『夜け』






「何も思い出せない…の」

 その少女は、そう言った。
 黒髪黒瞳の少女だった。ほんの10にも満たないその少女を見つけたのは、本当に偶然の出来事だった。
 砂漠、という風の国に広がる自然の境地。
 その中にあっては、子供など点にも満たない存在。
 その、存在を、何の冗談か運命か…暁は見つけた。




 暁に、幼くして存在する事になった少女のお守りは、主に新入りのイタチの役目だった。
 何故、その少女を生かしておいたのか、暁の誰に聞いても分からないだろう。暁の面々の誰もが、少女と同じような年頃の人間を殺していたし、もっと小さな子供の命も奪ってきた。そもそも彼らは、各国の手配書でS級犯罪者に指定されているような残虐非道な者達ばかりであり、今更子供一人の命などどうでもいい筈だった。

 それでも、暁の誰もが少女を受け入れ、当たり前のように拾い、育てる事を決めていた。
 少女は何も持っておらず、害になることはなかったが、実になることもなかった。それでも暁は彼女を放り出そうとはしなかった。もしかすれば、誰もが小さなぬくもりを愛しく思ったのかもしれないし、異端であり、世界からはみ出した暁のメンバーになんの屈託もなく接する少女が救いに思ったのかもしれない。
 それは異様といえば異様であったが、小さな黒髪の少女は、当たり前のように暁に居場所を作った。

 少女の名を、暁は明時(アカトキ)と付ける。明時とは暁と同じ意を示し、現在では、やや明るくなってからを指すが、古くは、暗いうち、夜が明けようとする時を指す。暁の一員の証明であり、記憶を取り戻せた時、彼女は明時を迎えるのであろう。

 明時は、誰にも教えられることなく忍としての在り方を知っていた。身体に染み付いていた体術や刀術はその年頃として相当のものであることが分かった。忍術も基本的なことは使え、忍として必要な知識も既に持っていた。

 ないのは彼女自身の知識だけ。

 彼女の記憶は何をしても戻らなかった。
 しかし、その記憶は封印されている事が分かった。何の術かも定かではないが、人為的に手を加えられた記憶の喪失である事ははっきりしていた。

 イタチは明時に定期的に修行をつけ、暁のメンバーは、気紛れに明時に修行をつけた。暁の者達にとって暇つぶしでもあるそれは、確実に明時を強く成長させた。暁の者達は、ほとんどの者が同じ里の人間ではない。それが、明時に多種多様の術を憶えさせ、ほとんどの国の術をマスターする事となった。

 明時が暁に拾われて、5年がたった。






「木の葉の九尾を手に入れる…か」

 木の葉の人ごみの中で、ポツリと明時は呟いた。長く伸びた黒髪がさらりと揺れる。動きやすい黒装束を着た明時は、不思議と木の葉に街並みにひどく馴染んでいた。

「不満か?明」

 明時、それは少々呼びにくいこともあって、彼女の名前はいつの間にか明と略されるようになっていた。その明が呟いた言葉に答えたのは、暁衣装を纏うイタチ。彼もまた黒髪黒瞳であることもあり、2人並ぶとまるで兄弟のように見える。ただし木の葉の光景には全く馴染んでいない。黒い衣に赤い雲模様をあしらった、暁特有の衣装…明時曰く暁マントは、非常に良く目立つ。

「…不満じゃないけど…。九尾…か」

 整った柳眉に皺を寄せ、明時は苛立たしげに地を蹴った。聞き覚えがあるような気がしたのに、どうしても思い出せないのだ。結局、明時は自分の名前すらも思いだせない。身体が忍として生きていたことを知らせてはくれたが、それだけだ。

「何か思い出せそうか?」

 ただ首を振って、明時はイタチの言葉に答えた。
 イタチはそうか、とだけ言って何事もなかったかのように歩き出す。それを追いかけながら、木の葉の街並みを眺める。明時は、これまで様々な街を暁とともに巡ってきたが、木の葉では何処か惹かれるような焦燥があった。記憶がなくとも身体が覚えていた忍術から言っても、明時が木の葉出身であることは明らかだ。
 木の葉にくれば記憶も戻るかと何度も訪れたが、その瞬間はやってこなかった。

「そうだ、イタチ。鬼鮫とは合流しなくていいの?」
「もうそろそろ来るだろ。あいつも」
「ふぅん。あ、イタチ、団子!」

 突然方向転換をした明時はイタチの暁マントを鷲づかみにして、ずるずると引っ張る。

「明、そんな暇は…」
「あそこの団子美味しいんだよ。イタチは久しぶりでしょう?」
「そうだけど…」
「腹が減っては戦も出来ぬ…よね?」

 にっこりと笑って、イタチの返事も待たずに少女は身を翻し、軽い動作で団子屋へ入っていった。イタチはやれやれと肩をすくめ、その後を追う。
 一歩踏み出して、僅かに眉を寄せた。

 早いうちに団子を食べてしまおうとこっそり思う。多分、すぐに戦をせねばならぬから。







「イタチ、知り合いなの?」

 団子を頬ばったまま、明時は首を傾げる。口の動きすらほとんどなく、明時はイタチに意を伝える。団子屋の前ではたけカカシからと夕日紅、猿飛アスマが合流し、それから逃げるようにしてイタチと明時は木の葉の地に立っていた。イタチはしっかり団子を食べ終わっていたが、明時はまだ串に幾つか残したまま持ってきている。

「………明、とりあえず、全部食べ終わりなさい」

 ため息混じりに諭したイタチに、明時は大人しく頷いた。

「……………………子供?」

 訝しげにに明時に視線を注ぐ上忍達。その視線をものともせず、少女は団子の最後の一つを飲み込んだ。
 それを確認して、イタチは長く息をつく。暁の纏う衣装の一部、笠を掴んだ。彼らはまだ自分には気付いていないのだろう。

「お久しぶりです…。アスマさん…紅さん……」

 その言葉に、一番反応したのは明時だった。やっぱり知り合いなんだ、とでも言うようにこっくりと頷き、3人の顔をそれぞれ交互に見比べる。
 アスマは僅かに眉を動かし、白煙を大気に散らす。

「オレ達のこと知ってるとなると…元、この里の忍ってとこか」

 くっと喉の奥で笑って、イタチは笠をとった。気付かないと言うのは滑稽だ。ならば気付かせてやろうじゃないか。思惑の通り、アスマと紅は目を見開き、そして喉を鳴らす。

「…お前は…!……間違いない」
「うちは…イタチ」

 低い囁き。しん、と静寂が落ち、それを明時が突き破った。

「ねぇ、イタチ」
「…なんだ」
「あれは、敵?」

 ちらちらと明時の瞳の奥底に蠢く炎に、イタチは呆れたように苦笑した。先程までの嘲笑とは違い、人間味を感じる笑い方だった。

「駄目だ…と言いたいところだが…素直には里から出れそうにないな…」
「じゃあ」
「ああ。好きにしろ」
「そう、するっ!」

 言い切った時、明時は既に姿を消していた。
 アスマが目を見開き、両腕を胸の前で交差させる。

「―――っっ!」

 いつ取り出したのか、一振りの刀を振り下ろした明時は、アスマに庇われた紅に、にっこりと笑ってみせる。紅が印を組む前に、少女は体を軽く引き、くるりと回る。
 その瞬間には既にもう一振りの刀が手に握られていた。両手に刀を持った少女は、ただただ楽しそうに笑った。あまりにも無邪気なそれに、アスマも紅も戸惑わずにはいられない。

 明時。

 そうイタチに呼ばれた少女は、自分たちが面倒を見ている下忍たちとほとんど年は変わらないように見えた。子供だからと油断するほど馬鹿ではないが、戦いの場にそぐわないその微笑みは、あまりにも違和感があった。
 アスマが顔を顰めると同時、紅の使った幻術が明時を絡めとる。

 ―――キィ ン。

 両の刀の背を少女が合わせ、硬質な音を鳴り響かせると、音に導かれるようにして刀に炎の筋が走る。

「―――なんだと…」

 その炎は、紅の使った幻術を吹き飛ばした。少女の体を巻き取ろうとしていた幻術の嵐は消え去り、紅に向かって刀が走る。明時の突き出した刀を体を捻ってかわした紅は、かわした勢いで蹴り上げるがあっさりと避けられた。避けた先に待ち構えたアスマの拳は、少女の刀によって受け止められる。アスマの手に握られた拳を纏う刃と少女の刀が、嫌な音を出して競り合うが、単純な力の差でアスマは少女を吹き飛ばした。

(…手応えがねぇ!)

 小さな少女の体は軽々と飛んで、空中でくるりと回転すると、その下にある川に向かって2振りの刀を振り投げた。川に突き刺さった刀は、流される事も沈む事もなく、まるで地に突き刺さるようにして固定される。
 紅が幾つかの印を組むのを見て、川に落ちるよりも先に印を組む。

 ―――トン、と川に刺さる2振りの刀の上に明時が降り立つと同時に、2人の術が発動した。

 紅の目前から勢いよく炎が巻き上がり、明時の足元から水が立ち昇る。

「…―――っつ」

 炎の、その向こう側。炎と水が相殺し、その合間を抜けて、一つの巨体が少女に襲い掛かる。
 体に結界を張ったのか、それとも炎に巻き込まれるのを承知で動いたのか、アスマの拳を眼前に見て、明時は僅かに息を呑んだ。身体全体を後ろに倒し、水面に手をつけて反動で身を起こす。続けざまに拳を振り上げたアスマの姿を見て、少女はとっさに水に沈んだ。

「―――チィ!」

 振り上げた拳を引いて、水に足をつけた瞬間にその場を飛びのく。それによって、アスマの足を絡めとろうとした水が勢いをなくして収縮する。

「アスマ!」

 紅の叱責と、クナイが飛んだ。
 アスマが飛びのいた、その先、に、明時がいた。紅の投げたクナイを、余裕すら持って処理し、アスマを待ち構える。
 背後に現れた気配に、アスマは身を強張らせ何とか身を捻るが、それよりも明時が早かった。
 先程まで川に突き刺さっていた刀を両手に携えた少女は、にこりと、笑った。その身体がぐっしょりと濡れているところを見れば、先ほど水に沈んだのは本人だったのだろう。
 刀はアスマの背に向かっており、アスマの体は勢いがついたままだった。よって、少女は何もしなくても、アスマの体は勝手に刀に突き刺さる。

「っつあ!!!!」

 完全に貫通したその刀に、アスマの血がつぅと流れた。少女が勢いよく刀を引き抜く。血が遅れて吹き、少女の体を濡らした。水に濡れた漆黒の衣は、あっという間に赤を吸収する。

「アスマ!!!」

 叫んだその声と同時、アスマの身体が崩れ落ち、水に沈もうとしたところを紅が抱きかかえた。その、紅の首筋に、静かに添えられる血に濡れた切っ先。

「っつ!!!」
「油断大敵、ってね」

 無邪気に笑った少女。紅が目を見開き、その生を終えるのを覚悟した。


「明時」


「っっ!!!」

 イタチの、静かな声が響いた。

 瞬間、弾かれたように少女は後退する。その少女を追跡するのは数十にも及ぶクナイの群れ。両の手に持つ刀で払い落とすが、それでも幾らかは長い黒髪を切り落とし、その肌に傷をつけた。

「君も、油断はダメでしょ」

 涼やかに響いた声に、明時は身を強張らせた。

「はたけカカシ」

 明時の前に移動したイタチは静かに名前を呼ぶ。

「うちは、イタチ…か。そっちの子供は誰かな」

 飄々としたカカシの言葉に、明時はびくりと身をすくませた。何か…何かが記憶の琴線に触れた。目を限界まで見開いて、イタチの後ろからカカシに視線を注ぐ。ほとんど無意識のうちに、イタチの暁衣装を握り締めていた。後ろに引かれる感覚に、イタチが視線を向けるが、明時はそれにも気付かない。

「は…た…け……カカシ……」

 銀色の、髪。赤色に輝く瞳。冷め切った、赤い瞳。赤い、まるで血のような、真紅の輝き。

 輝く。

 血が―――。

 赤く。
 
 染まって―――。

「あぁ…」

 蒼い蒼い、空の、色。
 深い深い、海の、色。

「……明?」

 様子のおかしい少女に、イタチが、カカシが、眉を寄せる。
 紅が、アスマを抱えて飛び去り、カカシが身構えるが、それにイタチは反応しなかった。カカシを凝視しつづける少女を見、そしてカカシを見…。

「ここは、ひきましょう」

 言葉どおり、イタチは身を翻すと、少女を暁のマントで包み込む。
 少女は気を失ったのか、ぐったりともたれかかってきたのが分かった。印を組んだ後、その体を抱き上げて、飛び上がる。僅かに遅れて、カカシの使った術の炎が巻き上がった。

「引く…ね」

 追いかけようとしたところを、イタチの影分身に妨害され、苦々しく吐き捨てた。

(しかし…あの子供…)

 イタチの残した影分身と交戦しながら、顔をしかめる。紅に止めをさそうと刀を動かした、あの子供。自分の姿を目にした瞬間に硬直し、驚愕していた。知らない子供の筈だ。だが、知られているような様子だった。そして…。

(…どこかで見た…。いや、知っている…?)

 首を傾げ、空を睨みつける。カカシの疑問に、答える人間はいない。