『あの人の死んだ日』
火影の執務室で、火影は小さく顔を上げた。
「どうしたんですか?」
参謀…というか相談役というか、勝手に作った地位に過ぎないのだが、とにかく3人居るうちの、その1人の声に、火影は我に返ったように参謀を見上げる。
とても珍しいことに、いつも平然とした火影の顔ではなく、戸惑うような、迷うような、かつての彼女を彷彿させる表情。参謀の3人にこんな顔を見せるのは、彼女が火影になって始めてのことだ。
驚いて、火影を見守る参謀たちは、サァ、と火影の顔に暗い影の落ちるのを見た。
慌てふためく参謀達。だが、今見たものは間違いかと思ってしまうほどに早く、彼女はいつもの火影としての仮面をかぶる。
いや、3人にとって、全くありがたくもなんともない、慈悲深い満面の笑みを浮かべた。
「ごめんね」
ふわりと、動いた火影の左腕。
何が?と3人が問いかけるよりも早く、火影は目的を果たした。
パタパタパタ、と、参謀の3人が倒れたのだ。
誰も知らないことではあるが、裏では暗部最強と名高い"礼花"でありながら、あっさりと、あっけなく。
その意識はない。
火影による特性のお香。
その香をひとたび嗅げば、あっという間に深い眠りにつく。
普通人なら1週間くらいは寝込みそうな超強力な眠り香だが、薬や毒に慣らした彼らの身体なら、きっと1日2日で回復する事であろう。
「今日は、邪魔されたくないの」
10月10日だから。
あの人が生れ落ちた大事な日だから。
火影がその長い衣装を剥ぎ取って、机に置く。
それを脱いでしまえば、あとはもう今すぐにでも戦いに赴けそうな、かなりの軽装。黒を基調とした、ピッタリとした衣服は、火影の細い体躯を包む。
印を組んで、久しぶりに飛んだ。
外へ。
白髪の青年は、ただ、空を見上げていた。
近くで高くそびえる大木には、白い足が見えた。
そこへ、ふわりと黒い姿が現れる。
しなやかな体躯に思わず目が奪われた。
「火影様」
火影はただ、首を振った。
今は、そう呼ばないで欲しい。
今だけでも昔に戻らせて欲しい。
幸せで、夢を追っていた、あの時代に。
「ヒナタ」
「うん」
木の上で白い足をぶらぶらと揺らしていた主が、とん、とヒナタの後ろに立った。
「10月10日」
あいつの誕生日。そう、言った。
その声は、何事もなかったように、ただ、事実を述べていた。
それだけで、分かってしまう。
まだ、この人は…。
「ヒナタ」
白髪の青年は優しく火影となった少女を呼んだ。
その声には自分なんかよりずっと、深い深い、魂が削られるような悲しみがあって…。
ヒナタは唇を噛んだ。
悔しくて、情けなくて、悲しくて、どうしようもないほどに切なくて。
何故、ここに彼が居ないのか分からなくて。
どうして。
自然、涙が零れた。
「ヒナタ?」
何故泣くの?そう問いかけるように、ヒナタの隣に立つ人間が、首を傾げる。
「何でもないの…ごめん」
どうして。
ドウシテ。
答えなんかないけれど。
涙を零す少女の身体は、ぎゅう、と、抱きしめられる。
涙は白髪の青年がぬぐってくれる。
10月10日。
あの人が死んだ日。
2005年10月15日