夜。人気のない道を歩いていると視界の隅にうつる白いかげ。
街路樹の横や曲がり角、すでに閉まったタバコ屋の軒先。
それは白っぽい服を着た人のすがたをしていて、道行く人をうつろな目でながめている。
すれ違うと目だけを動かして私を見る。
目を向けるとそれらはふっと消えて跡ものこらないから、気のせいなのだと思っていた。
…ただの目の錯覚なのだと。
久しぶりに遅くなった飲み会の帰り道。
駅で友達に別れを告げて、ところどころ街灯のともる夜道を行く。
どこからかほのかに花のような香りがする。
少し冷たい夜風がお酒で火照った頬に気持ちいい。
横断歩道の赤信号で立ち止まり、バックから携帯を出そうとしたとき、携帯と一緒にポロリと何かが地面に落ちた。
あ、落としちゃった。
昨日買ったばっかりのリップクリーム。まだ3回も使ってない。
ころころと転がっていったそれは、近くの街路樹にあたって止まった。
それを白い手が拾い上げる。
白く、ぼんやりと光る手。
ぼーっとそれを眺めかけて、はっと我に返った。
目の錯覚に落し物拾ってもらう私って結構やばくないか。
『落としましたよ』
しゃべったーっ!とか心の中で叫びつつ目を合わせないように深くうつむく。
あれは目の錯覚、まぼろし、幻聴…むしろ幽霊に近いもの。
まともに相対したらなにかまずいことになるような気がする。たとえば黄泉の国に連れて行かれるとか。
『あの…?』
戸惑い気味に話しかけられたのにも聞こえないフリ。ああ早く信号青にならないかな。
『落としましたよー』
しつこく呼びかける声にぎゅっと目をつむる。もぅ何が何でも無視だ無視。あれはきっと普通の人には見えないものなんだから。私は普通の人でいたい。
そう頑なに聞こえないフリを押し通しているとふぅ、という軽いため息が聞こえた。
そうしてコツン、と靴に何かがあたる感触。
「……?」
思わず目を向けるとそこには落として白い手に拾われたはずのリップクリーム。
転がして、くれたのだろうか。
拾ってくれたのに、怖がって目を合わそうともしない失礼な女のために。
「あら、これ私の。そっか、落としちゃったのね」
白々しく声を上げると、街路樹のところでうんうんと頷く気配。
『そうそう、落としちゃったんだよ』
その無邪気さに、思わず笑みがこぼれる。
「買ったばっかりなんだもの、なくしたらもったいないところだったわ」
独り言のようにそう呟く。あ、信号青になった。
『気付けてよかったね〜』
どこか間延びしたような話し方。
でも本当に嬉しそうに言ってくれるものだから、無視したことにちょっと罪悪感を感じた。
でも、やっぱりしっかり相対するにはちょっと怖い。あれは得体が知れないもの。
でも悪いことはされていないんだし、ちょっとくらい。
「ありがとね」
そう呟いて横断歩道を渡ると、視界の隅に満面の笑みで大きく手を振る白い人影が映った。
2007年5月3日
なんか本当は人間だった予定が最後まで幽霊になっちゃった、そんな彼。
いざ書いてみると、こんな予定変更しょっちゅうです。
この後どうなるのか、ちょっと続きがかいてみたい気もします。
浅羽翠