血が、弾け飛んだ。
 それは、一方的な殺戮。闇の中で振るわれる二振りの刀は、的確に、残酷に、人の命を奪い続ける。
 滝のように流れ続ける赤い液体は、やがて炎へと姿を変える。煌煌と、闇を、明るく染める。
 炎が収縮し、全ての人の姿が消えたころ…唐突に、刀が飛んだ。二振りの刀のうちの一つ。何の予備動作もなく放たれたその刀は、鋭く闇夜を切り裂いた。

 しかしそれは、ある一点で、ぴたりと止まる。
 木の上、黒衣を身に纏う人物がその手に刀を握っていた。逆手に受け止めた刀をくるりと回し、軽い動作で投げ返す。それは過たず持ち主の元へと向かい、あるべき場所へ戻された。

 そんなやり取りをしていながら、殺気の一つも出さず、それ以上の動きは一切ない。
 口を開いたのは、刀の持ち主。

「なんでここにいるわけ? 黒蝶」

 刀の持ち主、梓鳳の言葉に、少女は笑った。いつもどおり。
 木の葉から僅かに離れた森の中、下忍であり、暗部でもある2人は、静かに向き合う。
 そう。まるで初めて出会ったときのように。

「別れを告げに来たの」

 あっさりと、微笑とともに言われた言葉に、梓鳳は絶句した。暗部面の下はぽかんと口が開いていることだろう。それを見透かして、少女は更に笑う。
 梓鳳の記憶にある限り、少女はいつも笑っていた。
 まだあどけなさの残る幼い顔に、全く似合わない無機質な冷たさを乗せて。
 出会った時からずっと変わることはない。

「何、言ってるわけ? 意味分かんねーし」

 梓鳳の言葉に、黒蝶は頷く。

「そのままだよ。第一班隊長、暗部最強の梓鳳。…ナルト君」
「何だよそれ…。里抜け、する気か」
「そういうことになるね」
「何で!」

 びりっ、と空気が震えた。
 梓鳳が面を取る。うずまきナルトを、そのまま大きくしたような、そんな青年の姿。金色の髪は、闇夜に飲み込まれることなく輝いている。

「…本当はね。もっと早く、そうするつもりだったの」

 木の上からふわりと降り立ち、少女は梓鳳を見上げた。
 乳白色のオパールの輝きは、木の葉の血継限界の中でも最強と呼ばれ、各国がなんとしても手に入れようと欲し、求めているもの。

「けど、貴方の正体を知って、悠穹を、瀞稜を、知って…少しだけ、欲を持った」
「欲、だと?」
「木の葉での居場所」

 初めて、黒蝶と梓鳳が接触した時。暗部第一班に入るための報酬。
 それは、黒蝶を満足させるだけの任務と知識。そして、休む事の出来る居場所。

「最初に求めていたのは、ただ、それだけ。暇をしない程度の任務と、更なる知識。疲れたとき休むことの出来る、日向家じゃない場所」

 最初は本当にそれだけのつもりだった。
 けれど、それはあまりにも居心地が良くて。

「気がついたら、貴方たちと一緒にいるのが楽しくなった」
「だったら…! だったら何で!!」
「だからこそ、だよ。これ以上深くならないうちに、行くの。これ以上欲張りにならないうちに」
「何だよそれ!! 俺は嫌だぞ!? まだまだ今からじゃねぇかよ!!」
「いつかまた、会えるよ。きっと」
「何で…! 何でだよ…ここに、ここにいればいいじゃねぇか。なんで里を出る必要があるんだよ!!」
「里の外に、私の一番大事なものがあるから」

 それだけは、譲れない。
 りん、と響いた黒蝶の声は、これまでのどんな彼女の声よりもきれいで、よく、響いた。
 沈黙が落ちる。
 血の海の中、少女は梓鳳の目の前まで歩く。
 彼はとても強くて。そして、とても弱かった。

「本当は、日向ヒナタだけで良かった。私を知る存在なんていなくて良かった。あの人だけが私を知っていてくれたらいいと思ったから」

 小さな手が、梓鳳の手を握った。
 その手が微かに震えていることに、梓鳳はひそかに驚愕する。
 彼にとって、黒蝶は、いつだって恐怖と無縁で、強く、冷たい存在であったから。
 今だって、彼女の顔はいつもどおりの微笑を浮かべていて。自分の手に触れる小さな手がなければ、彼女が震えているなんて気づきもしなかっただろう。

「けどね、分からなくなるの。…日向ヒナタなんて、いない。全部嘘の塊。…でもそれなら私は誰? 本当にここにいるの? 日向ヒナタが作り上げられた道化なら、黒蝶もそうでないなんて誰が言い切れるの? 何が本当で、何が嘘?」

 微笑が、不意に、歪んで。
 それを隠すように黒蝶の両手が梓鳳の上着を鷲掴みにする。こつんと、梓鳳の腹に頭が当たる。その肩はあまりにも小さく、細く、混乱した。

「分からない。分からないから…日向ヒナタも、黒蝶も、知って欲しかった。忘れないで欲しかった。日向ヒナタという存在を。黒蝶という存在をっ!」

 キバ、シノ、シカマル、ナルト。
 自分の2つの姿を知る彼らに、それを望んだ。
 知っていて欲しかった。自分が何を考え、何を望み、誰を愛し、何をしていたのか。
 何が真実かなんて分からなくても、そのうちのどれかは真実に間違いないから。

 梓鳳の手が微かに震え、黒蝶の肩に伸びる。しゃがみ込み、思いっきり、抱き込むようにして、腕を小さな体に回した。

「誰よりも…貴方が、分かってくれると、思った」

 幼いころから、別の人格を演じ続けた九尾の器。どれだけ演じても、それが本当になることはない。本当の自分は演技の自分に染まることはなくて、その逆も、なかった。
 本質は、きっと同じなのだと、理解してる。
 ナルトは梓鳳だし、ヒナタも黒蝶だ。
 分かっている。理解している。

 けれど、それでも。
 嘘の情報で固められた人間なんて、別人じゃないのか? と。

 姿形、性格、話し方、動作、趣味、嗜好、強さ、チャクラの質、術の扱い、武器具の扱い…それら全てを別の人間として演じきる。
 演じきる対象が詳しければ詳しいほど、混乱する。

 "うずまきナルト"も"梓鳳"も同じ存在。
 "日向ヒナタ"も"黒蝶"も同じ存在。
 
 ―――全て違うのに?

「………私がいなくなれば、日向ヒナタも黒蝶もいなくなる。だから、全部が私であるなら、少しでも多く、誰かに私を覚えていて欲しい。日向ヒナタでも黒蝶でもいい。誰かが覚えていてくれれば、私は木の葉にちゃんと居て、生きていたんだ、って思えるから」

 覚えていて欲しい。
 自分が木の葉に居たことを。
 ちゃんと存在していたことを。







 そうして、日向ヒナタは木の葉から姿を消した。
 人々の記憶からも、書類の上からも。
 どこにも、存在しなくなった。

 一部の人間の記憶以外には。







「あいつは、何が言いたかったんだろうな…」
「…俺たちが何を思おうと、ヒナタの言葉の意味は、ヒナタにしか分からない。なぜなら俺たちはヒナタではないのだからな」
「………だな。けどよ。…居たんだよな、ここに。誰が覚えていなくても、確かにヒナタはここに居たんだ」
「…ああ。それだけは間違いない」

 誰もが忘れてしまっても、自分たちだけはそれを覚えている。
 少年たちは空を見上げる。
 見事な夕暮れが、木の葉の里を照らしていた。





「日向ヒナタ…いや、日向ヒアナの死亡にて、下忍紅班再構成、か…」

 少年は手に持つ湯飲みを傾け、月を落とす。
 ゆらゆらと揺れる月を見ながら、小さく、息を吐いた。
 日向ヒナタのデータの全ては、日向ヒアナという人間のものに書き換えられていた。
 黒蝶という暗部の任務書、報告書は、見事に紛失していた。
 暗部一の情報収集能力をもっていた人間の隠蔽術は、全く持って見事としか言いようがなかった。





 目の前にある女の体をかき抱きながら、ふと、思い出す、小さなぬくもり。
 本当に、本当に見事に彼女という存在は消えてしまった。自分たち以外には、もう、彼女のことを知る者はいない。誰もが日向ヒナタの事など知らないし、一時期は噂になった黒蝶の事も知らない。各国のビンゴブックでもしばらくすれば消されるだろう。
 けれど、自分は。

「………梓鳳」
「は?」
「女の前で、他の女のことを考えるのは感心しないな」
「…なんで分かる」
「図星か。なんだ、昔の女か。それとも今の女か?」
「そんなんじゃねぇっての」

 ただ。
 ―――そう。ただ、大事な…

「………………家族だよ」

 


 満足げに、梓鳳は…笑った。








 




 第10回祝詞お題 『存在しない者』

 ナルトとヒナタは全てにおいて境遇がどこか似通っているので、いつだって互いの中では特別な存在。
 たとえ互いに好きな相手が違う人間でも、不可侵領域築いてやきもち焼かせとけばいいと思う。
 イタヒナなんだけど、基本的にこのシリーズ第一班メンバーメインなもので…カップリング色が相当薄いですね。(むしろヒナタ+誰かがメインというか)
 ナルトのお相手が出てきちゃったりしていますが、どうしてもナルトと会話する人が欲しかったので。第1班メンバーではちょっと違うので…。実は祝詞ではちらりとも出てきたことがないのですが…そんなお相手もいるんだなーくらいで読み流してくださいな…。

 シリーズ的にはヒナタが第一班から抜けたので終了な感じですが、お題によってまたこのキャラ達を出すと思いますので、よろしくお願いします。





   空空汐/空空亭