「イタチさん…明さんは大丈夫でしょうか…」
「大丈夫だろ」

 返答は素っ気無い。鬼鮫は僅かに首を傾げ、何事かを閃いたかのように人差し指を立てた。

「あ、イタチさん焼いてるんでしょう」
「…まさか」
「5年間も一緒に居ましたからねぇ」

 訳知り顔でうんうん…と頷く鬼鮫の腹に、イタチの拳が思いっきり打ち込まれる。

「っっううう!!い、イタチ…さん…。突っ込みにしては…は、激しすぎます…よ…」

 本気で苦しそうに腹を押さえて背中を丸める鬼鮫と、全く悪びれた様子のないイタチに、カカシは思わず苦笑する。相手は謎の犯罪者集団の集まり、"暁"の人間であり、目の前の人間はどちらもS級犯罪者で手配されている人間だ。何故にそんな人間たちのコントを見ないといけないのか。

(敵になるか、味方になるか…日向ヒナタ次第か)

 彼女も、暁だ。その実力はアスマ&紅を同時に相手に出来るほど。自分が出て行かなければ、彼女は確実に紅に止めを刺していただろう。

 今、紅の下忍班には日向家の子供が居る。油目、犬塚、日向と探索に向いたこの班は、中忍試験でも最後まで残った優秀なメンバーだ。

 もしも、だ…。もし、日向ヒナタの瞳が、日向一族の白い瞳孔のない瞳であったのなら、彼女はそこに居たかもしれないのだ。瞳が黒いという、日向一族でなければ当たり前のことで、彼女は全人生を奪われた。日向の跡取りとして生まれ、優秀な力を持ちながら、ただそれだけの理由で、表に出ることも適わず、一切の自由を日向は奪った。

 それなのに名前が『ヒナタ』とは皮肉なものだ。
 彼女は一度も日なたにさらされたことがないというのに。





 泣き止む事のないナルトに、明時は近付く。きっと、5年前なら優しく抱きとめただろう。そして、ゆっくりと背中を撫ぜて、落ち着かせたことだろう。

 けれど、今は躊躇ってしまう。

 ナルトは、ずっと自分のことで後悔して、悩んで、苦しんできたのに、その間の自分は、暁に拾われ、記憶を取り戻す事もなくのうのうと過ごしていたのだ。そんな自分が、彼に触れる資格などあるのだろうか?…そんなこと、きっと許されない。5年の歳月が彼らを隔て、遠ざかった分だけ、近付くのが怖くなった。

 今だけ…。そう思って、ナルトの頬に手を伸ばす。知らず、手が震えた。拒まれたら、自分はきっと立ち直れない。

 記憶を取り戻した時、愕然とした。こんなにも大切な存在を忘れてしまったのが分からなかった。恐らく禁術辺りでカカシが封じたのだろうが、それでも、何故自分は忘れる事が出来たというのか。自分の全てを持っているのは、この少年だったのに。

 そして、ナルトが苦しんで、傷ついている時に、自分は新たな名前と新たな絆を手に入れた。明時になってからの全てを、その全部を取り消してしまうくらいに、ナルトの存在が明時の中で大きかった。だから、ナルトと再会するのは嬉しくて、怖かった。明時の時間を全部忘れてしまいそうになるから。ナルトしか必要ない自分に戻ってしまいそうだったから。そうしたら、自分はもう動けない。ヒナタに戻ってしまったら、暁には戻れない。かといって今更木の葉に戻る事など出来ない。

 …ずっと思ってた。記憶が戻ったら、自分はどうするんだろう、って。その答えは今も出ない。

「…ナルト」

 結局、伸ばした指先は引っ込めた。どうしても、怖かった。彼を慰める言葉を持たない自分が、本当に情けない。明時の声に、ナルトは僅かに顔を上げた。それはそれはひどい顔だった。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔に、へにゃりと力なくたれたへの字眉。そんな顔をさせているのが自分だと思ったら、あまりにも悲しかった。

 けれど。ナルトが恐る恐る、といった風にヒナタに手を伸ばす。その手はヒナタに触れる前に静止して、迷うように震えた。

「…ヒナタ…抱きしめて、いい?」
「っっ!!………うん」

 率直な言葉が嬉しくて、自分の眦からも涙が零れ落ちるのを感じた。自分の不安を、躊躇いを、恐怖を、全部消してくれる。昔から、ずっと。

 ようやく会えた、大事な人。
 5年分の空白を埋めるように、強く、強く、2人は抱きしめあった。互いの存在を、確かめるように。

「生きて、いるんだな…!本当に…っっ!」
「うんっっ……ここに、居るよ…」

 ようやく2人は、互いの中にあるわだかまりを忘れる事が出来た。




「記憶がなくて、砂漠で暁に拾われたの。色んな術を習った」
「俺は、なんとかアカデミー卒業して、下忍になった。中忍試験も一応最終までいった…邪魔が入ったけど」
「大蛇丸が来たんでしょう?言ってた。大蛇丸も、昔は暁に居んだって。私が入った時にはもう居なかったけど…」
「そっか。蛇っぽいヤツだったよ。うちはに手を出そうとするから参ったけどな」
「うちは?イタチの弟?」
「そう。俺の班のメンバーなんだ。あとカカシと、サクラ」
「イタチの弟かぁ。ちょっと見てみたいな」
「かっこつけたがりだけど、ま、いいヤツだと思うぜ?」
「イタチもたまにかっこつけるよ。仲は悪いけど、似たもの兄弟なのかもね」

 話は尽きる事がなかった。くすくすと笑いながら、明時は部屋にあったタオルを水で絞って、ナルトに渡す。それをナルトは受け取って己の顔を乱暴に拭いた。涙の後も鼻水も全部取り除くように。腫れぼったくなった赤い目と鼻は隠せないしけど。それでも大分ましになる。

「私ね、暁に入って、沢山の国を回ったよ。風も、水も、土も…忍5大国は全部回った…」
「…うん」

 それは、木の葉に居たら絶対に不可能な事だった。ヒナタは明時になったから、世界を見ることが出来たし、自由に動く事が出来た。思えば、木の葉に居た時は町になんて出たことがなかった。一生を火影邸の一角で終わるのだと思っていた。ナルトと、共に。

「暁が居たから、私はこうして生きてる…だから」
「………行くの…?」
「…もう木の葉には戻れない。ううん。戻りたくないから…。でも、ナルトと…離れたくないの」

 暁に戻るのが一番よくて、けれどナルトとは離れたくない。今回の暁の任務は九尾の器を奪ってくることであったが、ナルトが嫌がることはしたくない。ナルトは、ヒナタの居ない5年を木の葉で過ごした。楔になりえた人間は居なくとも、かつての楔であったイルカがいて、自分を大切に思ってくれている人間を知っている。それは、5年前にナルトが求めていたもので、ナルトの口ぶりを見ても、その人間たちを気にいっているようであった。いざとなればあっさりと切り捨てるだろうが、それでも今すぐは別れがたいだろう。

「………必ず、行くから」 
「………約束?」
「うん。もう、絶対に破らない」

 大切な2つの約束は、もう破ってしまった。けれど、もう破らない。約束は必ず守ってみせる。

「約束」
「うん」

 もう一度抱擁を交わして、明時はナルトに背を向けた。
 扉の向こうに待つ暁の2人と何事かの言葉を交わすのが耳に聞こえる。
 3つの気配が扉の向こうから消えた。カカシが部屋に入ってくるが、それにもナルトは気付かなかった。







 まだ暗いうちにナルトは家を出た。晴れ晴れとした表情は、誰も見たことのないような満ち足りた顔だった。

「行くんだね」

 声は、暗闇から響いたが、ナルトは当たり前のように頷いた。

「うん。イルカ先生と、下忍の皆には何も言わなくていいから」

 今日、一日をかけて全員に会いに行ってきた。表面上、ナルトは自来也と修行の旅に出ていたから、誰もが驚いたが、小休止だと言って笑って、ちょっとずつ話してきた。多分、もう2度と会うことのない人間たちだ。

「もうすぐ夜が明ける」
「…明時だ」

 まだ暗い、これから夜が明けようとする時間。暁、そして明時が示す時間。

 明時の記憶は晴れた。先に夜明けを迎えた大事な少女は、この先にいる。待ち合わせなんてしてない。彼女がどこに居るのかも知らない。それでも、会えると信じている。約束は必ず果たすのだから。

 うずまきナルトの夜明けはそれから。まだ、夜は明けない。

「バイバイ、カカシ先生」
「…ま、達者でやりなさいよ」

 そうして、九尾の器は木の葉から姿を消した。
 結局のところ、日向は九尾を里に縛り付ける事は出来なかった。恐らく、日向ヒナタを生かしておけばそれは可能だっただろうに。

 はっきりと、カカシの唇が弧を描いた。
 「ざまぁみろ」と、そう呟いたのは誰に対してか。カカシは、己の教え子の背をただ見送った。






 うずまきナルトが夜明けを迎えたのかどうか、誰も知らない。












 






 第7回祝詞お題『隠された記憶』。

 隠された記憶よりも他の事が主題になってしまった…。
 記憶喪失のヒナタ。暁+ヒナタがやってみたかったので。
 長くなってしまいました…。でもまだまだ入れたいエピソードがありました。
 アスマ先生のその後を書き損ねてるし…uuや、生きてますよ。
 カカシ先生が結構謎な人の気がする。

 ここまで長々と読んでいただきありがとうございました。


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   空空汐/空空亭