『仲間、のために出来る事』
里にいる誰もが、うずまきナルトの死因を知らない。
里にいる誰もが、うずまきナルトの遺体の場所を知らない。
それは、秘密裏に暗部が処理したのだと言うものもいれば、他国の忍に殺されたのだと言うものもいる。ひどいものになれば、木の葉の忍が私怨で殺したのだという噂もあった。ただし、どの噂も不鮮明であり、確固たる証明はないので、誰も本当の事を知らない。
もし、知っているとなれば、それは木の葉の最高重要機密の全てを握る、火影という立場の存在だけ。
しかし火影は決して口を開かない。誰が何を聞こうとも、うずまきナルトの事は第一級極秘情報であり、話すことはない、と。
その墓があるのだと、誰かは言った。
けれど、それすらも本当は定かではなく、誰もその場所を知らない。
「ヒナタは…もう、俺たちの事なんて忘れちまったかなー」
長く息を吐けば、目の前が白くにごった。空から降り注ぐ真白い雪が、任務後の火照った体に気持ちいい。この寒い外国への進入任務を言い渡されて既に1ヶ月以上が経っている。内部に入り込み、必要な情報も全て手にいれ、ようやっと帰路に付いたのだ。
キバは、持参したマフラーに顔を埋めながら、空を見上げた。
次から次に降り注ぐ白いシャワーに目を細める。
白くて、綺麗で、純粋で…まるで、ヒナタのようだと、そう思っていた。
もう昔の話だ。
「…それはないだろう…と、思う」
シノが地面を見ながら静かにこぼす。
相変わらず体のほとんどの部分を覆い隠し、幾重にも服を重ねている友人が、キバは今だけうらやましい。けれどかすかに見える頬は寒さで赤くなっているし、声も震えているのでやはり寒いものは寒いのだろう。それは本人が極度の冷え性で寒がりなのもあるとは思うが。
「俺さー…ヒナタの、仲間だと思ってんだよ」
それだけでは不十分だと感じたのか、キバは「今も昔もなー」と付け加える。シノは何も言わなかったから、2人はただただ降り注ぐ雪を見守る。
昔、下忍第8班として仲間だった少女は、いつの間にか変わった。いや、それは彼らが勝手にそう思うばかりで、正確に言えば、彼女は何も変わっていない。ただ、隠していたものを隠さなくなっただけ。
異端としてもいいほどに強く膨大な力と、忍としての残酷さ非常さ、冷静さ、知識量。下忍の日向ヒナタが持ってないとされていたものを、本当の彼女は誰よりも持っていて、しかもそれを誰にも悟られることなく生きてきた。
仲間だった筈のキバにも、シノにも、知らせずに。
「つれーよ」
信用されていなかったのか、そう、幾度も思った。
キバもシノも下忍から中忍になって、上忍になった頃、ヒナタは既に火影として生きていた。最年少の、しかも歴代初の女の火影として。反対は、多かった。忍でない里人は風の国に同じ年の風影が立った事により、納得もした。けれど忍は別だ。力も実績も認められない少女に己の命を預ける事なんて出来ない。その命に従うことなど出来ない。
それをヒナタ自身が知っていた。だから彼女は火影になったその時に言い切った。中忍以上の忍を演習場に全員集めて。
『私が、火影になる事に不満がある者は今すぐに前に出てください。火影にふさわしくない、里を守るにふさわしくない、そう思うなら、すぐに。…今しかありませんよ? 私を火影の座から引きずり落とすチャンスは』
その場に集まる数百に上る忍の、ほとんどの者が、前に出た。
本来は、あってはならぬこと。火影は忍の総意であり、彼らを纏め上げる存在でなければならないと言うに。前に出なかった忍は、力を隠さなくなったヒナタと任務に付いた者と日向家に連なる者のみ。そして、本来のヒナタの力を知っていた、前火影である三代目と上層部の者。
『今から、演習を行います。参加者は、今、前に出た全員と私。―――まぁ、演習と言っても、殺す気でかかってきてくれないと困りますけど』
くすくすと笑う少女にほとんどの者が、眉を潜めた。日向宗家長子として生まれた日向ヒナタを、誰もが知っていた。引っ込み思案で、大人しくて、照れ屋で、優しくて、争いごとに向かない花のような少女。それは、ただの幻でしかなかったのだと、一瞬で思い知った。何気なく笑う彼女から、これまでは感じなかった膨大な量のチャクラが立ち上っていた。それに加えて、大蛇丸すら軽く超えてしまうような強い、殺気。中忍はそれに気圧されて動くことすらままならない。上忍もまた、冷たい汗を流す。
『ルールは簡単。私が参ったと言うか、動けなくなったら、私の負け。そのときは火影の座を降ります。武器具は全て可。先ほども言いましたけど、殺すつもりでかかってきて下さいね? もっとも…私は誰一人殺しませんけど』
馬鹿にするにも程があるルールで、誰もがふざけるなと思っただろう。乱戦の中で殺さない、という事は殺すよりも遥かに難しい。
それでも、そのルールで、彼女は死ななかったし、動けなくなることも、参ったと言うこともなかった。
圧倒的な力で忍を蹴散らし、繊細なチャクラコントロールで全ての人間を生かした。さすがに無傷、というわけにはいかなかったけれど、血を流したところで彼女の強さは変わらなかったし、足が折れたところで彼女の歩みは止まらなかった。彼女はその身を持って火影であることを証明した。
『これでまだ認めないと言うのなら、いつだってかかってきてくれて構いません。いついかなる時でも相手になります』
幼い少女と言うだけで、反対していた者はただ頭を垂れた。
力なき者が何を、と反発していた者は少女から視線をそらし、うなだれた。
その様を、キバも、シノも、見ていた。
彼らは力を隠さなくなった彼女と幾度も任務に向かい、痛いほどにその実力を知っていた。知らなかった性格も、実力も、彼らのチームワークに影を落とすことはなかった。
「悔しいよな」
「…ああ」
キバの不意の言葉にも関わらず、シノは頷いた。おそらく、シノもまたヒナタが火影になったそのときを思い出していたのだろう。あのとき感じた無力感を思い起こしていたのだろう。
今でも仲間だ、と感じている。キバとシノとヒナタと、紅の下で築いた絆はちょっとやそっとじゃ切れないと信じているし、性格こそ全然違うが、その本質は全く同じだと2人は知っている。仲間思いだし、意思が強いし、頑固で、一途で、優しい。そういうヒナタが2人にとってとても大事なのは今も昔も変わらない。
ただ、彼女にとって自分たちは遠くて、私的な話をすることはほとんどない。その機会が単純にないし、キバやシノとしても火影に対して気軽に誘えない。本当は昔の事とか、任務の事とか、どうでもいい事とか、色々話したい事はあるのだ。
ナルトの事も、無理強いをするわけではないが、もし、ヒナタが構わないのなら、色々話したい。里の誰もがうずまきナルトの事を最初からいなかったかのように扱っているのを知っている。彼の突然の死に納得できないのは、彼に関わっていた者達だけ。彼はちゃんと木の葉に居て、木の葉で生きて、笑って、馬鹿元気に走り回っていた事を、ヒナタと話したい。それが彼の供養になるのではないかと、勝手に思っているから。そうすることで、想いの昇華に繋がるのではないかと、思っているから。
ヒナタがカカシに言った言葉を、キバもシノも知っている。
『…愛しているわ。今も、昔も。私はうずまきナルトを愛している』
自分にとってひどく大事な存在の死は、辛いだろう。それはキバにもシノにも経験があることだ。辛くて辛くて、何も出来なくなる。動けなくなる。
もし、ヒナタがまだそこから動けないでいるのなら、少しでも彼女が安らげるように、と。
「ヒナタと飯でも食いに行きてーなー」
「…そうだな」
「飯食ってさー昔ん話とか、今ん話とか、愚痴とか、ナルトん事とか、話してーくそーーーー」
「……そうだな」
話して、話して、嫌になるほど話し倒して、まるで昔のように笑い合いたくて、それだけの事が、ひどく難解に感じてしまうのは何故なのか。
けれどいつか、と2人は思う。
そのタイミングがどうしても難しいけれど、いざとなればシカマルでもいのでもチョウジでも捕まえて協力させる。
いつの間にか、2人の体には真っ白な雪が降り積もり、その冷たさに今更ながら身を震わせる。
「とりあえずとっとと木の葉に帰っか」
「そうだな。凍えそうだ」
「お前冷え性だかんなー」
「………」
帰って、任務の報告に火影の前に行くと、ヒナタが「お帰りなさい」と微笑んだので、2人は「ただいま」と笑った。