い、肩先までの黒髪を緋色の飾り紐で一つに括る。

 顔を隠す役割のはずの暗部面は、腰に紐で結ばれている。

 日向の白き宝石を瞳にもつ女は、その頬に、額に、身体に赤を纏い、
それでいながら厭う様子は全くなく、怜悧な、整った顔には淡い微笑すらのっていた。

 面の下で嫌悪を顕にする瀞瞭の、その顔が見えているかのように女は笑った。

 いや、実際見えているのだろう。

 それ故の白き瞳。全てを見透かす日向の宝。

 それを分かっていながら瀞稜は尚も顔をしかめた。

「何をしにきた。黒蝶こくちょう

「私も終わりましたので先輩である貴方に報告しようかと思いまして」

 その言葉を瀞稜は鼻で笑って、黒蝶と呼んだ女に刀を向ける。

 それに応える様にして、黒蝶は微笑をそのままに構える。

 すう―――と、伸ばされた手は肘上まで赤く、それはまるでどこまでも続く道のようで、気分が悪い。

 苛々したまま刀を引き抜き、黒蝶へと滑らせる。

 その動きにはどこにも容赦がなく、優雅でありながらひどく鋭い。

 その刀の背を黒蝶は素手で受け流し、流れるような動作で、瀞稜の懐に背を向けて入り込むと、
こちらもまた情け容赦のない肘が鳩尾へと沈んだ。

 と、同時に瀞稜が起爆札を爆発させる。


 自分の身体ごと―――。


 いきなり破裂した瀞稜の身体は煙となりて立ち昇る。

 人の焼ける筆舌しがたい音に、その様。

 瀞稜の、いや瀞稜の影分身の起こした爆発に、黒蝶の身体がやすやすと吹っ飛び、
人のパーツを取り溢した。

 その事に、瀞稜は驚いたかのように視線をさまよわせる。

 それをさえぎる様にして、ふわり、と、紅が舞い上がる。

 黒蝶の血が瀞稜の身体にまとわりついて、全てを赤く染める。

「―――っ!!」

 どろりとした粘着な感触に、両手を持ち上げれば流れ落ちる大量の血液。

 それを見て、反射的に声をあげようとして………気付いた。

 いや、目が覚めた。

 そう。


 ―――幻術だ。


「―――っ!」

「それで、恐がりで臆病者の木の葉一の技の技術士瀞稜は一体何に脅えているのかしら?」

 まるで何事もなかったかのような冷ややかな声。

 目の前で笑う女に舌打ちをする。

 じっとりとかいた背中の汗が気持ち悪い。

 まさに今見せ付けられた己と相手との実力差に愕然とする。

 自分の力は黒蝶に片手で遊ばれる程度。

 話し半分に聞いていた、隊長梓鳳と同程度の力だというのも、今なら頷ける。

 黒蝶のどこからが分身で、どこから幻術にかけられたのか分からなかった。

 ただ、今目の前にいる女は本物で間違いないだろう。

 深く深く息をついて、内心の動揺を押し隠す。

 もっとも相手が黒蝶ではさして意味はないだろうが。

「誰が、臆病で怖がりだと」

「勿論。貴方よ。瀞稜、いえ、キバ君」

「…お前がその名で呼ぶな」

「如何して?貴方は木の葉暗部第1小隊所属、技の技術士瀞稜。
 そして木の葉の秘伝を継ぐ犬塚一族長子犬塚キバだわ」

 くすくすと、笑みさえ刻んで、女は瀞稜の背に回りこむ。

 瀞稜は刀を振るって、女の居る場所を薙ぐ。

 ふわり、と避けた女は笑みを絶やすことなく瀞稜の暗部面を剥ぎ取った。

 露わになるのは、瀞稜と呼ばれる暗部の第1班しか見たことの無い素顔。

 繊細な面に浮かぶ険しく歪んだその表情。

「五月蝿い」

「逃げるの?」

「…黙れ、黒蝶」

「………」

 ほんの少し。

 ほんの少しだけ黒蝶の顔が無へ戻る。

 感情の浮かばぬ能面のようなそれは一瞬だけで、次の瞬間にはやはり笑み。

 瀞稜にとって、耳障りでしかない涼やかな笑い声が、奇妙な余韻をもって響き渡る。

「繊細で傷つきやすい瀞稜。強がりで前向きなキバ君。怖がりで臆病者の瀞稜。
 仲間を気遣う優しいキバ君。ぜーんぶ貴方だわ。その事実は変わらない」

 ふわり、ふわりと瀞稜の周りを移動しながら、黒蝶は瀞稜の暗部面を顔に当てる。

 べっとりと血を纏う面が女の顔を覆う。

 瀞稜の殺気を難なく受け止めながら、女は暗部面をゆっくりと横にずらした。

 現れた、その、顔は―――。


「ねぇ、そうでしょう?キバ君」


 白き秘宝を瞳に抱く、下忍第8班メンバーである日向家嫡子頭領姫。

 高く響く涼しげな声。

 柔らかな、母性さえ漂うような優しく慈悲深い笑みを浮かべながら、幼いその顔や身体には
べっとりと赤を纏う。


「………ヒナタ―――」


 真っ赤に染まった両腕で、ヒナタは瀞稜の両頬を挟む。

「ほら。貴方はこんなにも臆病。傷つきやすくて、優しくて…とても繊細で、とても強がり」

「ちが…俺は…!!!」

「違わないわ。私が日向ヒナタの姿をしているだけで、貴方はこんなにも動揺している。
 さっきまでのように殺気を飛ばすことも出来ない。傷つけることなんざ出来はしない。
 日向ヒナタが黒蝶である事実を未だ受け止められていない」

「―――っっ!!!」

 それは、瀞稜が心の奥底に隠していた真実。

 そう。

 自分でも気付かないほどの深淵に隠された、黒蝶に対するイラつきの原因。








 キバにとってヒナタとは………守るべき存在、だったのだ―――。


















 


 お題「赤い手」です。
 赤い手と言えば血みどろ。もう少しひねっていこうかな?とも思いましたが、結局そのままでuu
 長くなりすぎてしまったので3つにわけました。
 前回のお題「瞳」と同じ設定です。



 空空亭/空空汐