世界が壊れる音がする…。
ガラガラ。
ガラガラ。
壊れていく。
全部
全部
全部
何もかもが
―――無に、戻る。
ああ、それなのに。
―――もう、どうでもいい。
満足だ。
なぁ、お前は満足か?
俺はさ、満足だけど、お前はどうだ?
お前は、満足したか?
―――ああ、ここまできて、思い浮かぶのは結局お前のことか。
民のこと、父のこと、母のこと、弟のこと、部下のこと、考えるべきことはたくさんあるのに。
結局、お前が俺の全てだったのかもな。
…俺、はさ。
結構昔っから色々強制されて生きてきた。
俺は国の第一王子だから。
だから、誰もが思う"王子"って型の中で生きてきたんだ。
笑顔も振りまいて、政治やらなんやら学んで、ひっきりなしに体鍛えて、誰の期待にも応えようと、そう思った。
でも、気付いた。
そうやって、何が残る?
"王子"の型が俺。俺は"王子"。
じゃあ、"王子"じゃない"俺"はなんだ?
弟が生まれて、その弟が結構優秀で、俺よりも絶対王様に向いてるヤツで。
ああ、王様なんて俺じゃなくていいじゃん。
そう思ったから。
"王子"の型を捨てた。
俺は"俺"で生きたいと思ったから。
"王子"の型を捨てたら、周りの反応も手の平返すように綺麗に変わった。
俺、は王子であって王子でないようなものだった。
でも、"王子"を捨てたのは後悔してない。
"王子"が"俺"になっても俺は困らない。
俺の代わりに弟がいる。
弟は優秀だし、王子であることに疑問なんて抱いてない。
無理をして"王子"を演じているわけではなく、"王子"そのものが弟だ。
弟が王になればいい。
お前は、"救世主"の型の中で生きていた。
俺は"王子"を捨てて、それに気付いた。
お前は、いつも笑ってたんだ。
いつだって。どんな時だって。
馬鹿みたいに笑って、笑顔振りまいて。
だれもがお前を慕っていたさ。
聖女、とか。
救世主、とか。
女神、とか。
神の使者、とか。
好き勝手呼んでる奴らに、にこにこ笑顔向けて。
全部、嘘っぱちじゃねぇか。
お前の笑顔は、ただ浮かべられているだけのこと。
その笑顔に心なんて全く篭っていないこと。
気付いた。気付いてしまった。
なんだかそれが、昔の俺を見ているようで、嫌だった。
だから。
「お前、さ。救世主なんだって?」
初めて、正面から向き合って、会いにいった。
これまでお前と会ったことのあるのは"王子"。
これまで俺が見てきたのは"救世主"。
お前は笑顔のままで俺に向き合った。
その笑顔を壊したくて、会うたび会うたび嫌味をぶつけた。
けど、お前の忍耐結構すげえな。どうやっても笑顔が崩せないから、ああ、こりゃあもう実力行使だな、って思った。
「なんか、それって疲れないか?」
心底不思議そうな顔を装って、聞いてみた。
笑顔が小さく軋んだ。
それなのに、必死に"救世主"として笑顔を浮かべるから。
なんかムカついて、いい加減にしろよ、って思って、お前の頬を引っ張った。
したらお前、思いっきり眼を見開いて、ぱちぱちと素早い瞬きして。
それに、笑った。
それからようやくお前は笑顔以外の顔をするようになって、俺はそれが嬉しくて、なんやかんやとちょっかい出して遊んだ。
そうやってみれば、お前は怒りもするし、泣きもするし、困りもする。とことんただの人間だった。
笑顔だってよくよく見ていれば幾つか種類があって、その時々の感情がにじみ出ていることに気付いた。
俺は、お前と過ごすのが心底楽しくて、周りの目なんて考えていなかったけど、俺とお前の関係を良く思われていないのは分かっていた。
俺は、さ。
お前が好きだ。
それだけは断言できるんだ。
けれどそれは、俺が"王子"で、お前が"救世主"である以上、絶対に表に出せる感情ではなくて。
「王子」
「あ?」
「彼女は神の使いたる救世主です」
「……………知ってるよ」
だから。俺と一緒になることは出来ないんだろう?
俺が好きになってはいけないのだろう?
その逆もまたしかり。
救世主は神の子であり神の物なのだから。
穢れなき神の…。
…だから、なんだよ。
話しをするのがいけないことか?
悩みを相談して、相談されるのがいけないことか?
怒って、笑って、泣いて、感情に振り回されてはいけないのか?
人を、好きになってはいけないのか?
お前が世界を救う。
それは救世主たるお前に宿命付けられたことだから。
救世主になるしかなかったお前だから。
逃げたくてもがんじがらめに縛られて、ほんの少し救世主の道から外れることさえ出来なかったお前だから。
世界は、お前に救われる。
お前が民を、父を、母を、弟を………俺を、救う。
―――それなら、お前は誰が救うんだ?
なぁ。神様とやら。
どうしてこいつが苦しまなければならない?
誰に相談も出来ず、ただただ笑い続けて。
たった一人で、生きて。
感情を凍らせて。
生まれてすぐに両親から引き離して。
国の管理下において見世物にして。
なぁ?
どうして、俺たちを救う人間を俺たちが苦しめているんだ?
俺は、嫌なんだよ。
なぁ、オヤジ。
"王子"は民を導くのが役目なんだろう?
民のために生き、民のために全てを尽くす。
こいつは、民だろう?
救世主だからなんだ?
神の子とやらだからなんだ?
聖痕なんてもん体に持って生まれてきちまっただけの女じゃねぇか。
だから、思った。
俺の役目はお前の傍でお前を守ることだ。
お前が世界を守るなら、俺はお前を守る。
お前の救った世界で、お前が作る世界で。
お前と俺で、世界を救おう。
「俺も協力するから。もっと強くなって、お前を手伝うから。だから、一緒に世界を救おう?」
結構、俺にとっては一大決心だった。
お前を救うために、"王子"に戻ろうと思った。
"王子"を捨てた俺が、完全な"王子"であることはもう出来ない。
だから、実力行使だ。
戦に出るときは率先して兵を率いた。
元々武術に優れていたし、兵を率いる能力は部下たちのお墨付き。
負け戦はしたことなかった。
帝王学に政治に、一度学ぶことを止めたもの、全部引っ張り出して、もう一度"王子"として認められるように、必死だった。
だから、気付くのが遅かったのかもしれない。
お前が笑顔の裏で隠してるもの。
いつだって俺しか気付かないことなのに。
俺にしか気付けないのに。
気がついた時には、手遅れだった。
ぼう、として、いつもの癖になっている笑顔すら浮かべないでいるから、気になってはいたのだ。
「お前、熱でもあるんじゃないのか?」
救世主が病気にかかることなんてあるんだろうか、とちらりと思ったけど、気分が悪そうにしか見えなかったから、手を伸ばして、熱を測ろうとしたら、急にお前の体がぐらりと揺れて、慌てて抱きかかえた。
腕の中の小さな体は、驚くほどに熱くて。
「馬鹿!!頑張りすぎだ!!!」
思わず怒鳴った。
気付けなかった自分が馬鹿で、情けなくて、どうしようもなく悔しくて。
自分で自分が分からないくらいに動揺して、お前の体を抱きかかえたまま、王家直属の医師の元へ走った。
「でも、嬉しかった」
それから3日ずっと眠り通しだったお前がようやっと目を覚まして、倒れたことを説明すると、いきなりそんなこと言うから、俺は唖然とした。
人がどんだけ心配したと思っているんだ?
「だって、心配してくれたんでしょう?」
首を傾げて、少しだけ不安げに聞いてくるお前に、俺は怒鳴りつけた。
「当たり前だ!この馬鹿!!!」
お前は心配なんてしてもらったことがなくて、人に愛されたこともなくて、それが悔しかった。
どうして、お前が苦しまなければいけないのだと。
そんなこと考えてたら、お前が突然俺に抱きついてきて。
あんまり突然だったし、俺はみっともないくらいに慌ててしまった。
けど、お前の体があんまりにも小さくて、細くて、頼りなくて、思わず抱き返した。
「………心配、かけるな。俺を頼っていいから。俺も協力するから。…無理しないでくれ」
ああ。もう。
どうしようもなく自分が情けなくて、俺に出来ることなら何でもするから、無理をしないで欲しいと思った。
でも、もう、俺に出来ることは何もないんだな。
力の入らない体がどれだけ血に濡れているのか、自分で分かっていた。
俺はもう駄目だと、分かった。
けれど、この道を選んだのは自分。
「私たちの役目はここまでです。後は救世主様に任せましょう、王子」
そう言った部下の一人に、ふざけるな、と思った。
救世主だから何でも出来るわけじゃない。
傷つかないはずがない。
それなのに。
どうしてお前をたった一人で敵の懐にやることが出来るんだ。
憤る俺に、何故怒るのかわからないといった顔の部下。
どうして、どうして。
俺たちはお前を苦しめる。
「…ここから先は危険ですので、皆様は先に帰ってください」
笑顔で、お前は戦地へ向かう。
その笑顔の裏の感情に俺が気付いてないとでも思うなよ。
どんだけお前は意地を張ってどんだけ一人で苦しむつもりだ。
「俺は行く、お前らは来るな」
それだけ行って、部下を置いてきた。
引き止める声は聞かなかった。
「おい!!」
俺の声に、立ち竦んだお前を、後ろから抱きかかえた。
こんなにも小さな少女に、全ての敵をまわすなんて残酷なことがどうして出来る。
「…どうして、きたの」
か細い震える声。
一人震える少女。
あまりに小さな存在。けれど大きな存在。
「無理をするな、と言った筈だ」
俺の方を向かせて、その青ざめた頬に浮かぶ涙を拭い取った。
緊張に震え、青ざめ、たった一人孤独に敵と向かいあう少女。
「俺が協力するから、お前だけに背負わせないから…だから…」
一緒に行こう。
「泣くな」
俺は笑った。もう目の前がはっきりとは見えない。
ぼろぼろぼろぼろ涙を零すお前の顔を目に焼き付けた。
感覚のなくなってきた右腕を上げて、お前の顔を引き寄せる。
ほんの一瞬だけ唇が触れ合って、俺は、笑った。
「好きだ。ずっと愛していた」
ずっと。ずっと。
もう、見えないお前の存在を、降り注ぐ涙の雨が知らしてくれた。
「あ、た…あたしも…好きだよ。愛してるよ」
俺は、多分目を見開いた。
最後に聞くお前の言葉は余りにも嬉しいものだった。
俺は、笑って
「ありがとう」
死んだ。
俺さ、楽しかったよ。
お前といることが出来て、すっげー嬉しかった。
幸せ、って言うんだろうな。
もう何も見えない。
もう何も聞こえない。
もう何も感じない。
けど、お前の泣き顔だけは俺の頭の中にあるんだ。
ガラガラ。
ガラガラ。
あたしは、あなたの剣を手に持った。
あなたの血に濡れた剣は、ずっしりとすごく重かった。
「あたしは世界を救わない」
だって、あたしの世界はもう死んだもの。
あたしはもうこんな世界どうでもいい。
あなたがあたしの全て。
もう、満足なのかもしれない。
あなたは命を賭してあたしを守ってくれた。
あなたはあたしを「愛している」と言ってくれた。
信じられないほど幸福なことだ。
だから
「あたしは世界を殺す」
手に持った剣で、あたしはあたしの喉を貫いた。
静寂。
その、後、まるで世界が女の死を嫌がるように、その死を拒絶するように全てが振動して。
"救世主"と呼ばれた神の子たる女が消えた。
"王子"を一度は捨てた王子たる男が消えた。
王子であり続けた男が消えた。
王であり続けた男が消えた。
王妃であり続けた女が消えた。
部下である兵士たちが消えた。
民である人の集団が消えた。
世界を滅ぼす悪魔が消えた。
世界に害なす魔物が消えた。
もう何も残りはしない。
大地も海も川も山も。
全て消えうせた。
星、そのものが消滅した。
暗闇の中、誰もいない。何もない。
――― そうして世界は滅びた ―――
2006年6月29日
最初はもう少し救いのある最後でした。
とりあえず、弟は生き残る予定でした。
世界の滅びは大地の滅びであり、人間は少し生き残って、王と王妃は死ぬんですよ。
でも弟は奇跡的に生き残って、その為と王子であった為に神の使者と謳われ、民衆を導く役目を背負わされ、その時初めて"救世主"や"王子"だった兄のことを理解しながら、次第に狂って神が何だ救世主が何だ全部滅んでしまえと全てを呪う話。
…どっちもどっちですね。
第三者(弟)から見た"救世主"と"王子"というのも書いてみたい気はしたんですけど、さすがにネタが尽きているので止めます。