『黒と白』









 それは、暗部の任務を終え、報告書を出しに行った矢先の出来事だった。

「闇月…この子の世話をして欲しい」

 その言葉に、闇月は動きを止める。
 報告書を受け取った火影は隣にいる小さな子供を闇月に見せる。小さな子供といっても、多分闇月の実年齢と同じくらいだ。
 闇月の、その白い面の下には、ぽかんとした表情が浮かんでいるに違いない。
 それをしみじみと想像しながら、火影は真面目な顔で頷く。

「……はぁ?? 何言ってんの?」
「この子は頭がいい。お前が育てるのじゃ。これが次の任務じゃ。C級かの」

 それだけ言うと、火影はくるりと身を翻した。
 老人とも思えないような、素早い動きで姿を消す。腐っても火影だ。

「あ!ちょ…!!」
「任せたぞ!!」

 声だけが、響いた。
 正直呆気にとられて、手を中途に上げたまま固まってしまった。
 残されたのは闇月と、5・6歳くらいの子供。
 真っ黒な髪。真っ黒な目。肌は病的なまでに青白い。

 暗くて可愛げがない。
 そんな印象を抱かせる子供。

 闇月が仮面の下から冷たい視線を子供に注げば、子供がそれを見返す。

 ただ、見返しているだけ。
 そこには感情がない。子供の瞳は、まるで鏡のよう。鈍く反射して己を写す。


 だから、だろう。


 その瞳は似ているのだ。
 暗部面の下に隠された闇月の真っ白な瞳と、全く質は違えど、他人に与える印象は酷似していると言っていい。
 だから、火影は闇月に少年を預けた。
 全くもって迷惑なことに。
 はたから見れば、ただの子守であろう。
 だが、闇月の実年齢、わずか5歳。妹は生まれたばかりだし、会った事すらほとんどない。そもそも同じ年頃の友達、それどころか知り合いもいない。
 とりあえず、聞いてみる。

「…あんた、名前は?」

 子供に向かって、自身も子供ではあるのだが、暗部の威圧感ある姿で、決して穏やかな物言いをしないのは闇月らしいというべきなのだろうか。

「………」

 とりあえず、返事はなかった。
 沈黙が続く。

「………」
「……………」
「……………」

 ひたすらに沈黙。
 闇月は、ぺたりとあぐらを書いて、子供に視線を合わせた。
 暗部面は外して頭をかく。
 よそを向いていた目が、闇月の視線が動くのにあわせて動く。

「名前は?」
「………………………」

 やはり、答えない。
 闇月はその子供の頬に手をかけた。ひどく唐突で、何の脈略もない動き。それでも子供は何の感情もなく、ガラスの瞳で闇月を見つめるだけ。
 印象だけでいうなれば、やはり同じ、ガラスのような瞳。
 無遠慮に、子供の頬を触り、幾度か伸ばして縮ませる。面白い程に柔らかで、驚く程良く伸びる。伸ばすだけ伸ばして、パッ、と離すと、少したわんで元に戻った。綺麗に赤く染まったその頬を、興味深げに闇月が観察する。闇月にとっても、同じ年頃の子供というのは未知の物でしかないのだ。

 少年が、ほんのわずかに身を引いた。
 闇月は、その肩先まで伸びた髪を、一房掴んで、まじまじと見つめる。闇月と同じ、真っ黒でつややかな髪だが、見た目はひどく硬く、触ってみるとやっぱり硬く、真っ直ぐで弾力があり、くるくると指で回せばあっという間に元に戻る。ひどく、寝癖のつきにくそうな髪だ。
 試しに髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜてみるが、あっという間に元に戻った。
 闇月の髪は、硬そうに見えても、ふわり、ふわり、と柔らかく、すぐに寝癖がついてしまうので羨ましい。…と、いうかムカつく。

 散々遊ぶだけ遊んで、ふと我に返った。

「んで、名前は?」
「………」

 またも反応なし。
 だが、彼の反応がなくても、自分は楽しめることに気づいたのでそんなには気にしない。
 とはいえ、このままではいつまでたっても平行線のままだ。
 闇月だって任務の後はとっとと帰って寝てしまいたい気持ちがある。
 本当は………別に、放っておいても構わないのだが、やはりその瞳は見覚えがありすぎて。
 一つ、大きな大きな息をついた。

「…あんた、さぁ。もしかして、死にたい、とか思ってるわけ?」

 ぴくり、と、小さな反応があった。
 瞳の焦点があって、闇月の白い瞳にぴったりと視線が合わさる。
 ああ。当たりか。と、冷めた感情で思う。

「なんで?」
「…別に」

 初めて聞いたその声は、幼く可愛らしい癖して、どんよりと暗く、まるで人生を悟ったような疲れきった声。

「別に、あんたが言わないなら、あんたの脳みそに直接聞くって手もあるんだけど?」

 にっこりと笑った闇月に、子供はぎくりと身をすくませる。それは、子供が本当にそういう術があると知っているからだ。しかも激痛を伴うという禁術。脳細胞が破壊され、術をかけられたものはほぼ十中八九廃人になるというえげつないもの。かつての戦時では重宝された拷問術だ。
 子供らしからぬ冷静さと知識量。
 世界に弾かれるに十分な理由だ。

「面倒、だから」

 誰かの機嫌を伺って、自分の行動が可笑しくないか周りの子供と比較して。
 それでも所詮子供で、大人は奇異な視線を送り、子供は理解できないものを見るように壁を作る。
 誰にも必要とされず、疎まれるばかりの子供に居場所なんてなく…。
 それならば、いなくなってしまえばいいだろう?
 だって、もう面倒だ。

「はっ。あんた自殺未遂でもしたんだろ。だから火影に預けられた」

 闇月の言葉は的確に子供の真実を貫いた。
 闇月から視線をそらして、唇をかみ締める。
 子供の視線を、闇月が捕まえて、笑った。
 全てを、凍りつかせてしまうような、冴え冴えとした硝子の微笑み。
 ぞくり、と子供の背筋が凍った。
 子供のそれ、なんて比べ物にならない。深い、絶望を知る者の瞳。

「逃げてんじゃねーよ。糞ガキ。死にたくても死ねないこっちの身にもなれっつーの」

 冷たい声に、膨大な殺気。
 少年の瞳孔が開き、全身の毛穴から汗が噴き出す。身体中が震え、足がすくみ、動くこともままならない。感情を失ったとさえ思われていた子供が、がちがちと歯をあわせ、涙を流した。
 普通の子供なれば、既に気絶するか、あるいはショック死していても可笑しくはない。

「そんなに死にたいなら、私が殺してやるよ」

 一言一言が刃のように、冷たく冷たく子供を切り裂く。

 恐ろしい。

 どんな感情も置き去りにしてきたはずなのに、今心から恐怖を感じる。
 見苦しいほどに目を見開き、歯を鳴らす子供を、闇月は何の感情もない冷淡な表情で見下ろした。
 ひどく、冷たく、侮蔑すら宿った瞳。

 闇月は更に言い募る。

「そんなに死にたいなら、私が殺してやろーか?ああ?」
「…っっぁ…!!!」

 死にたいのに、死にたいと思って手首を切ったはずなのに。




 コ ワイ


       コワイヨ



      イヤダ  


   イヤダ 
                      イ ヤ  ダ 


                 タスケテ
          

             コワ  イ




 …―――死にたく…ない…。




 "死"が、怖い…。




        ―――おそろ…しい…!




 見開いた瞳孔に、闇月の姿が一杯に広がる。
 真っ白な、白き輝きが子供を映し出す。


「死にたいなら、死ね」


 嘲笑とともに、世界が暗転した。













2006年10月21日