うちは家次男と蛇のあやかしと山中家当主

 『蛇と人間』








 ぼとり、と袋が落ちた。
 何かが潰れる音にも男は気付かない。
 買い物したばかりの野菜と果物がごろごろと転がる。

 その中のリンゴが下り道をころころと転がって。
 白く細い指に拾われた。

 拾ったのは女だ。
 金に輝くどこまでも長い髪。
 鋭い、けれども妖婉な、澄んだ水面の瞳。
 何が可笑しいのかくすくすと笑って、隣にいた男に笑いかける。
 逆立った黒い髪をもつ男は苦々しい表情で、後方を指で示した。
 対象的な表情で二人は振りおあぐ。

 買い物袋を落とした男が一人、そこには立っていた。





「おじさーん、落ちたわよー」

 そう言ってリンゴを高く掲げ、ぶんぶんと振る蛇のあやかし。
 うちはサスケは、つくづく嫌になって、思いっきり息を吐いた。

 家の中に閉じこもっているのは嫌だ。外に出たい。

 そう蛇のあやかしが騒ぎ始めて。
 仕方なしに出てきたはいいが、顔馴染みに会うたびに質問攻めだ。しかもこの蛇のあやかしはないことないこと喋りまくる。
 こんなことならキバをつれてくれば良かったと思うが、すでに後の祭りだ。サスケにとって地獄のような時間。
 一刻も早く家に帰りたかった。

 だというのに。
 転がってきたリンゴに反応して、蛇のあやかしは、お茶がしたいとかぬかしやがった。
 勘弁してくれ。ほんとに。

 だが、リンゴの持ち主にサスケは眉をひそめる。
 ぼとりと重たげな音を立てて落ちたのは買い物袋。
 立ちつくすのは、サスケも知っている男。

「山中さん」
 
 あやかしに関わる家々の、その傍系の家系の一つ。
 既に直系は途絶え、あやかしを捉える術を失った家系だ。
 今ではかつての栄光と、その残り香のような能力を僅かに伝えるのみ。

 サスケの声にも山中は反応しなかった。
 愕然とした表情で見ている。

 サスケをではない。
 真っ直ぐに見つめるのは蛇のあやかし。
 その蛇のあやかしはさっさとサスケから離れて、山中に駆け寄っている。

「おじさーん?」

 聞こえてますかー?と、蛇のあやかしがぱたぱたと手を振ってリンゴを主張している。
 失礼過ぎる蛇のあやかし。
 サスケは溜め息とともに山中に近づく。

「山中さん、大丈夫ですか?」
「知り合いー?」

 面白げに目を細める蛇を無視して、サスケは山中の足元に散らばる野菜を拾う。

「ああ…」

 ようやく我に返ったのか、山中は頭を下げた。
 動揺はあらわだが、サスケには山中が何故ここまで驚いているのかわからない。
 蛇のあやかしは、何か騒いでいるが完全にシャットダウンしておく。一々蛇を相手にしていては話が進まない。

「久しぶりだね、サスケ君。調子は、どうだい?」
「はい、特に変わりありません」
「ねー何よー知り合いなのー?」
「…それで、そちらの女性は」
「ただのあやかしです」
「そーの、言い方はちょーっとひどいんじゃないかしらー? あんなに熱い夜を過ごした仲じゃない〜」
「っっ!!! ふざけるなっ。そんな記憶はないっ!」
「そうだったかしらー? だって、あんなにしつこくしつこく私を追ってきてぇー最後にはひーひー言って泣きそうだったじゃないー」
「殺しあってただけだろっ!!!!!」
「いやだ、なぶってたのよー」
「―――っ」

 あっけらかんと、満面の笑顔を見せた蛇のあやかしに、サスケも山中も絶句する。いっぺんの陰りも曇りも何も無い、ただただ純粋な快楽の意味しか、その言葉には詰まってなかった。
 人間とあやかしは、どんなによく似ていても、全く別の存在だ。
 そんな、分かりきったことを、彼らを見ていると忘れてしまいそうになる。

「もういい、喋るな……」
「ええと、それでは、君が使役するあやかし、ということでいいのかな?」

 げっそりした表情のサスケに、小さく山中は笑いかける。
 ようやく、山中の心中に整理が着いたのだろう。サスケは詮索する気にもならず、ただうなずく。
 もう一刻も早く家に帰りたかった。
 熱い緑茶と梅干でも食べたい。
 本気でサスケがそう思っているというのに。
 山中は蛇のあやかしへと向き直る。

「―――名前を、聞いてもいいかな?」
「私ー? いのよー」
「いのさん、か。…サスケ君と、仲良くな」
「変な事言うのねー? 私、あやかしなのよー?」

 心底不思議そうに首をかしげて笑ったあやかしに、山中もそれもそうだとうなずいて笑う。
 どうやらまだ話が続きそうな気配に、サスケは辟易する。
 今日一日、蛇のあやかしと出かけて分かったことは、このあやかしは自分よりも遥かに社交的で人見知りせず話好きだということだった。

 二言三言、言葉を交わして、山中はしみじみと、本当にしみじみと息を吐いた。
 零れ落ちた吐息にも似た呟きは、なぜか、ひどくよく聞こえた。

「―――ああ、本当に、よく似ている」
「山中さん?」
「…あ、いや、すまないね。―――娘が、君とよく似ていたから…つい、ね」
「へぇーじゃぁ美人なのねー娘さん」
「自分で言うな」
「はは、そうだね、親の贔屓目かもしれないが…美人だったよ。確かに…。モデルをしていたしね、君みたいな色に髪を染めてね、長く伸ばしていた」
「過去形なのねー」
「おいっ」
「…ああ。いいんだ。いいんだよ。もう、過去の話だ。あの子が蒸発してもう五年経つ。どこかで生きている、なんて期待はしていないよ」

 それは、嘘だ。
 山中の目はまだ蛇のあやかしに向けられている。
 娘だと、思ったのだろう。
 娘を思い起こしているのだろう。

 山中家の娘に、うちはサスケは会ったことがない。興味がなかったし、必要もなかった。
 だが、それでも忽然と行方不明になったという話は、キバを通じて伝わってきた。

 山中の娘は、蒸発したらしい。なんの音沙汰もなく、ただ、忽然と消えた。
 最後に会った人間は仕事仲間。仕事の現場からいつもどおり帰った彼女は、ついに帰らなかった。実家に住んでいた彼女の出奔に、最初は両親もただの外泊や飲み会で遅くなっているのだろうと思った。その時点でおかしいとは思ったらしい。いつも、少し遅くなる時ですら連絡を欠かしたことのない娘だったのだ。
 何の予兆もなく、そして、なんの理由もなく、彼女は消えた。
 血眼になって両親が探したのも仕方のない話だろう。

 だが、彼女は帰ってこなかった。
 もう、五年も前の話だ。

「ふーん、残念ねー。そんなにそっくりなら見てみたかったわー」
「ああ…そうだね、いつか、うちにおいで。きっと娘も喜んでくれるさ」
2011/12/18
犬塚さんの出番はないですすいません(汗)