『もう一つの戦場』
夢を見た。
血液が流れるように、繋がった細い回路から、手の届かない記憶を見た。
燃え盛る炎と、空間に回る歯車。
一面の荒野には、担い手のない剣が延々と続いている。
その剣、大地に連なる凶器は全て名剣。
それなのに、扱い手はどこにもいない。
ただ、樹木のように剣は乱立し、何処までも続く。
まるで剣の墓場だ。
そんな恐ろしくも寂しい世界。
あまりにも悲しい、孤独な世界。
誰もいない。
誰も存在しない。
否。
誰も存在できないのだ。
そう。
その世界はただ1人のために存在するのだから―――。
「…………」
目が、覚めた。
日が昇って随分と時間が経ったのだろう、確かな陽射しが伝わってきた。
「―――今の、夢」
ぼんやりと目を開けて、見ていた夢を思い起こす。
当たり前だが、見たことなんてない世界だ。
ただただ剣の立ち並ぶ世界。
炎が空を征し、中を歯車を回す。
―――それは、覚えなんてまるでない、知らない世界。
「夢、見たんだ?」
「ああ、うん。―――変な、夢」
「へぇ、そっか。衛宮君も、なのか。やっぱりマスターとサーヴァントの繋がりがそうさせるってコトで間違いなさそうね。―――それで、どんな夢だったの?」
「どんなって…そりゃぁ―――」
と。
目が合う。
1人頷きながら先を促す、青い瞳。
「〜〜〜〜〜〜っ!」
布団から跳ね起きる。
一瞬で目が覚めた。コンマで飛びのいて、ソイツから距離をとる。
―――ちょっと待て。
なんで、コイツここにいるんだ。
「と、とと、とととと遠坂!? な、なな!? 何故にいま俺の部屋………!!??」
ぐるぐるぐるぐる思考がまわる。
状況がさっぱり理解できない。
「…ちぇ。タクティシャンの正体の片鱗でも分かるかと思ったのに。まぁ良いわ。
―――それじゃ改めて、おはよう衛宮君。」
「お、おはようっじゃなくて……!」
びっくりしすぎて思考が空回る。
なんで、目が覚めたら目の前に遠坂凛、なんて事態になっているというのだ。
心臓がバクバクして全然落ち着かない。
いや、これで落ち着けたら人間失格である。
「昨日私、また明日来るって言ったわよね」
何故かじっと半眼で睨んでくる遠坂。
いや、俺が悪いって言うのかこの状況―――。
「い、言った。うん。確かに言ったな。でもまだ早いんじゃないのか?」
幾ら何でも朝方から人の部屋まで突撃してこないで欲しい。
男には心の準備とか朝の色んな現象だとかとにかくもう色々ありまくるのだ。
ううう。遠坂さん。視線が痛いです。
「―――衛宮君? いま、何時だと思う?」
「―――む」
何時かってそりゃ、7時とか8時とか、そんなもんじゃないだろうか。
と。
普段世話にならない目覚まし時計様に目を向けて。
「じゅっ、じゅういちじ、はんっっ!!!!!!!!!!」
「そういうこと」
にっこりと極上の笑みを下さった。
こわい。怖いぞ遠坂―――。
「そ、それは、悪い。ほんとに悪かった」
頭を下げて謝る。
イヤもうホントに。
人生の中でもこんなに寝過ごしたのなんてかなり貴重なんじゃないだろうか。しかしこんな遠坂が来るって日に限らなくて良いものを…っ。
じっ、と視線が振ってくる。
見えないけどビシバシ感じる。
頭を下げたままでいると、ふぅ、と息をつく音。
「……まぁいいわ。私もアーチャーを召喚した日は寝過ごしちゃったし。それだけ召喚には魔力を消耗するってことよね」
遠坂は呆れながらも許してくれたようだった。
むむ。しかし今更ながら気が付いたが、遠坂は私服だ。
考えてみれば今日は日曜日で、学校がないんだからそれが当然かもしれない、が。
「………」
「何?」
「―――っ」
だから、心臓がヤバいんだって。色んな意味で。
直視できない。
自分でも全身真っ赤になっているのが分かる。
物凄く派手な赤い服。下の方は更にそれを強調するような黒一色のミニスカート。
そのスカート短すぎだ、とか、まぁ色々思うのだが、思うばかりで全く空回りだ。
不意打ちにも程がある。
心臓がうるさい。破裂しそうだ。
落ち着け。冷静になれ衛宮士郎。
ああ、まぁとりあえず、遠坂はとんでもなく綺麗で、うん。
「―――っ!!!!! と、遠坂、それで、あいつらは!?」
速やかに迅速に思考を中断する事にした。
遠坂の私服は心臓によろしくない。これ以上見ていると本気でヤバい。
大体遠坂はずっと前から気になっていた女の子なわけで。
……まぁ、大分性格が違ったとしても、意識するなという方が無茶なのである。
「アイツら? ……ああ」
どうやら遠坂の意識を俺から裂くことには成功したらしい。
遠坂はしみじみとため息をついて、立ち上がる。
それを追いかけ…て、思いっきり下を向いた。
だから遠坂。それはまずい。自分の服装を理解して動いて欲しい。
「見たほうが早いと思う。居間にいるから早く来なさいよ」
妙に疲れた声に、首を傾げながら遠坂が俺の部屋を出る。
それで、一気に脱力する。
とりあえず遠坂、男の部屋に勝手に入ってくるのは自重してくれ。
と。
まぁ。その後も色々と自己の葛藤とかなんやらあったりもして、結局洗面所で頭を冷やしてから居間に行く。
なんとか冷静に戻って、居間に入ると遠坂が一人机の前でテレビを見ていた。
「遠坂1人か?」
「………」
遠坂は無言で指をさす。
その指先の示す方を見て。
俺は―――。
「―――は?」
呆然と、声を上げていた。
台所。
俺が毎日立ち、試行錯誤に料理を繰り返してきた聖域である。
そこに。
桜以外の部外者が、2名。イヤ、2体。
「―――む。………美味い」
「ふふん。当然でしょ。この私が作ったものが不味いわけないじゃない」
「なるほど。中華も奥が深いものだな」
「そっちも、良いだし取ってるじゃない」
「―――フ。それこそ当然だな」
などと、とんでもなく間違ったやり取りが聞こえてくる。
しかも俺のエプロンをアーチャーが、桜のエプロンをタクティシャンがつけている。
…エプロンが、何故かとんでもなく小さく見える。
しかもあいつら赤い外套着たまんま…イヤ、アレはあいつらの武装らしいから、ともかく武装を解かないままでエプロンをしているという訳で…。
「………なんだ、アレ」
とりあえず、変な光景だった。
そういえば廊下に出た瞬間からやたらと良い香りがしていた。
遠坂のことで頭が一杯だった所為で全く深く考えなかったのだが―――。
まさか、こんな事になっていようとは。
「私とアーチャーが来てすぐに、タクティシャンは買い物に行くから留守番しといて、なんて言って出ていって、帰ってきたら、まだ士郎起きてないから私のご飯も一緒に作るって言い出して、それはアーチャーが信用ならないとか言い出して………まぁ、最終的にあんな感じになったわ」
イヤ、なったわ、ってそんな。
「遠坂」
「何よ」
「サーヴァントって、料理が必修科目なのか?」
「………まさか」
間が空いたのは、きっと遠坂も自信がないからに違いない。
アイツらを見ていると自分がとんでもない事に巻き込まれているのだという意識がなくなるな。うん。
「あ、おはようございます。士郎」
「あ、うん。おはよう」
台所からお盆を持ってやってくるタクティシャン。
お盆の上にはご飯茶碗と湯のみ、取り皿、箸が4人分並んでいる。
……やっぱり食うのか、英霊よ。
「ああ、今頃起きたのか。全くだらしのない」
肩をすくめる嫌味サーヴァント。
まて、そのエプロン装備では嫌味分半減だぞ。
サーヴァント2人組はそれはまぁ手際よく茶碗を並べていく。
そのあまりの隙のなさに手を出す間もない。遠坂もそうなのか、手持ちぶさな様子で台所を眺めている。
あっという間にテーブルは一杯になった。
所狭しと並べられた料理はどれもこれも見事だ。
ご飯は炊きたてつやつやの白ご飯。メインはぶりの柚庵焼き―――む、旬だからと買っておいたヤツだ。小鉢には卯の花。これが和食部門。
そして中華部門。恥ずかしながら名前は分からないが、中華風のスープ。具は鶏のささ身だろう。それと青菜に深ネギ、それに卵白の浮いたスープだ。メインは定番青椒炒肉絲(チンジャオロースー)。副菜にはまぁ名前は分からないが、青菜の和え物だ。
しかし…一体どういう組み合わせなんだ。
和食にするか中華にするか、協調性を持たせて欲しい。
「中華はタクティシャンで、和食はアーチャーよ」
俺の表情を読んだのか、遠坂がこっそり解説をしてくれる。
何でもどちらも譲らなかった結果、両方作る事になったんだとか。
ただ、まぁ、ご飯もの汁物、メイン食材等が重なっていないのでバランスが良いといえば良い。お互いに牽制し合った結果なのだろうか。遠慮はしていないと分かるのは主菜と副菜がそれぞれ一品ずつあるからだろう。まぁ、副菜を一品ずつに留めたあたりは遠慮かも知れないが。
「………」
「………遠坂」
「何も言わないで。お願い」
現実を拒否したいのか遠坂は遠い目でシニカルにたそがれる。
そりゃ遠坂は俺と違って前からこの聖杯戦争のために備えてきたわけで。サーヴァントは自分よりも遥かに格上の存在で、油断ならないのだと理解し、覚悟していたわけで。
…その結果がアレだとしたら、そりゃもう何でだーーーー!!! って感じでガーっとちゃぶ台返しでもしたい気分になるに違いない。
ちゃぶ台、というほど小さい机ではないが、一応押さえておくべきだろうか。
もっとも、俺の定位置の隣と遠坂の隣に座ったサーヴァントがそれを断固阻止する事だろう。エプロンがようやく開放されて、何故か安堵する。
「………いただきます」
「……いただきます」
「ええ。どうぞ」
「―――む」
………。
………………。
………………………。
…………………………―――静かだ。
俺にとって遅めの昼食だ。腹が減っていないと言う事は有りえない。既にすっからからんの体は目の前の食事を摂取したがっている。
―――の、だが。
「箸が止まっているぞ。凛」
「士郎も食べないのですか?」
「………」
「………………」
無言のプレッシャー。
遠坂と視線を合わせる。お互い恐る恐る箸と茶碗を持つ。
「いただきます」
「…いただきます」
もう一度宣言して、遠坂と目を合わせ。
口に運ぶ。咀嚼、粉砕、嚥下。
緊張で唾があまり出ないのか、やけに時間が掛かった。
正直、味はあまりわか―――。
「…………旨い」
「…本当…美味しいわ」
おかしい。ちょっと待て。
同じ釜の筈だ。同じ炊飯器で炊いておいてなんでこんなに差が出るんだ。
……はっきり言って悔しいが、旨い。それは確かだ。
「ふむ。どうやらお気に召したようだな。タクティシャンのマスター殿は」
「―――む。アーチャー見なさい」
そう、タクティシャンは遠坂を示す。
「―――ぬ」
遠坂は、食べていた。
手をつけているのはタクティシャンの青椒炒肉絲。
何処となく満足げに休むことなく箸が動いている。どうやら気に入ったらしい。
あからさまに眉間に皺を寄せるアーチャー。イヤ、元から寄っているといえば寄っているのだが、不愉快度が上がったようだ。
そして、気づく。
サーヴァント2人が決して武装を解かない理由。
―――それは、敵の襲来を警戒しているとか、互いを敵視しているとか、そんなんじゃなくて。
そう。
それはただ、ここがある意味戦場だったからなのである。
うむ、納得。
遠坂と俺は黙々と箸を動かす。
悔しい事に、本当に悔しい事に、どれもこれも文句がないほどに最高の味付けだった。どちらの料理もシンプルだが、素材の味は生きているし、歯ごたえも問題ない。中華はともかく和食は得意分野だが、同じ材料でここまでの味をひき出せるとは…。
―――あなどりがたし、サーヴァント。しかし中華も美味しいんだな。これは意外だ。
なんて、まぁ満喫している間もタクティシャンとアーチャーのやり取りは続いており、食べる暇もないのではと思ってしまうほどだったが、心配は無用。手はしっかり茶碗を掴み、料理を捕まえていた。藤ねえとは違った手合いである。
ついでに言うなら2人の会話は一料理人として非常に興味深いのである。
「―――って、ちょっと待て」
遠坂は言った。タクティシャンは買い物に行った、と。そう気が付いてみれば、食卓には買った覚えのない食材が混じっている。青菜がその最たるものだ。
「タクティシャン! お前買い物って、どうやって…!」
「え? ああ、それは勿論…………」
軽快に応えようとして、ぴたりと止まる。口元に手を当てて逡巡。
「…………………まぁ、盗みはしていませんから」
そう、とろけるような極上の笑顔を見せてくれた。
くらり、と脳が暗転しそうになる。ちょっと待て。
「遠坂」
「サーヴァントは普通お金なんて持ってないわよ。だって必要ないもの」
ですよね。
遠坂は何やら俺の聞きたいことを察知する能力に長けている。イヤ、もしかしたら俺が分かりやすいだけなのか。何にしろ悪い想像ばかりに頭がいく。
何をした、と問い詰めたいところだが、あの笑顔は避けるべきだと全身が告げている。そりゃもう体中からだらだら汗が流れてくるくらいだ。危険に違いない。
「大丈夫。安心してください」
なんの根拠もなくそんな事言われても。
って、そこ笑うな弓兵!
お前ら気が合っているのか合ってないのかはっきりしろって話だ。
うう。初めて天に祈りたい。どうか、タクティシャンが不埒な行いをしていませんように。
とりあえず、昼食は終わる。
ミスマッチに思えた組み合わせも、その全てを堪能した今となってはどうでもいい話だ。どれも実に美味しかったし、正直負けたと思う。
片付けは何故か俺だったのが引っかかるのだが。
まぁいわく、作ったのはコッチだから洗うのはソッチ、というのが策士の談。確かに片付けくらい、と思わないのでもないのだが、遠坂が相変わらずのんびりテレビを見ているのはどういう理由であろうか。
テレビでは、またもあのニュースをやっていた。
ガズ漏れによる事故。
原因不明の衰弱。何の前触れもなく意識を失い、そのまま昏睡状態になって病院に運ばれてくる。
それを遠坂は不愉快そうに眺めていた。
俺が食後の茶を準備して台所から出ると同時、アーチャーが口火を開く。
「気になるか、凛?」
「…まぁね。私の土地でこれだけ派手に好き勝手やられちゃ面目がないって話だわ。全く。どう落とし前つけてやろうかしら」
「ふむ。好戦的だな。しかしやるのは良いが、方針は決まっているのかね?」
「そうね…。まぁ、ここは一つ策士さんの考えでも聞いておこうかしら?」
なんて唐突にタクティシャンに視線を送る遠坂凛。
この2人は、なんというか、結構似ている。
単に黒い髪と青い目…僅かに違う色合いではあるが、それが似ているという点だけじゃない。黒いスーツに赤い外套、赤い上着に黒いミニスカート。全体的な印象は酷似していると言っても良い。
それに、性格もそう。
話を吹っかけてくるタイミングとか、こちらの反応を試すような視線とか。
「アーチャーのマスター。貴女が考えていることと殆んど相違ないと思います」
にこりと微笑むタクティシャン。それが気に食わなかったのか、むっ、と唇を引き下げる遠坂。
両者共に引かない。
アーチャーはやれやれとお手上げ状態で、それには俺も全く持って同感なのである。
―――にしても、タクティシャンと会って2日目。アーチャーという弓兵に会って2日目。憧れの女の子だった遠坂凛の正体を知って2日目。
2日目といっても1日にも満たない時間しか経っていない、筈、なのに。
どうしてだか既にコイツらのいる事に馴染んでしまっている。それが不思議でならない。
というか、こいつらが奇妙に普通すぎるというか、あんまりにも馴染みやすいのだ。それが…どうにも心地よく感じたりも、する。
「……そう。じゃあ、いいのね」
「ええ。昼の間は士郎を貴女に預けます。夜の間は―――言わぬが華、と言ったところでしょうか?」
「そうかもね。でも言った方がいいんじゃないかしら? どうやら当の本人が分かっていないみたいだし」
そして視線が集中。
お茶を入れる中腰の体制で、その視線を受け止める。
「あ―――う?」
後ずさりそうになる。視線の威力は怖い。その相手が美女に美少女ともなると、そりゃもう想像を絶する威力なのである。ついでに、アーチャーの視線はあからさまに馬鹿にしているので、何気にムカつく。ある意味その敵愾心のみで立っている。
「お、俺?」
「そ。あんた」
遠坂のシンプルな一言。
その前のため息は、精神衛生上見なかったことにする。
日本茶を4つ注ぎきると、タクティシャンが何処からともなくお菓子を取り出す。
………まて、家になかった筈だぞこんなの。
唖然としたまま睨みつけても思いっきり何処吹く風である。
「そうね、今からしばらくはアンタにつきっきりで魔術講座をしてあげる。それから夜。日が暮れてからは敵サーヴァントを探しに出てもらうわ」
「魔術講座?」
「そ。私は衛宮くんがどんな魔術を使えるのかまだちゃんと知らないし、協力体制の相手の戦力くらい正確に把握しておきたいじゃない?」
「夜…その、敵を倒しに行くのか?」
「正確には、見回り」
言い直されて、詰まる。
「それは―――戦うな、ってことか?」
「さぁ? そう聞こえたのならそうなんじゃないかしら?」
「む―――」
遠坂は、直接的表現を好まない。というか、どうとでも取れる言い方を好む。
苦虫を潰したような顔をしていたらしい。タクティシャンが吹きだして笑う。
「アーチャーのマスター、意地悪ね貴女。はっきり言ってあげればいいじゃない」
「そのアーチャーのマスターっていうの止めて。私は遠坂凛よ。好きなように呼びなさい」
特別に許可するわ、なんて続きそうな台詞。ふん、と髪を払う仕草を見ればあながち間違いではないだろう。
タクティシャンは笑い。
「では可愛らしいメイガス、今後の方針の発表をお願いします」
なんて澄まして言ってのけた。
遠坂の不機嫌度数が上がる。褒められているのか貶されているのか微妙なところだ。
「ふん。言った通りよ。昼は衛宮君に魔術講座。そして―――」
「夜は小僧を餌にして敵マスター及びサーヴァントの把握、か。ふむ。成る程、実に分かりやすい方針だ」
明言されなかった言葉はアーチャーによって引き継がれた。
イヤ。ちょっと待て。
「え………餌!?」
「む、何か問題があるか小僧?」
「も、問題があるかないかってあるに決まってんだろ! 何でいきなりそうなるんだよ!」
「衛宮君が未熟で良いカモだからよ」
あっさりと遠坂は言ってくれた。
昨日から思っていたが、遠坂、もうちょっと人の心を推し量ってくれ。
さすがに少し傷つくぞ。
「まぁ、別に私が出ても良いのよ。ただ、アーチャーなら夜目も効くし、鷹の目を持ってるからたとえ衛宮君が襲われてもすぐに分かるし、援護も出来るわ。タクティシャンにそれが出来る?」
「出来ないわね。―――手段がないわけじゃないけど、アーチャーより確実性も効率も落ちるわ。英霊に対するなら役不足ね」
「でしょう? それに、今ならまだ私たちの協力体制は誰にも知られていない筈。それならタクティシャンに近接戦闘は任せて、遠距離からアーチャーの狙撃で対応する。…ただ、そうね、本来なら連絡手段が欲しいところなんだけど…」
連絡手段、と聞いて思い浮かぶのは携帯電話だが、生憎と我が家に使用者はいない。
しかし、まぁ、言いたい事は分かった。
ようするに俺とタクティシャンを囮にして、敵が動くかどうか観察、戦闘行為になったのなら速やかに排除、という方針だ。
それなら遠坂に危険は薄く、俺達にはリスクが高い。
圧倒的にこちら側に不利な条件。
されど、この協力関係は俺達に都合の良い条件で成り立っている。例えそれが絶対的に信頼のおけるものでなくとも、遠坂達にとっては圧倒的に余分な手間であり、不必要な時間であろう。それなら多少俺達に都合が悪くても、遠坂達の言う事を聞くのが道理というもの。
まぁ、契約時の俺が遠坂の言う事を聞く、というのは冗談に思いたいが、タクティシャンの能力を使えるのは彼女にとっても魅力的な筈だ。敵に回らない、という条件を信じるのなら、遠坂にとっては自分のサーヴァントが2体に増えたようなもの。
そこまで考えて、それはなんとなくイヤだな、と思う。
ひどくふとした拍子に浮かんだことで、あっという間に溶けて消える。
イヤな筈がない。
衛宮士郎は戦いたくなんかなくて、遠坂と戦うつもりもなくて。
―――だから、イヤなことなんて、どこにもない。
それなのに、何故―――。
と。
「貴女が使い魔を作れば解決する問題じゃなくて?」
「―――」
あっさりと言ってのけたタクティシャンに、遠坂は目を瞬かせて、ぽかんと口を開ける。
―――む。これは、なんというか、珍しい表情だ。
「凛」
ぽん、とアーチャーが遠坂の肩を叩く。
その顔に浮かぶのは、フッ―――とシニカルでありながらどこか楽しげな笑みで。
―――遠坂が、真っ赤になった。
「そ、そんなの分かってるわよ! 当たり前でしょ? 使い魔くらい簡単に作れるし―――」
それは、なんと言うか。
新たな感慨が胸に浮かぶ光景だった。
遠坂が焦ってる。
多分タクティシャンに言われるまで本気で気が付かなかったんだろう。
アーチャーにぽんぽんと肩を叩かれながら、遠坂はバツが悪そうに視線をさ迷わせ、ふん、と髪を払う。その顔はまだまだ赤みが残っていて。…はっきり言うのなら、なんというか、可愛らしい。
美人で成績優秀で、運動神経だって抜群でスタイルも良くて、理知的で礼儀正しくて、そんな大げさな表現だって当然だって思ってしまうようなヤツが遠坂凛で、いつも落ち着いて物事を対処している印象が強くて。
まぁ、それはガラガラと崩れ去ったわけだけど、それでも昨日から見てる遠坂凛は迫力があって、容赦がなくて、こんな風に焦ったり、顔を真っ赤にしてたり、そんなのは想像も付かなかった。
―――付かなかったし、出来なかったし。
それが飾り気のない遠坂凛の姿なのだと、そう思ったら。
「にやけてますよ、マスター」
「あ―――イヤ、そ、そんなことないぞ」
くつくつと堪えきれないと言うように笑うタクティシャンにムキになりそうになり、イヤ、と思い返す。ムキになる必要なんてない筈だ。うん。後ろ暗い事はないし、にやけていたつもりなんてない。…ないぞ。
アーチャーと遠坂はお互いに言い争うことが忙しくて、俺達の方に意識なんて向いてない。
それにしても。
「アーチャー、いい加減にして。ほら、これからの方針は決まったんだから、さっさと解散する!」
「む、昼の間の行動指針は聞いていないのだが―――」
「な―――」
遠坂は、アーチャーといると凄く良い顔をする。
怒ったり、照れたり、笑ったり、焦ったり―――。くるくると回る表情を見るのは非常に楽しい。楽しいけど、それがアーチャーによって引き出されているのは…。
「今度はつまんなそうですよ。マスター」
「う、た、タクティシャン。俺の顔の状況説明は止めてくれ」
非常に困る。
自分にだって未整理の気持ちをタクティシャンは的確についてくる。
…と、いうか。
……俺はそんなにわかりやすい顔をしているのだろうか?
無愛想だとか、ぶっきらぼうとか、分かりにくいとか言われることはあるが、その逆は滅多にない、と…思う。多少自信はなくなったが。
非常に面白そうにこちら側を観察してるタクティシャンをジロリと睨みつけて、お茶を飲むことにした。
どうせもうしばらくすれば遠坂もアーチャーも現状に気づくに違いない。
どこからともなくタクティシャンが取り出してきたお茶菓子―――やたらと上質…―――は、文句なしに美味かったことを宣言しておく。
2011年7月30日