夜中、ふっと目が覚めて、視界に映ったのは自分の部屋の天井。

 顔をうごかすと、そこは見慣れた自分の部屋。

 乱雑に積み上げられた雑誌、部屋の隅にかき集めてある洗濯物。
 台所には使い終わった食器が洗いもせずに積みあがっている。
 典型的な、男の1人暮らしの部屋。
 片付けなくてはと思うのだが、仕事で疲れた身体にはそれさえ面倒臭い。

 一人暮らしを始めてすぐに万年床となった自分の布団から起き上がると、自分はまだスーツを着ていた。

 ああ、着替えもしないうちから眠ってしまったのか。

 着替えないで眠ったせいでごわごわになってしまった身体を動かしながら、大きなあくびをひとつ。







 それにしても、リアルな夢を見たもんだ。

 場所はうちの近所の横断歩道。
 ほろ酔いかげんで歩いていた女の人が、携帯を取り出そうとして一緒にリップクリームを落としてしまうのを、横から見ている夢。

 見かねてリップクリームを拾って声をかけたけど、彼女には僕が見えていないみたいだった。

 夢なんだから当たり前か。

 見えていないというよりかは、見ないようにしているようにも感じたことが気にかかる。
 彼女の足にあたるようにリップクリームを転がすと、「落としちゃったのね」なんて言いながら拾っていた。

 照れたようにうっすら染まった頬が可愛かったな。

 『ありがとね』と囁いたあの言葉は僕に向けてだったんだろうか。
 しょせんは夢での出来事なのに、妙に気にかかる。

 できることなら、彼女の顔を正面から見てみたかった。







「寝なおすか…」

 明日も仕事だ。

 楽な格好に着替えて窓をあけると、冴えわたった夜の空気が頬を撫でた。













 その日の仕事が終わって家に帰る途中。
 家の近くのあの横断歩道。赤信号で立ち止まった僕はふっと横を見て凍りついた。

 心拍数があがる。

 だって、横にいたのは彼女だ。
 夢に出てきて、リップクリームを落としたあの女の人。

 びっくりして思わず見つめる僕に気付かず、彼女はバックから携帯を取り出した。
 そして携帯と一緒にポロリとリップクリームが地面に落ちた。

 夢とまったく同じ。

 違うのは、昼か夜か、夢か現実かの違いだけ。
 強烈な既視感に軽いめまいを感じながら、こちらに転がってきたリップクリームを拾う。

「あの、落としましたよ」

 また無視されるだろうかと緊張しながら発した言葉に、あっさり返事が返ってきてちょっと拍子抜けする。

「あら、また落としちゃったのね。ありがとう」
 なんだかしょっちゅう落としちゃうのよね、入れる場所が悪いのかしら。
 なんて照れ笑いしながらリップクリームを受け取ろうとこちらを向く彼女。

 また?またってどういうことだろう。まさか、昨日もここでリップクリームを落としたとか。
 昨日見た夢の光景が脳裏によみがえる。あれは、現実のことだったのだろうか。

 彼女の顔を正面から見ることができたことで、ちょっとした悪戯心が浮かんだ。
 きっとあれは夢だったんだけど、正夢っていう言葉もあるじゃないか。

 これで気味悪がられてもこれっきりの縁だ、かまうことはない。
 むしろせっかくのこんな機会をふいにして、また何の関係もない他人に戻るよりかは。







 受け取ろうと手を差し出した彼女の手をふいっと避けて、僕はちょっと笑った。

「それとも、また転がして渡したほうがいいですか?」

 ちょっと身を屈めて手にしたリップクリームを地面に転がす。
 それは夢とまったく同じようにコツン、と彼女の靴にぶつかって止まった。

 彼女の目がこれ以上ないってほど見開かれる。
 驚いている彼女を見ながら、僕は緩む頬をおさえきることができなかった。








2007年6月3日

『ある春の夜道のできごと』のつづき。幽霊目線(笑)
題名が似てるのはわざとです。
幽霊だった男の人は幽体離脱が無自覚でできるひとになってしまった…。



浅羽翠