『記憶と記録』
全く甘いものだ、と赤き弓兵は1人ごちる。
彼のマスターは優秀な魔術師ではあるが、完全な魔術師ではない。
魔術師でありながら完全には冷徹になりきれない少女。現実主義者の癖に根っこが限りなくお人よしなのだ。それを魔術師らしく冷酷に振舞う事で取り繕っている。
結局はその根っこの甘さからこんな事態になっているのだと、断言できる。
今現在の協力体制はこちら側に負担が大きい。
タクティシャンと衛宮士郎を囮に使えるのは大きいが、それでも尚信用出来ない相手よりは利害関係による契約の方が安心できる。
魔術における基本原則は等価交換。魔術師であるマスターは十二分にそんなこと理解している筈だ。
それでも尚この協力関係が確立してしまったのは、タクティシャンの所為に他ならない。
アレは、厄介な人物だとアーチャーは苦りきる。
聖杯によって与えられた知識にタクティシャンのそれがあった。
策士。考えるもの。戦略家。軍師。
その特性ゆえに何を考えているのか分からない。
タクティシャンのクラス属性の一つに"言霊"というものがある。
声は力を持ちて、場を支配し、状況を支配する。
それはカリスマと似て、違うもの。
ランク付けするのならAランク。
純粋に言葉の力を持って、タクティシャンは速やかに事態を掌握する。力ある言葉は抗いがたい気持ちを生む。話せば話すほど不利を感じる。確固たる信念がなければあの声音には逆らえない。意思の弱いものであるのなら素直に従いかねない。相手がサーヴァントではなく人間ならばなおさら。
戦場においてはさほど問題ないだろう。けれど、こと駆け引きとなるとタクティシャンは強い―――。
彼女の言葉が嘘偽りであろうとそうでなかろうと、コチラには見破れない。タクティシャンの望むがままに踊るだけだ。
「―――」
それは不愉快極まりない事実。
それでいてタクティシャンと話している感覚は妙に覚えがある―――などと。
「………まさか、な」
有りえない考えを横へと置き、弓兵は聖杯戦争のことへと思考を進め。
「ぬ―――」
赤い外套のことなんぞ考えてしまう。
あの、タクティシャンの着ていた赤い外套。
あれは、どう見てもどう解析しても、真実正真正銘アーチャー自身の外套を同じものであった。
その扱い方も在り方も随分と違うようだったが―――そこまでは読み取れず―――ただ、基は同じだと理解できる。
形は違う。効果も違う。
それでも、同じものだと言い切れる。
そんなもの、存在しない筈だと分かっているのに。
大体、話し合いだの協力体制だの、サーヴァントらしくないにも程がある。
サーヴァントならサーヴァントらしく出会った瞬間から命の奪い合いを始めるべきなのだ。
まぁある意味戦いはしたが。
食卓を思い出す。
―――確かに、美味かった。コト料理に関しては結構な自信があったものだが、タクティシャンのそれもプロ級と言っても構わないほどに洗練されており、絶妙な味わいだった。
もっとも、負けたつもりはさらさらないが。
―――イヤ、そうでなく。
なんで英霊として呼び出されてまで料理対決なんぞしているのか。
確かに呼び出されてからこっち、勝手に紅茶を入れたり物色したりはしていたのだが、まさか人の家に入り込んでサーヴァント相手に真剣に料理勝負をするなど考えもしなかった。普通考えないだろう。
サーヴァントなんぞ戦うだけしか能のない英雄の成れの果て。
の、筈なのだが。
さすがにアーチャーの認識も崩れかねない状況である。
ただ、タクティシャンという英霊。
アレは、本当に英霊なのか―――。
あの格好から見て、未来の英雄、もしくはこの時代とさして変わらぬ時代の人間だという事は分かる。
仕立ての宜しいスーツもシャツもブランド物の特注品であろう。ネクタイもブランド物。どうやら同じブランドで揃えているわけではなく、選んだものがブランド品だった、というような無作為な選出、というのがアーチャーのマスターの言である。
そもそも遥かなる昔に比べて今の世界で英雄など殆んど存在しない。
どれだけの偉業を詰めば英雄となるのか、アーチャーには全く見当も付かない。
奇跡は魔術でなく機械で起こせるものなのだから、宝具なんて存在しようもないだろう。
その筈なのに、タクティシャンは確かに英霊として呼び出されている。
彼女はどう贔屓目に見ても英雄らしくはなく、戦いに身を置く者には見えない。
あの赤い外套すら下手をすれば違和感なく街に溶け込みかねなかった。それだけ、今の時代に馴染んだサーヴァント。
アーチャーやランサーのように、明らかに今の時代に異質なサーヴァントとは、違う。
あまりにも自然体。
あまりにも普通。
あまりにも―――懐かしい。
「………―――む?」
一瞬頭をよぎった言葉に、自らの思考が凍結する。
懐かしい、だと?
―――何を考えている、と自身に問う。
今考えるべきはそんなことではない。必要なのは敵サーヴァントの見極めであり、タクティシャンの正体の看破であり、現状の把握であり、今後の指針であり、完全なる勝利を収める料理であり―――……。
「………いかんな。これは」
冬の定番、尚且つ旬の素材を使うのならば鮭のクリーム煮あたりが適当かなどと考えている場合ではない。イヤ本当に。
どうも調子が狂う。
狂わされている、とも言う。
アーチャーが現マスターに召喚されるのは2度目。アーチャーが知る限りでは、2度目だと言える。
英雄になってからの記憶など無く、英霊として召還された後の記憶など知らず、ただ使役されるだけのサーヴァントである彼が、そう認識出来うるのは、着々と記憶保存続ける情報のおかげ。
英霊になってからの行動は情報として保存される。
それは時間列など無差別に、思い出す必要も読み返す意味もない本として送りつけられる。
―――ゆえに。
本は有限ではなく無限であり、見た記憶は知っているモノでありながら知らないモノ。もとより完成された存在の"英霊"に、それ以上の記憶など必要ない。
アーチャーとて既に1度目と認識するその聖杯戦争など覚えてなどいない。自分が覚えていないのなら、"英霊"である自分の取った行動など最早他人のコトに等しい。自分の経験として組み込まれぬのなら、それはなんの価値も意味も持たない。
―――それでもなお、彼はその他人の記憶たる情報を求め、本を失わぬよう読み返し、自身に組み込み続けた。
その本だけは、その記憶だけは、どうしても譲れなかった。
決して失いたくないものとして記録媒体を確保し続け、ただの記録を記憶として留めようとしたのは、夢とも思しき儚いその時間を忘れえぬよう狂おしいほどに願ったから。
願いは確かに叶えられ、決して忘れえぬ形でアーチャーに組み込まれる。
実感など湧かぬ他者の記憶だとしても、本当に記憶している事など僅かだとしても、それは確かにいとおしく、温かな拠り所。
だから。
その記録と酷似した今の現状は、解せぬものを抱えながらもひどく心を揺さぶられる。
それは遥か昔、かつて英霊でなかった頃の、泣きたくなるほどに幸せな空気に違いないのだから―――。
軽い動きで屋根の上に上る。
霊体化はしていない。とん、と屋根に落ちる音。
マスターたる士郎はそもそも魔力を供給している自覚が薄いし、どのみち戦闘行為などしないのならタクティシャン自身が形成する魔力で事足りる。ついでに結構遠慮なく食事をしているので魔力の貯蔵量は十分。
よって、タクティシャンは士郎が寝ている時以外はほぼ完全に姿を晒している。
別に理由はないが、あえて言うのなら現実に干渉できることが面白いからだ。
居るだろうと思ったそこには、やっぱり先客が居た。
先客は霊体化しているが、その姿は見えている。
当然コチラのコトになどとっくに気が付いているだろうに、ヤツは視線を寄越そうともしない。
「アーチャー」
呼べば、胡乱気な視線が帰ってくる。
ふふんと笑って頬横に落ちる髪をかき上げた。
「―――何の用だ。タクティシャン」
警戒の決して消えぬ声音。すぅ、と実体化しいつでも動ける体勢に体を移動する。
それを観察する。
2人きりで、落ち着いて観察するのは今が始めてだ。
彼の敵意など気にしない。
どうせ彼は戦わない。
タクティシャンは遠坂凛がアーチャーに用いた一つ目の令呪の内容を熟知している。
ゆえにこの協力体制を築いた状況で神経を磨耗させるつもりはない。
真っ白い頭髪。
逆立てられた髪の毛。
色素の抜けたような灰の瞳。
浅黒い肌。
180を越える長身。
無駄なく鍛えられた体躯。
常に皺の寄った眉間。
皮肉気につりあがる口唇。
黒い鎧。
上下に分かれた赤い外套。
「うん。…アーチャー」
もう一度名前を呼ぶ。
―――別に、期待なんてしていない。
そんな奇跡はどこにもない。
タクティシャンは自分がどれだけの親愛の情を込めてアーチャーを見上げているのか気づかない。
少し、迷う。
何を言うべきか。何を言って良いのか。
解らないままに、口にしていた。
「―――約束は、守ったわよ」
たった一言。
万感の想いはその一言に詰められ、アーチャーの反応など気にしないままにタクティシャンは微笑んだ。
穏やかに。緩やかに。優雅に。
息を呑む音。
アーチャーは、ただ、驚いていた。
言葉の意味は解らず、その理解も及ばす、それでも、タクティシャンの不意に見せたその幸福に満ちた表情に惹きつけられたのは当然で―――。
「―――なんの、話だ」
冷静を保ったつもりの筈の言葉は、信じられないほどにかすれていた。
声に、タクティシャンは小さく首を振る。
そうして顔を上げた女は、既に信用ならない協力体制にあるサーヴァントの顔。
殊更大げさな動作で髪を払い、嫣然と笑って見せた。
先のものとはまるで違う、けれども満面の笑顔。
「言いたかっただけよ。気にする必要はないわ」
「………」
全くもってわけのわからないという顔をしているアーチャーに、タクティシャンは無造作に背を向けた。
「さて、マスターはメイガスにしごかれている事だろうし、私は出かけてきますかね」
「待てタクティシャン。―――君は、何者だ」
「答えると思う?」
くすりと笑って、タクティシャンは屋根から飛び降りる。
赤い外套はふわりと宙に舞って、翼のように翻った。
着地と同時、憮然としたままのアーチャーを置いてタクティシャンは歩き出す。
その歩みは何処までも軽く、優雅だった。
2011年9月4日
アーチャーと凛がめがっさ好きです。
なんだろうこれ。もう恋だと思う。