一部分だけ短くなった髪を振り乱しながら、少女は倒れる。
空ろな瞳から涙がこぼれる。
ぼうと、開かれた唇から唾液が伝った。
呼吸さえも上手く出来ずに、不恰好に息を吸う。
全身が濡らす汗がその消耗の激しさを物語っていた。
ぼんやりと開かれた瞳の向こうに、血の川が続く。
血の先にたどり着く、父親の死体。
その向こう側に、見慣れぬ靴と、見慣れぬ衣装と…見慣れた、顔。
「……どう、して……」
少女は声を絞り出す。
しゃがれた声を必死に搾り出して。
「どうして…姉上が…?」
「嫌いだから」
「………?」
「日向が嫌いだったから、よ」
にこりと笑う大好きな姉の姿。
自分よりも弱い、なんて、蔑まれて、日向の人間には常に見下されて、正当な日向後継者さらも外されて。
だから、嫌い、だった?
最近打ち解けていたように見えた父親も?
時折話をしていた従兄弟も?
境遇に同情して優しく笑った使用人も?
優しいお姉ちゃんと慕っていた子供も?
「………嫌い、だから………? それだけ…」
「…………」
「………。…………それだけの…ために…。そんな、理由で…皆を、殺した………?」
「ええ。それだけのために」
「なに…それ…」
ゆるりと少女は立ち上がる。堪えきれない感情が、信じられないほどの力となって全身をみなぎらした。
怒りに鼓動するかのように白眼が発動する。
わずか8歳の子供のものとも思えぬ殺気が少女を纏い、恐ろしい俊敏さで駆けた。
その速さは、恐らく、普通の下忍どころか中忍すら上回るものだっただろう。
下忍の、ハナビの知る姉であるなら、全く反応できるはずのない動き。
「…っっ」
けれど、少女の拳がチャクラと共に姉を捉えるよりも先に、姉の拳が少女の腹にめり込んでいた。
倒れて初めて、その事実に少女は気付く。
いつ、姉が動いたのかも少女には分からなかった。
ただ、腹筋の痛みに涙と唸り声をもらす。
弱い。
力がない。
落ちこぼれ。
日向家の当主になどなれない、役立たず。
姉に対しての評価。悪意に満ちたそれらを少女は否定してきた。
優しくて、穏やかで、物腰の柔らかい、姉。
力なんて、なくても、日向当主なんかでなくても、弱くても、そんなの、関係ない。
だから、気にしないで、姉上。
―――私がいるよ、姉上。
あなたは弱いから、私が守ってあげるの。
倒れた父と、目があった。
涙にぼやけた目に、父の青白い面と血の跡。
その血を引きずるように靴が、ずるりと動いて。
ハナビは、姉に、はっきりと、恐怖した。
怖い、怖い、怖い、怖い…怖い!!!!!
「い、いやぁああああああっ!! こ、殺さないでぇ!!」
気づけは足が動いていた。
身体は180度反転して、駆け出す。
パニックになった頭に、後ろから追いかける足跡が入り込んだ。
―――怖いっ怖いっっ怖い!!!!!!
目の前に降り立つ黒装束。
圧倒的な力の差を感じた。
弱いはずなのに。日向きっての落ちこぼれなのに。
役立たずなのに。
それなのに。
…怖いッ。
弱い、と、そう思っていたのは誰?
弱いなんて事ない、気にしないで、そう言いながら、誰よりもそう思っていたのは…。
伸びかけの真っ黒な髪に、真っ黒な衣装。瞳だけが白い。
白眼だから当たり前なことなのに、それ、恐ろしく気持ち悪く、怖い。
「愚かなる、妹。貴女なんて、殺す価値もない」
嘲りに満ちた言葉。
ガンガンと頭の中に響き渡って、何も考えられない。
「弱い妹。皆に強いと言われて本当にそう思ってたの? 本当は、ほら、そんなに弱いのに」
くすり、と笑う黒装束の姉の姿。
怒りと恥ずかしさに、少女の顔が赤く染まった。
見抜かれていた。
弱さを。驕りを。傲慢な誇りを。プライドを。
「なんて、愚かな妹。なんて、みじめな姿。…憎みなさい。恨みなさい。私を倒したいなら、私を殺したいなら、憎んで、憎んで恨んで、生きのびればいい。みにくく、みっともなく、逃げて、逃げて、生にしがみつけばいい」
どうして、どうして、どうして…っっ。
誰もが日向家当主として接していた。
誰もがハナビに丁寧に接してくれた。
けれど、決して自由はそこになかった。
強くなることしか求められない環境。
強いことだけが、ハナビにとって大事な事で。
強くなれば認めてくれた。
強くなれば褒めてくれた。
強くなれば笑ってくれた。
弱ければ、誰も相手にしてくれない。
姉の姿を見て、それを本能的に知っていた。
だから、同情していたのかもしれない。
哀れんでいたのかも知れない。
弱くて誰からも相手にされない姉に懐いていたのは、ただ、可哀想だから―――相手をしてあげよう…と…思って…。
「ちっ…ちがう…っっ」
「違う?」
「うっ、嘘だ…嘘でしょうっ!? こんな…こんなの姉上じゃないっっ!! だ、だって」
思い出す。
思い出す。
優しさに彩られた生活を。
どんな目で見られても一緒にいる時だけは平気だった事を。
誰に何を言われても、話したら楽になった。
姉上と呼んだら笑ってくれた。
食べる物すら制限された家の中で、手作りのお菓子をこっそりと渡してくれた。
体調を崩したら、必ず一番最初に気付いてくれた。
風邪を引いたらずっと一緒にいてくれた。
傷口を放置してたらすぐに怒られて、奇麗に手当てをしてくれた。
どの行為も、他の日向の一族にはよく思われていなかったというのに。
面を向かって罵倒されても、否定されても、乱暴されても…決して変わらなかった。
気が弱くて、けれど強くて、涙が出そうになるほどに、優しい人だった、から。
強さしか見ない一族の中で、ハナビを…ハナビ自身を、受け入れてくれたのは、彼女だけだった、から。
すがり付くように、必死に言葉を紡ぐ少女を拒むように、ヒナタはゆるやかに瞳を閉じた。
「…哀れね。自分が強いと思い込んで、持ち上げられて、日向の言いようにされていることにも気付かず、何も知らず。………だから、同情してあげたのよ? ハナビ。貴女と一緒で」
「…ど、う、じょう……?」
「―――知ってる? ハナビ」
そう、一歩踏み出したヒナタに、ハナビは知らず後ずさる。
ゆるりと開いたヒナタの瞳に、鏡のように怯えるハナビが写りこんでいた。
「私はね」
じわり、と後ずさる。
怖かった。
何を姉が言おうとしているのか、予想などまるでできず、何も考えられず。
「…貴女のことが、一番嫌いだったのよ?」
にっこりと、笑って述べられた言葉は、ハナビにとって、全てに対する決別の言葉だった。
ざわめきに目が、覚めた。
ああ、うるさい。うるさい。うるさい。
眠っていたのは大した時間じゃないだろう。
けれど、なんて、嫌な白昼夢。
「ハナビ…さん? 先生来たよ」
「早く行こーぜお前ら!」
「………」
目の前に立つのは同じ班員と示された2人だ。
…犬塚家と、油女家の…かつてのあの人と同じ、組み合わせ。
偶然ではないだろう。かといってなんの目的があるのかどうかなんて、知らない。
関係ない。
何故なら。
「私の名前は日向ハナビ。好きなものも嫌いなものも特にない。夢はない。けれど、目的ならある」
拳を握る。
「日向の再興。そして、ある人を―――必ず、殺す事」
里の目的も陰謀も関係ない。
私の存在理由は、ただ、それだけなのだから。
2008年9月22日
うちは家→日向家
イタチ→スレヒナ
サスケ→ハナビ
ってのがしたくって!(笑)