『商店街の策士』
遠坂凛と衛宮士郎は教会の前に居た。
どうしても聖杯戦争というものに納得がいかない衛宮士郎のために、ここにいる。
タクティシャンは居なかったから置いてきたが、一応アーチャーを護衛として霊体化した状態で連れてきている。
どうしても、納得がいかなかったのだ。戦う覚悟は決めても、それは守るための覚悟。
マスターになった人間は、召喚したサーヴァントを使って他のマスターを倒さなければならない。
それが、その馬鹿げた戦争が、いまだに納得できない。
何故、俺だったのか―――。
ロクな魔術回路も持たず、魔術師としては半人前もいいとこ。何かを犠牲にしてまで望む願いなどないし、今すぐ実現したい夢もない。
正義の味方には自分の力で成るし、聖杯に望むものなど、衛宮士郎にはないのだ。
そう言う俺に対して真っ先に遠坂が連れてきたのが、この教会だった。
アーチャーを扉の外に置いて、教会の扉を開ける。
ぎぃ、と重々しい音はひどく大きく鳴り響き、俺を威圧する。
遠坂とここの神父の関係は聞いた。
ものすごーく仲が悪いらしいと言う事も聞いた。
言峰綺礼―――。
その名はこの先、俺の中に刻み付けられるのだと、その時はまだ知らず―――。
俺は、言峰綺礼という暗闇に出会った。
遠くで、タクティシャンは眉を潜める。
心にさざ波が立つ。
それは自分ではなく、マスターたる少年の動揺に他ならず。
意識を集中すれば、すぐさまマスターの現在位置が知れる。
教会。
確認と共に、小さく呟く。
「言峰、綺礼―――」
それは恐ろしいほどの怨嗟に満ちたものだと、誰が知ろうか―――。
教会を背にし、士郎の足取りは重かった。
――――喜べ少年。君の願いは、ようやく叶う
神父の言った言葉は頭を離れない。
目の前が真っ暗になりそうな中で、思う。
何故、あの男は衛宮士郎を見透かすのか。
衛宮士郎の願いは明確だ。
誰かが泣くのは嫌で、誰かが苦しむのは嫌だ。
衛宮切嗣は言った。
正義の味方になりたかったんだと。
僕はなれなかったのだと。
それは衛宮士郎が憧れた男の遣り残したこと。
だから衛宮士郎は衛宮切嗣の後をつぐ。
―――その夢をかなえてやるのだと、誓った。
それだけの願いなのだ。
―――判っていた筈だ。
明確な悪がいなければ君の望みは叶わない。
たとえそれが君にとって容認しえぬモノであろうと
正義の味方には倒すべき悪が必要だ。
何かを守ろうという願いは、同時に、何かを犯そうとするモノを、望む事に他ならず。
今においてそれは、聖杯戦争のサーヴァントでありマスターだった。
そう、聖杯戦争というシステムにおける彼らは、明確かつ解りやすい敵に違いなかったのだ。
衛宮士郎は、遠坂凛以外の魔術師を知らない。
遠坂凛が魔術師だったことすら昨日知ったばかりで、親父と彼女以外にどんな魔術師がいるのかなんて知らない。
どんな人間がマスターになって、どんな思惑で動いているのか知らず、ただ、街中で相次ぐ事件を起こしているヤツだけは許せないという思いが強い。
それは衛宮士郎が守りたいものを犯す存在。
衛宮士郎が守るために害さなければならない存在。
求めてなどいない筈だ。
望んだ覚えなんてない。
ただ守りたいだけなのだと―――そう、衛宮士郎は思いたかった。
「―――ちょっと、衛宮君?」
ひどく、清浄な声に我に返る。
呆然としていた頭に水が流され循環する。
「なに呆けてんのよ。話少しは聞いてた?」
「あー――イヤ、何だ?」
「はぁ…。商店街に寄りたいって言ったの。アーチャーが夕飯の材料揃えたいって」
「―――………」
うん。脱力した。
全身が緊張のあまり強張っていたが、一気に弛緩してため息も一緒にでる。
遠坂は何でもなさそうに髪を揺らして目の前を歩いている。
姿は見えないが、アーチャーがその横に居るのだろう。
どろどろと頭の中を渦巻いていた何かがすっとんだ。
胸の奥に仕えていた何かが吹っ飛んだ。
何もかもが清浄に流され、嘘みたいに気持ちが軽くなる。
まるで魔法のようだ、と笑ってしまう。
そんなの魔法じゃないと遠坂は言うだろうが、今の遠坂は衛宮士郎にとってまさしく魔法使いに他ならなかった。
まっすぐで、清廉な輝きをもつ絵本に出てくるような魔法使い。
「…遠坂、ありがとな」
「は?」
本気で何を言っているのか解らない、そんな顔で振り返った遠坂に苦笑する。
「イヤ、いいんだ。俺が言いたくなっただけだから。本当に、遠坂には感謝してる。昨日からずっと世話になりっぱなしだ」
「ちょ、な、なによいきなり…っ。勘違いしないでよね。協力体制にある以上私が貴方を助けるのは当然のことなんだから」
「―――ああ。本当に、遠坂は良いヤツだ」
「な―――」
遠坂は呆然と俺を正面から見て、黙りこんだ。
彼女に対する感想は決して揺らがない。
だって。そうでなければこんなお節介する筈、ない。
協力を強制しながら、それの放棄を促しかねないこんな場所にくるはずがない。
聖杯戦争から逃れることは出来ない。
殺し合いは避けられぬ事象。敵同士である関係。
それを十二分に弁えていながら、遠坂は最善の方法を示そうとする。
遠坂は、学校で見る彼女とはあまりにも違う。
性格はきついし歪んでいるし、ツンケンしていて近寄りがたいし、学校での振る舞いはなんなんだー、と言いたくなるぐらいの変わり様だ。
いやもう、こんなのほとんどサギだと思う。
それでも。
「遠坂とは、出来ればずっと敵同士になりたくない。俺、おまえみたいなヤツは好きだから」
遠坂凛は俺やみんなが憧れた通りの彼女だった。
「………」
澄んだ青い瞳は俺の目にまっすぐに向けられていて、それで、ただそれが綺麗だな、なんて思う。
澄んだ湖面のように波風の立たない静かな水面。
それは衛宮士郎を解析するように細められて、ため息と共に伏せられた。
「ふぅ。と、とにかく、サーヴァントがやられたら迷わず教会に逃げ込みなさいよ。そうすれば命だけは助かるんだから」
なんて、ふん、と踵を返す遠坂に笑った。
どことなく空気が振動したように感じるのは、きっとアーチャーが笑っている所為に違いない。
それを証明するかのように、遠坂の耳が怒りと羞恥にに赤く染まっていくのだから。
遠坂とアーチャーの希望もあって、商店街に寄っていく。
今日の昼で買っておいた食材の殆んどは使われてしまったのだから、当然の行為。
そこで、アーチャーに散々口出しされたのか、ぶつぶつ言いながらも遠坂が鮭の切り身と白菜を買い込んでいるのを見た。アレが恐らく夕食になるに違いない。
そうなると俺の買うものは自然明日の朝と弁当に使えるものになってくる。
というか、アーチャーが料理を作ること前提で考えてしまうのはどうしたものか。
「―――え、本当に宜しいのですか? こんなに沢山いただいて」
「ああ持ってけ持ってけ! 姉さんの為ならこんなの軽いもんよ!」
「ふふ。嬉しい。みんなもきっと喜びます」
………。
………。
………。
………………………さて、何を買うかな。
「姉ちゃん、こっちも見ていきなよ。いいもん揃ってるぜ!」
「ありがとうございます。…本当、綺麗。あ、そのおから頂いても宜しいですか?」
「おう! 今日は何作るんだい?」
「綺麗なおからですし、卯の花沢山作りますね。明日持ってきます」
「お、いいのかい?」
「はい。こんなに良いものを無料で頂けるんですから」
「くぅ、嬉しいこと言ってくれるなぁ姉ちゃん。ほれ、これやるよ!」
「わぁ、美味しそうなケーキ。宜しいのですか? 良いもののようですが」
「おう、貰ったはいーがどうにもそーいう洒落たもんは食う気が起きなくてな」
「それでは、何かお好きなものがありますか? 今度お礼に作ってきます」
「お、いいのかい? 悪いねぇ」
………………。
………………。
………………。
………………。
全く聞いているつもりなどないが、耳にどうやっても入ってくるとはどんな魔術の成せる技なのか。
「………………………………衛宮君」
「…………おう」
「しばらく買い物の必要ないんじゃないかしら」
「奇遇だな遠坂。俺もそんな気がしてたんだよ」
………………まぁ。悪いことはしてない、な。確かに。
「帰るか」
「…ええ。そうしましょう」
とりあえず、見ない振りをすることにしよう。
今日はこれで買い物終了そうだそうしよう。
と。結論と共に終結。
「士郎。食べませんか? 新発売のキャラメルクリーム入りのタイヤキです。メイガスの分もありますよ?」
………まぁ、気付いているに決まっているだろうなとは思ったから、うん。
微笑みと共に差し出されたタイヤキをありがたく頂く。遠坂もため息と共に受け取っているが渋い顔は崩れない。
タイヤキはいまだほかほかと温かい。
中のクリームは熱々のとろとろだった。思ったよりは甘くなくてほろ苦い。その分皮の方が甘くて絶妙だ。案外美味しいんだなと感心した。
「タクティシャン、何貰ったんだ?」
赤い外套を脱いで、黒いスーツ姿の女はその両腕に紙袋を提げていた。
ぱっと見えるのは、さっきのおからと、ケーキの箱。その下に色々とあるように見えるのはきっと錯覚ではない。
「チーズと、ほうれん草とピーマンとハーブ、それに………柿?」
どうやら自分でも覚えていないらしい。
まぁ、今朝もこうして色々と仕入れてきた事は理解できた。
帰る道中俺がタクティシャンに買い物をするならちゃんと金払えと財布を預けたことは言うまでもないだろう。
2012年1月22日