『赤の主従』












 タクティシャンはマスターこと衛宮士郎が家に入るのを待って閂をあけた。
 扉の向こうに警戒する2つの気配。
 ああもう笑ってしまう。
 笑ってしまうけど、心の中に留めておこう。
 うっかり顔が緩まないように、気合を入れる。

 これは聖杯戦争だ。
 ほんの少しの油断は命取り。
 利用できるものは利用し、勝利をかっさらう。
 目的は聖杯。
 聖杯が起こし得るは一つの奇跡。
 その奇跡を、マスターもサーヴァントも等しく欲し、互いの足を引っ張り合う。

 聖杯戦争に参加したからには他の6人とそのサーヴァントを排除しなければならない、生き残りをかけた殺し合い。

 一つ頷く。
 魔術はすぐに展開できる。
 赤い外套は、聖骸布から作られたモノ。
 儀式を繰り返す事によって、戦闘を繰り返す事によって、より強力に、より頑強に、より有名に―――それこそ、魔術師ならば知らない者はいない存在へと、変化してきた。
 それは身の守りに特化した能力でありながら、攻撃の補助ともなる魔術礼装。
 魔力を増幅し、外敵からの魔術を無効化する。
 ついでに魔力を流し込み、特定のスペルを唱える事によって従来の魔術よりも遥かに短い時間、遥かに少ない魔力で魔術を行使できる。その仕組みが見えないところにあったりする。
 勿論それぞれの機能に制限もあれば限界もあるが、タクティシャンが周囲の人間と作り上げた最高の魔術がこの外套である。

 タクティシャン、という滅多に現れることのないクラス。
 セイバー・アーチャー・ランサー・ライダー・キャスター・バーサーカー・アサシン。
 その内のどれかを食いつぶし、タクティシャンというクラスが存在する事がある。
 滅多にないことだからこそ、他のクラスにとってタクティシャンの宝具は分かりにくく、その真名も悟れない。

 卑怯とも言える好条件だが、反面タクティシャンの能力はマスターによって大きく変わる。
 マスターがサーヴァントの話を聞く人間じゃなかったり、真っ直ぐ突っ込む事が好きだったり、疑りぶかすぎてサーヴァントの話の裏をかくような人間なら、まぁ、大抵コロリと自滅するのだ。

 なんせ、タクティシャンとは考える者。策士であり、戦略家であり、軍師であり。
 だから、マスターが策に従わぬならただのサーヴァントに他ならない。ただのサーヴァントどころか、魔術師でも戦士でもないタクティシャンは大抵知略面に偏っている。英霊たるものあらゆる面で優れていることに違いないが、それでも突出したものへの差はある。つまり、タクティシャンは万能かつ優秀ではあるが、こと武術面においては一芸に秀でてはいないのだ。

 ―――もっとも。

 ふふん、とタクティシャンは笑う。

 もっとも、それは、一般的なタクティシャンの話だと、そう笑っていた。

 静かに扉を開く。
 ゆっくりと、緊張感をどこまでも高めるように。

 準備は出来ている。
 扉の分だけの距離を持って、サーヴァントとサーヴァントは向き合う。
 対峙はお互いに分かっていたことだ。
 なんせアサシン以外のサーヴァントなら、その存在はいやおうなしに察知できる。

 タクティシャンも、向こうのサーヴァントも、壁越しにその存在を知覚していた。
 本来ならば出会い頭に武器を抜くべき相手。
 既に殺気だっていてもおかしくはないが、タクティシャンに殺意はまるでなく、向こうのサーヴァントも困惑する気配だけが流れてくる。
 ―――恐らくは、予想がつかないのだろう。
 敵サーヴァントが何を考えているのか。

 扉は音を立てて開き、雲は流れ、3人の人影を照らし出す。




 ―――ばさり、と翻るは、赤い外套。




 扉の内と外で、全く同じように、赤が揺れていた。

 息を呑んだのは、誰か。
 1人か、それとも全員だっただろうか。

 外からの訪問者は、内側にいた女に息を呑み―――
 内からの歓迎者は、外側にいた2人に息を呑んだ。

 一番初めに我に返ったのは、タクティシャンに他ならない。
 彼女がこの状況を予測していたただ1人の人間。
 ただ、それでも矢張り動きを止めてしまったのは―――外の光景が、あまりにも、予想通りだったから。

「こんばんは。聖杯戦争のマスターとそのサーヴァント。衛宮邸へようこそいらっしゃいました」

 隙だらけ、とまではいかないが、思いっきり隙を見せて動きを止めている2人に向けて、タクティシャンはそれはそれは優雅に一礼して見せた。
 まったく、見事なまでに隙だらけな動作で。

 この状況で、我に返ったサーヴァントがタクティシャンを攻撃するなら、この戦いはあっさりと終わるだろう。いろんな意味であっさり終わる。
 けれども、タクティシャンの知る通りのサーヴァントであるなら、絶対にそれが出来ない。それはマスターの方も同様だ。
 目の前に餌を堂々とぶら下げられて、それをあっさり掴むほど愚かでも間抜けでもない。

 もっとも、今回はそれをされると結構まずいのだけれども。
 なんせ小細工も何もなしの邂逅であるのだから。
 そんなことはおくびにも出さず、顔を上げて、にっこりと笑んで見せる。

 目の前に佇むは、真っ白な髪を逆立てた立派な体躯を持つ男。
 浅黒い肌を黒い甲冑に包み、その上に赤い外套を纏う。これ以上はないというほどの皺を眉間に寄せて、タクティシャンの赤い外套を凝視する。
 その隣に、緩やかなウェーブを描く髪をリボンで2つ纏めた少女。制服の上赤いコートを纏い、それがよく似合っている。不愉快そうに眉を寄せ、状況を把握しようと踏ん張っているのがよく分かった。もっとも、タクティシャンの赤い外套はどうしても無視できないようで、視線は泳いでいる。

「……どういうつもりかしら。貴女、サーヴァントでしょう? セイバー…じゃなさそうね。…何者?」
「私の紹介よりも先に提案があるのだけど、宜しいかしら?」
「―――凛」

 少女を守るように半身前に出る赤い外套の男。
 タクティシャンはただ微笑み、鷹揚に頷く。
 明らかに殺気立ち、少女の言葉によってはすぐさま戦闘という名の殺し合いが始まるだろう。それでも、タクティシャンは揺らがない。
 澄んだ眼差しで―――たとえそれが形ばかりのものだとしても―――余裕をもった態度を崩さない。
 この場を支配しているのはタクティシャンだ。
 この場に迎え入れたのはタクティシャンだ。
 ―――それなら、タクティシャンが状況を制すべきだ。

「警戒するのも当然ですね。内容よりも理由を話しましょう。聞いてくださるかしら?」
「………ええ、どうぞ、ご勝手に」
「………」

 聞くだけだと、言外にそういう空気を撒き散らしながら、少女は警戒を失わぬままにっこりと笑う。サーヴァントはマスターの意向に従う事に決めたのか、ぴくりとも動かずにタクティシャンを見下ろしていた。能面のような顔に敵意はないが、殺気だっていることは否めない。
 サーヴァントは出会った瞬間から敵同士だ。それは聖杯戦争において絶対の理。
 何故ならば、聖杯戦争はたった1つの聖杯を求めるものだから。
 自分と自分のマスター以外は敵でしかなく、初見の敵に油断も慢心も許されるはずがない。
 全くそんなのどうでもいいのだけれど。

「端的に言うと、うちのマスターは徹底的に役立たずです。ええ。聖杯戦争の"せ"の字も知らない魔術師。それが私のマスターです。マスターとは何か、サーヴァントとは何か、聖杯戦争とは何か、全て、知りません。
 つまり、素人に毛が生えた程度。いえ、素人といっても構わないでしょう。何にも知らないでマスターになったのですから」

 つらつらつらと並べられる"マスター"のこき下ろしっぷりに、男がひるむ。タクティシャンのような美女の口からここまで辛らつな言葉をご丁寧に並べられると、マスターに対して同情すら沸く。
 少女ですらそう思ったのか、ぽかんとして、目を見開いていた。

「ようするに、貴女のような正統な魔術師にとっては箸の先にも引っかからぬような存在。それが私のマスターです」

 ふぅ、とため息をついて、心底困った、というようにタクティシャン。

「待ちなさい。…貴女には私が魔術師か素人か、魔術使いか、正当でない魔術師か、分からない筈よ」
「いいえ。分かります」

 胡散臭そうに睨みつける少女の瞳を真っ向からタクティシャンは受け止める。

「貴女はサーヴァントを正しく従えている。
 サーヴァントは貴女にはむかう様子もなく、信頼を持って応えているように見える。
 貴女とサーヴァントの魔力は安定し、乱れがない。
 何より貴女の目は魔術師の目そのものだ―――」

 嘘は何一つない。
 真っ直ぐかつ純粋。神聖なものさえも感じさせる言葉。
 凛と響く言葉は厳かで、静謐。
 決して疑うことなどできぬ真実の言葉。

 だから。
 裏を求める少女とそのサーヴァントには通用する。
 裏は何一つないが故に、この主従はタクティシャンの意図をつかめない。

「だから、メイガス。貴女にどうか、私のマスターと協力して欲しい」
「な―――!」
「っっ」

 さすがに、主従は息を呑んだ。
 まさかこんなに堂々ととんでもない発言が出てくるなど、予想つかない。
 
「ふざけるんじゃないわよ! 貴女のマスターが弱かろうが強かろうが私には関係ない。貴女が第7のサーヴァントである以上は敵同士。これは聖杯戦争なのよ?
 聖杯を手に入れるためだけの殺し合いなんだから!」
「凛、少し落ち着きたまえ。―――しかし、さすがに納得いかんな。何を考えている」
「協力、いえ、同盟でしょうか、この場合は」

 そう、タクティシャンは首をかしげ。

「私が何を考えているのか。
 ―――簡単です。
 私が考えることは唯一つ。サーヴァントとしてマスターを守りきる。ただそれだけです」

 きっぱりと、清清しいほどに女は断言してのけた。
 『勝たせる』ではなく『守りきる』―――聖杯戦争の根底から覆すような、ありえてはいけない言葉。
 それなのに、女は断言する。
 嘘偽りのない言葉。本気でそれを言っている。
 何の確証もなく、それを理解する。

「それに、聖杯戦争に参加する意味も理由も覚悟も持たない、ただ巻き込まれただけの相手なぞ、すぐに殺す必要もないでしょう。貴女ほどの人間ならすぐに殺せる相手だ」
「む―――」

 それは、確かに。なんて少女は思ってしまう。
 少女は自身の魔術師としての能力に、自惚れではなく事実として自信を持っていたし、最強と呼ばれたセイバーではなくとも、自分の相棒の力を信用していた。

「ふむ。言いたいことは分かった。だが、それは都合が良すぎるのではないか?」
「……そうね。正直、同盟なんていつ裏切られるか分かんないものを組む必要はない」

 そんなものはなくても勝ち残る自信など幾らでもあるし、信用のならない相手に背を預けるコトの方がずっと心配だ。

「マスターは争いを望んではいません。ただ単純に協力者が手に入ると考えていただきたいのです」
「…あっきれた。そんな都合のいい話、信じられるわけないじゃないのよ」
「重々承知しています。…それでも、戦うのは、マスターが何に巻き込まれたのか、それを理解してからでも遅くはない。―――そうは思いませんか? メイガス」
「―――」
「…さて、どうするのかね、凛。どうやら状況は我々の予想を遥かに超えていたようだが」
「―――うるわいわね、アーチャー。分かってるわよそんなこと。…正直、信用は出来ない…でも、罠とも思えない」

 少女は警戒の色を瞳から消さずに、明らかに引いた線からはみ出すことなく頷く。

「…それが、貴女のマスターの意思という訳?」

 タクティシャンは静かに頷く。
 少女は覚悟を決めたのか、ふん、と息を吐いて、腕を組んだ。
 なんともふてぶてしいその様に、タクティシャンは苦笑する。

「いいわ。ただし、同盟を組むなら貴女のマスターと話してからで良いでしょう? 当たり前だけど顔も見てないマスターなんて信用できない」

 頷く。
 笑ってはいけない。
 だれがマスターかもう分かっているのでしょう? 貴女は。
 だから余計に、この申し出をはねつけ難い。

 少女はタクティシャンにいたくご機嫌斜めに頷いて。

「―――それじゃあ、話し合いを始めましょう?」

 それはそれは優雅に先を促してのけた。

 そう、それはまさしくタクティシャンの望む展開。
 まぁ色々言ったけど、いかにも企んでるように見せかけたけど。
 うん。
 結局のところ、タクティシャンは話し合いがしたかっただけだったりしたのだ―――。
2011年4月3日