宮司の家で、インターフォンが鳴った。
「今日はお早いお着きですね」
玄関で出迎えた宮司・宮路はインターフォンを鳴らした人物を見て目を細める。
「7時とやらに合わせてみたぞ。訪問の仕方はこれでいいんだよな?」
尊大にそう言ったのは、白い髪を腰まで長く伸ばした少年だった。夜目にも鮮やかなそれを、少年はうるさそうにはらって緋色の目を細める。
緋色の瞳…人ではあり得ぬその色を、しかし宮路は驚きもせず、穏やかに見つめ返して頷いた。
「大変結構ですよ、ハクヤ様。それから、初めての訪問の場合には、手土産を持っていくと好感度が上がりますよ」
「そうか」
宮司の家に足を踏み入れた少年―――ハクヤは、そのまままっすぐ居間に向かい、迷うことなくテレビの前に座った。
何度も訪問しているのだから慣れたものである。もっとも、彼がまともに玄関から入ってきたのは今日が初めてのことだったが。
「こんばんは、ハクヤ様。今日は社会勉強の日でしたね」
ちょうど夕食が終わったところだったのだろうか、机を拭いていた宮路の妻、静がハクヤにお茶を出しながら言う。
ハクヤが人間の社会のことを知りたいと言い出したのは3ヶ月ほど前のことだった。
それから数週間に一度ぐらいの頻度で、ハクヤは宮司である宮路の家を訪問し、テレビを見たり話をしたりしている。
突然人間の社会を知りたいとハクヤが言い出した理由は知る由もない。が、静は誰か人間として接したい人がいるのではないかと思っていた。
食事の仕方や家での過ごし方、人への気遣いの方法…彼は誰かに好感を持たれるような方法に特に熱心になったから。
「今からの時間なら、全国放送のニュースなんかが社会勉強にはおすすめですよ。事件の報道だけでなく、芸能や流行なんかもやっていますし」
言いながらリモコンでチャンネルを変えていく。
「悪いな、せっかくの夫婦水入らずの時間を邪魔して」
言いながらハクヤは出されたお茶を飲み干し、テレビの正面に胡坐をかいて座った。
その様子はまるでテレビに釘付けになっている子供のようで…。なんだか微笑ましくなって静は笑った。
「なぁ…もしも、村に大きな工場とかができて村が大きくなったら、お前達は嬉しいか?」
ハクヤがそう言ったのは、大きな企業が地方に進出したというニュースがあった後だった。
テレビは今、クリスマスのイルミネーションの様子を映している。
「そうですね…正直私は、どちらでもいいです」
「なぜ?反対とか賛成とか、いろいろあるだろう?」
ハクヤ達が住む村は、山の間にある小さな村だ。
人口もそれほど多くなく、農地は自分達の分と都市に出荷する分を作るのに充分というほどしかない。
人々はその小さな村で、助け合いながらつつましく暮らしている。
その村の中心となっているのが、ハクヤが神として祀られているこの神社だった。
「良い事と悪い事があります。大きな工場がやってくれば、人が多くなり村は活性化するでしょう。しかし、外から来た人々によってこの村の安穏とした空気がなくなってしまいます。もしかしたら、今住んでいる人々が暮らしづらくなるかもしれません」
「たくさんの物と人がやってきて便利になるでしょう。でも、もしその工場がなくなってしまったら?その便利さは失われてしまい、便利さに慣れた人々はこの村を出て行くかもしれません」
夫の後に続けてそう言った静は、私は村がよそ者によって荒らされることよりも過疎が怖いですよ、と言った。
「ハクヤ様を祀るひとがいなくなってしまうじゃないですか」
「このままの村も好きですし、大きくなっても嬉しい。だからこその『どちらでもいい』なのです」
べつに無関心からくることではないのですよ、と弁解して宮路は茶をすすった。
「そう、か…。大きな工場を作れば、お前達は嬉しいかと思ったんだがな」
そしてあの子も喜んでくれるかも、と。
「あなたが作りたければ、作ればいいのです。私達は反対なぞいたしません」
「私達は神であるあなた様の作る流れに従うのみ…。流れを作るあなたが私達に気兼ねすることなど、ないのです」
「大丈夫、私達は住みよいように泳ぐことだって出来るのですから」
ハクヤを安心させるように、宮路はそう言って微笑んだ。
「私たちを知ろうとしてくれているのは嬉しいのですが遠慮、してる感じがしますよねぇ」
その夜、ハクヤが去った後宮路は妻と茶を飲みながらそう呟いた。
人間びいきは昔からだったような気がするが…。
「初めて会った頃の傍若無人な彼が懐かしいものです」
「私たちはただ、ハクヤ様の望みをかなえる手伝いをしていればいいの」
そう言って静は湯のみを置いた。
「懐かしむのはいいですけど。あなた、それ以上飲むと夜中にトイレにいく羽目になりますよ」
妻にやんわりとたしなめられて、宮路は慌てて湯飲みを置いた。
まだ、頻尿になりたくはない。
宮路と静の穏やかな夜はこうして静かに更けていった。
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