『緩やかに過ぎる時の中で』










 自分達が隠れ家的に使っている家の一つで、他のどこよりも溜まり場になりやすい場所にシカマルとチョウジは居た。隣で本を読むシカマルが、いつもよりずっとそわそわしていて、落ち着きがないので、はぁ、と大きなため息をついて、チョウジは本を閉じた。

「シカマル…テマリさんが来るの?」
「お? あー…おう」
「ふーん。やっぱり」

 やれやれとでも言いたげにチョウジが肩を竦めるので、シカマルは眉をひそめて軽く睨む。
 拗ねたような表情は彼にしては珍しいものなので、チョウジは思う存分笑った。

「何だよ」
「シカマル、テマリさんが来るときすっごい落ち着きないし、顔も緩んでるよ。気付いていないの?」
「…は? …………う、嘘だろ?」
「本当だよ」

 にこりと、面白そうに目を細めたチョウジに、シカマルは「あー」とか「うー」とか呻いて、照れくさそうに頭をかいた。頬は少し赤い。シカマルが誰かを好きになるなんて考えたこともなかったから、テマリに惹かれはじめてからの彼はとても新鮮だ。彼自身、その感情を持て余しているようにも見える。実質持て余しているのだろう。彼は、人を好きになるということがあまりにもなかったから。

 もっとも、その初めての恋愛はとても前途多難そうなので、チョウジには見守るしかない。
 テマリもシカマルを嫌ってもいないと思うが、彼女の感情はひどく読みにくいし、分かりにくい。
 それ以上に…。

「最近、シカマルとテマリさんの任務、増えたよね」

 テマリが砂と木の葉を繋ぐため、何度も何度も里と里を往復しているのは知っているが、シカマルと彼女の接点はもっと少なかった。
 シカマルとテマリの合同任務なんてほとんどなくて、あったとしても同期である少年少女たちと一緒だった。
 ―――けれど、その、前。
 それよりももっと前の、ヒナタがまだ火影としての任が浅い時代。
 その時は、シカマルとテマリの合同任務があったことを記憶している。
 それが変わり始めたのはいつからだっただろうか。

「あ? …そうだな。言われてみれば、確かに」
「ふーん」
「…なんだよ」
「ううん。なんでもない。そろそろ行ったら? 待たせたりしたくないでしょ?」
「……くそ、めんどくせー。わーったよ。行けばいいんだろ」

 にこにこ顔のチョウジに逆らえず、大げさなため息をつくとシカマルは家の外に出た。その姿を見送って、ふと、チョウジは窓から外を見る。そこに見えるのは、この里の最高権力者の住む邸宅。

「…ヒナタは、何を考えているのかな…」

 小さく、呟く。
 テマリとシカマル。
 いつからか、頑なにその2人だけの任務を入れようとはしなくなったヒナタ。
 そしてまた、いつからか2人だけの任務を入れるようになったヒナタ。
 火影という地位を使って、からかいという笑いの中に包んで、シカマルをいじり倒すヒナタ。
 最初は気付いていなかった。自分達も同じようにしてヒナタに言い様に遊ばれていたから。チョウジやいの、それに元同期の忍達に対する様々な嫌がらせ、多分それは遊び好きというヒナタ本来の性格によるものなんだろうけど。
 …シカマルに対してだけは、冗談で済まされないような事が時折含まれている。
 冗談の中に潜まれた小さなとげは、確かにシカマルにだけ向けられていて、それを本来止めるべきであろう火影の付き人たる白髪の青年は、全く意にしていない様に見える。それどころか、火影のすることに同意し、手助けまでしているように見える。
 それは、テマリとシカマルの2人だけの任務があるようになってから特に顕著で。

 昔、聞いたことがある。
 シカマルを嫌っているのかどうか。
 遠まわしな言い方は火影たる彼女に失礼だし、誰よりも鋭く、聡明な相手に対しては意味を持たないから。単純に、ぶしつけに、火影と2人だけになった時に聞いた。

 ―――別に。嫌いじゃないよ。そうじゃなきゃ傍になんておかない。
 ―――じゃあ、どうして?

 ただただ不思議そうに、そう問うたチョウジに、ヒナタはあやふやな笑顔を作って、開いた口を幾度か動かして、言葉は出ないままに閉じた。チョウジから視線を逸らして、頬杖をつく。開いた窓から気持ちのいい風が吹いて、書類と、2人の髪を揺らした。

 ―――悔しいの。

 ぽつり、と、そう零れた言葉は、あまりにも予想外のもので、チョウジはそれ以上彼女に問いかけることが出来なかった。
 たったの一言には、怒りよりも何よりも、大きな悲しみだけが詰まっていたから。



 13のとき、彼女から真実を告げられた。

 彼女が実質的な火影として働いていること。ただ、その幼さ故に3代目を火影としたまま、表には出ていないこと、彼が死んだ時には表でもそれを名乗ること。上層部の一部と、暗部の一部は既にそれを了承し、彼女の命で動いていること。3代目火影が出している命も、ほとんどは彼女が出していること。

 もとより暗部として働き続けてきたチョウジ達にとって、火影の後ろに何かがいるというのは、暗黙の了解だった。誰に言われるまでもなく、それに気付いていた。

 彼女は、6歳のとき既に火影だった。
 けれども、どんなときも決して姿をあらわしてはいけない、居ない筈の火影だった。

 何故、と思う。
 きっかけは、いのの言葉。
 多分彼女にとってはなんでもない、本当にささやかな事だったのだろう。
 けれどそれは、チョウジのこれまでの疑問と重なって、とげのように胸に刺さった。

 ―――なんで、ヒナタはこの歳で表に出ようと考えたのかしらねー

 14。
 それはナルトが死んでから1年後のこと。
 それはヒナタの正体を自分達が知ってから1年後のこと。
 それは火津という存在が姿を現して1年後のこと。

 勿論それらは同時に起こったわけではなく、時間列を並べるなら、ナルトが死んで、ヒナタは自分達に正体をさらし、火津の存在を知った。


 彼女の周りの環境ががらりと変わった13の歳。
 彼女が火影として表に出ると決めた14の歳。

 何故その歳でなければならなかったのか。
 何故彼女は後々まで待たなかったのか。

 疑問は尽きない。


 彼女が火影として表に出るなら、あと少し待てばよかったのだ。
 表の人格である日向ヒナタに力をつけ、地位を上げ、火影になってもおかしくないだけの実力と、場数を踏んで、そうすれば、彼女は火影として当たり前にその立場につけた筈だ。
 なのに、何故、若干14という若さで、それを成そうとしたのか。
 表で誰一人少女の力を知らないような状況で、そうしようとしたのか。
 無理を通してまでそうする必要性があったのか。


 ―――それは、うずまきナルトの死が関係しているのか。
 ―――それは、火津という存在が関係しているのか。


「チョウジーシカマルーいるーーー?」

 窓の外からのノックとともに聞こえてきた言葉に、チョウジは思考を停止して、一つ息をついた。笑顔を作って、「いるよ」と頷く。
 窓を開けると、金色の髪が上から降ってきた。どうやら屋根の上から覗き込んでいるようだ。

「いの、どうしたの?」
「ご飯、食べにいこー? シカマルは? いないのー?」
「今日は任務だって。テマリさんと」
「そうなのー? んじゃ、2人で行こっかー」
「うん。ちょっと待ってて」

 窓を閉めて鍵を閉める。家の中の戸締りを確認して、財布を持って家を出た。そうすると目の前にいのが立っていて、にっこりと笑う。ひどく楽しそうに、嬉しそうに笑うから、不思議に思って首を傾げる。
 口には出さなくても、何が言いたいかは分かったのだろう。

「2人きり、久しぶりだなーって思ってー」

 くすくすと笑いながら、腕を絡め取る。チョウジは瞬きを繰り返して、にこりと笑った。

「行こうか」
「うん!」

 楽しそうに、幸せそうに腕を組んで、2人は街の雑踏に消えた。
2007年6月3日