無様だった。
 その地に這い蹲る様が無様で見苦しくて仕方なかった。

 涙を零しながら
 鼻水に汚れながら
 汗を流しながら
 歯を食いしばって
 四肢を踏ん張って

 必死になって、じりじりと、動いていて。

 立ち上がろうとして、つぶれて
 立ち上がって、転んで

 無様で見苦しくて暑苦しくて気持ち悪くて。

「……たく…ないっ」

 壁をうまく使って立ち上がって、けれど次の瞬間にはバランスを崩して頭から床に落ちる。
 何度、それを繰り返すのか。
 何故、そんなにも必死なのか。



「………―――生き、たい……っ」



 何を言っているのか、理解した瞬間、何もかも吹っ飛んだ。
 その子供の胸倉を、掴んだ。持ち上げて、顔を上げさせる。真っ黒な、どんよりとした瞳に、黒曜石のような、深い光が宿っていた。
 涙と鼻水に汚れた顔が、泣き笑いの様な、複雑な表情になって、闇月は、わけもなく腹が立った。
 ただ、腹が立って、どうしようもなく気持ち悪かった。

「なら、生きろ。生きて生きて生きて、見苦しく、無様にその命守りぬけ」

 そのままその小さな身体を放り投げた。軽い子供の身体は、見事に中庭の池の中に落ちる。盛大な水飛沫と、音が広がり、子供の必死な声が切れ切れに聞こえた。それに背を向けて、闇月は歩き出す。もう用はないと言わんばかりに。

「生きるっ。…生き延びるっ。絶対にっっ!!!!」

 声が、響き渡る。
 幼い、まだ声変わりすら果たしてない甲高い声。中庭中に響き渡るような声で、子供は叫んだ。

「闇月!!!!!」

 初めて聞いた、子供の自分を呼ぶ声に、闇月は思わず足を止めて、振り返った。
 闇月の無感動な、感情のないどんよりとした瞳。そのガラス玉に映る子供の瞳は、もう、同じではない。

「俺は、奈良シカマルっっ!!!」

 絶対に、死なないと誓う。
 生きて、生きて、生きて。
 貪欲に、見苦しく、無様に、生にしがみつく。

 奈良シカマルは、死なない。死んでやらない。
 生き延びる。必ず。








 そうして、闇月の隣に雲月という存在が出来て。
 出会いが何をもたらすのか、なんて知ったことではないけれど。

「結構感謝してるんだぜ?」

 今はもう見慣れた、少女の寝顔に笑った。
 彼女がいなければ自分は生きていなかった。誰かを愛しいと思うことも、心の底から楽しいと思うことも、絶対になかっただろう。乱暴なやり方で、彼女自身はそんなつもりなかったのだろうが、自分は確かに彼女に救われて、今ここにいる。

 あの頃は分からなかった。
 何故、あんなにも必死に生にしがみつこうとしたのか。

 ただ、見せられた過去が、闇月という存在が怖かったからじゃない。
 確かに死は恐ろしく、闇月の過去は己の身体を縛る。

 けれど、それだけじゃない。

 見せられた過去はあまりにも重くて、陰湿で、恐ろしくて、気持ちが悪かった。同時に、その空間に確かにいた"彼女"の思考が、ひどく辛くて、悲しくて、苦しくて、嫌だった。"彼女"が可哀想だと思った。あの一瞬だけは"彼女"と同調し、その感情もまた共有していた。
 あのどんよりとした、冷たい空間の"彼女"に手を差し伸べたいと、無駄と知りながら思った。

 思ったのだと、思う。
 あの頃の自分に余裕なんてなかったから、感情なんて上手く分からなくて、つかめなくて、自分のしたいことも何も分からなくて、ただ、生にしがみついた。

 自分よりも小さな頼りない手のひらを両手で握り締める。
 彼女がこの本当の姿で、自分と接するようになったのはいつからだっただろうか。
 彼女が寝ているときに近づいても、刃を抜かれないようになったのはいつからだっただろうか。
 彼女がこうして無防備な寝顔を見せてくれるようになったのは、いつからだっただろうか。

 全てから守るなんて、出来ない。
 自分よりも彼女は強いし、彼女の中にいる存在に対しては何も出来やしない。

 それでも、彼女を守りたいと思ってしまうし、せめて、彼女が心から笑えるように、辛く、苦しい思いをしないように、と、願う。




 貴女に出会って救われた。
 それだけは違いないのだから。

















2007年1月6日