『食卓の英霊』
「さて、メインは任せてもらおうか」
「―――いいわ。でも、卯の花は譲れないわよ。それにほうれん草が手に入ったからお浸し」
「ふむ。まぁ、構わないだろう」
目の前に広がる食材を物色、解析、決断―――。
その繰り返し。
「ジャガイモはどうする気だ―――」
「ポテトグラタン。チーズも手に入ったし、牛乳はアンタ達が買ってきた」
食材の用途は見る見るうちに決定され―――。
まぁ、結果、とんでもなく豪奢な夕食になる。
「時にアーチャー、鷹の目はどこまで見抜くのかしら?」
「4キロといったところか―――。新都の方は後回しでよかろう」
「そう。それで、貴方たちがつかんでいる情報が知りたいのだけど?」
「素直に教える道理があると?」
「今日朝と昼に外に出た限り、魔術を使われた形跡はないわ。ただ、サーヴァントの内2体は確実にこちら側に居るわね」
「―――どうやらキャスターの適正もあるようだな」
「まぁ、タクティシャンとしてよりはキャスターとして呼び出される事の方が多いわね」
あらかたの食材を片付け、使い切れないものは冷蔵庫へしまっておく。
ついでに作ったブイヨンやらホワイトソースやらドレッシング類は密封容器に入れて冷蔵庫。使う分だけ残す。
食材によっては冷凍し、食材によっては常温放置。
昨日食べ収めたお菓子ボックスにはタクティシャンが様々な場所から貰ってきた物を収納。
「学校にマスターが居ることは間違いないだろう。既に結界を張り起動も近い」
「ふぅん? 思ったよりあっさり折れたのも学校内での索敵目的かしら。中々甘くて素敵ね、貴方のマスター」
「君にだけは言われたくないものだな」
皿を見定め必要なものを選出。盛り付けを考え、足りないものを付け足す。
弁当のおかず用に意図的に日持ちするものを残しておく。
「貴方はバトラー(執事)の適正もあるようね」
「君はメイド(女中)に違いなかろう」
「冗談。片付けは好きじゃないわ」
「取り繕えるのは自分だけと」
「自分さえも取り繕えない従者が何を」
ははん、と笑うタクティシャン。
くっ―――と笑うアーチャー。
戦場は血潮に染まることこそなくとも、燃えるように熱い。
よどみなく動く口と手は鮭のクリーム煮の完成を置いて終結した。
ふっくらと仕上がった紅い切り身にとろとろの白菜を重ね合わせ、ホワイトソースがそれらを飾り付ける。てっぺんにハーブを乗せて出来上がり。黒い和皿に白は良く映える。洋食に和の食器を合わせる事で、過度にお洒落すぎない、落ち着いた雰囲気をかもし出す。
レイラインを意識して集中。
「マスター、食事の時間です」
「凛、食事だ」
一方的に送りつける思念。
突然の声に驚き慄く気配と怒声。
商店街から帰って衛宮士郎と遠坂凛はすぐに部屋へと篭った。魔術講座は長くなるだろうと予想し、サーヴァント組は早々の撤退。居間に落ち着き茶を飲んだ挙句にこうしている次第である。
ちなみにニュースの情報を聞くためにテレビは付きっぱなしだったりもする。
部屋に篭りっ放しだった魔術師と魔術師未満が居間に揃って現れたとき、既に夕食の準備は済んでいた。
料理という戦闘が終わったからか、それとも1日という時間が何かを変えたのか、はたまたこの相手は警戒するまでもないと断じたのか、ともかく2体の赤いサーヴァントは黒いサーヴァントへと化している。
概念武装たる赤い外套はどこぞへと消え、アーチャーは黒いノースリーブの鎧姿。タクティシャンは白いシャツに黒いスーツ。
なんにしろ食卓時にあって落ち着く格好ではないのだが、赤い外套よりは余程マシである。
きっちり正座でコチラを見上げる様は結構怖い。
さぁ食べろ、という視線に食卓へと目をやると、そこには店顔負けのラインナップ。鮭のクリーム煮、卯の花、ほうれん草のお浸し、ポテトグラタン、野菜の浅漬けにらっきょう、トマトと千切りキャベツのサラダ、ほっこり白ご飯にコンソメスープ。ドレッシングまで数種類完備し、各々の嗜好に合わせるためか調味料も各種揃ってる。メイン以外は大皿に乗せられ、掴むための金具にスプーンにと至れり尽くせりである。
……イヤ、もう何も言うまい。
ありがたいのには違いないのだから。
ただまぁ、台所を預かる身として明日の朝は譲るつもりがないのだが。
「アンタ達って…ホント無駄な能力持ったサーヴァントよね」
「無駄ではあるまい。マスターに体を壊してもらっては困るからな」
「そうそう。まぁ、体調管理も出来ないマスターなんていないとは思うけどぉ?」
遠坂の台詞に素っ気無く答えるアーチャーと、目を細めてにんまりと笑うタクティシャン。
視線がそれぞれ自分のマスターに向いているところを見れば、俺もそうだと言いたいのか。
居心地の悪さからとりえずお茶を飲んで誤魔化す。
手を合わせて「頂きます」と唱和。
英雄が作った食事、なんてものを食べる人間はどれだけいるのだろうか。
というか食事の必要性のないサーヴァントが何故料理をするのか全く持って不明である。
腕がプロ並みと言っても差し支えないところがまた口惜しいところ。
タクティシャンが料理するときは手伝いをかねて勉強したいところだが、隣にあの大男がいるとすれば矢張り無理だろうか。
夕食は和洋折衷で解説も何もないが、何となくどの料理をどちらが作ったのかはわかる。
アーチャーの料理は家庭料理の持つ独特の温かさがあり、それを追求し、洗練させた極みにある。全体的に優しい味付けが多く、我を忘れてがっついてしまうような目新しさや旨みはないが、ついつい手が伸びてしまう、もう一度食べたいと思う、そんな料理だ。
対してタクティシャンの料理はシンプルでありながら新鮮だ。古くからある料理に関わらず新鮮な切り口で味を変えてくる。言うなれば斬新で目新しい創作料理。もっとも、本来の味を見失うようなことはなく、あくまでも家庭料理でありながら何か一手加えてあるのだ。ただ、昼の料理も見る限り従来通りの料理も得意と見ていいだろう。味は、濃い、とまではいかなくとも、はっきりしている。
一通りの料理に手を往復させ、その味を覚えた弓兵はふと思い出したかのように遠坂にふる。
「それで、そっちはどうなのだ? 凛。―――少しは役に立ちそうか」
「―――む」
あまり言いたくもないことだったので、勘弁して欲しい。折角の美味い飯は美味しく頂きたいのである―――が。
まぁ。
勿論遠坂はそんなにも甘くない。
じとり、と荒んだ目で俺を睨むと、深々とため息を吐いて見せる。
「全然ダメ。とりあえず一度家に帰らないと話しにならないわ」
「ふん。矢張りそうだったか。―――やれやれ。随分と頼りない協力関係もあったものだ」
「アーチャー」
「どうした? 凛。君とてこの小僧の力を当てにしていたわけではあるまい」
「―――っ」
なんだ、こいつ。
じわり、と頭の芯に熱がともる。
それは導火線のイメージ。じわじわと短くなる導火線と、その先に付いた怒りという名の爆弾。
明らかな敵意がその瞳にある。
そういえば真正面からコイツと目を合わせたのは初めての事だったか。
―――確かに、初めの印象は良くなかった。
まぁ、良い悪い以前の問題で、ワケの分からないままに土足で自分のテリトリーを犯されたのだから、心象が良い道理がない。
こちら側を警戒しているのは明らかだったし、敵同士であるということを示し続けるように赤い外套を決して外しはしなかった。
なのに、何故、ようやく外套を脱いだこの時にそんな事を言うのか。
「―――アーチャー止めなさい。衛宮君と協力することを決めたのは私よ。貴方もそれに同意した筈よね」
「―――了解。マスター」
やれやれと肩をすくめるサーヴァント。あっさりとむき出しの敵意を消して、皮肉気に笑う。なんなんだ。一体。
我関せずとご飯を食べ続けるタクティシャンは、ちらりと俺を見て、安心させるように笑う。―――それには、正直参る。
タクティシャンは美人だ。それを分かって行動している節があるから尚更に性質が悪い。
元々小食らしい遠坂が箸を置き、次いでタクティシャン、アーチャー、俺、と箸を置く。この順番は昼と同じである。
「ご馳走様。家を出るのは1時間後でいいかしら?」
そう示された時計は6時半を示していた。
準備が出来ているのなら、と腹が減っていたこともあって、何時か確認していなかった。夕食にしては随分と早い時間に食べたものだ。
―――それだけ夜の見回りに重点を置いた、ということか。
「7時半…。少し早い気もするけど、そうね、そうしましょう」
タクティシャンに遠坂は頷き、俺とアーチャーにも頷く。
俺もそれに頷き返して。
「―――それで、タクティシャンは何をしているんだ?」
と。
目の端で追った姿につい突っ込んでいた。
いつの間にやら台所に行って、冷蔵庫を覗き込んでいる。取り出したるは、真っ白な四角い箱。すなわちケーキボックス。じゃん、と顔の横に掲げてにっこり笑う。
「デザートにどうかと思ったんだけど、入るかしら?」
「―――私はパス。こんな時間にそんなもの食べたらとんでもないことになるわ」
「とんでもない?」
どういう意味か分からずに繰り返すと、ジト目で睨まれる。
「―――凛、君はもう少し食べても問題ないと思うが」
「って、どこ見て言ってるのよこの馬鹿!」
「―――う」
アーチャーの台詞についうっかり遠坂のとある部分に目がいったりする。
男のサガというものだ。
…確かにまぁ桜のアレに比べたらわびしいかもしれないが。
「えーみーやーくーん? どこ、見ているのかしら?」
「あ―――いや、と、遠坂はそのままで良いと思うぞ!」
「―――へぇ、それで、どこを見ていたのかしら?」
う。まずい。思いっきり地雷を踏みつけてしまったらしい。
遠坂の目から逃れようと視線を逸らすと、意地悪く笑うタクティシャンが居たりする。
そのすぐ近くにアーチャーが居て、お茶を入れてたりする。くそう。腹が立つ。お前の所為だぞ。
なんて考えている間に、遠坂の笑顔が迫ってくる。
その距離たるや僅か数十センチ。
って、近いっ。近いだろ遠坂!
「いや、その、とっ、遠坂、ちょっと待て。俺が悪かった。だから少し離れてくれっ」
「?」
遠坂は不思議そうに俺を見て、それから理解の色が浮かぶに連れて、とんでもなく意地の悪い顔をしやがった。
「そっかそっか。成程。なんだ、顔が広いように見えて士郎ってば奥手なんだ」
「ち、違うっ! そんなんじゃなくて、ただ」
相手が遠坂だったから照れただけだ。
俺だって今更藤ねえとこの距離でも照れないと思うぞ。
って。ん?
なんか、今の遠坂の台詞、微妙におかしなアクセントが混じっていたような……?
「あはは、聞いてた通りほんと顔にでるのね。まぁ今日のところはこのくらいにしておいてあげるわ」
ひょいと立ち上がる遠坂。そのまま台所に行って、アーチャーからティーカップを受け取る。
―――む。明らかに見覚えのないものだ。
「そのティーカップ…」
「家から持ってきたのよ。ほら、士郎も飲むでしょ?」
「あ―――?」
「何よ、飲まないの?」
差し出されたカップを取ろうとした直前で引き戻される。
いや、その事に驚いたんじゃなくて。―――確かに、知らないティーセット、しかも高級そうなそれがあることにも驚いたのだが、そうでなく。
「遠坂、今お前俺のこと"士郎"って呼んだか?」
「あれ、そうだった? 気づかなかったわ。イヤだった? イヤなら気をつけるけど」
「え、いや、イヤじゃない。遠坂の呼びやすい方で構わない」
むしろ、嬉しい。
嬉しいから困る。
なんというか、遠坂は心臓に悪い。
不意打ちで爆弾を落としてくる。しかも悪気なく他意なく極自然にやっているあたりが凄い。
前に一成が遠坂を"魔性の女"なんて言っていたが、確かにそうなのかもしれない。
よく出来ましたなんて、自信満々満面笑顔の遠坂からカップを受け取る。
芳香は芳しく、口に含むと甘いくらい。クセや渋みは全くない。
「へぇ…旨いな」
「当然。お気に入りだもの」
賛辞の声に満更でもなさそうな遠坂。
まるで自分を褒められたみたいな顔をして、小さく笑う。
ああ―――本当に、もう昨日から今日にかけて、遠坂に何度不意打ちを食らったのか分からない。
そういう顔は卑怯だ。
こっちの心臓が持たなくなる。バクバクうるさくて気になって仕方がない。
なんていうのに―――
「マスターもどうぞ」
「え―――」
「あ」
「ぬ?」
ぱかっと空いた口にフォークを突っ込まれていた。
気が付いた時にはもう遅い。パクリと口を閉じるのを確認して、フォークはそのまま引き抜かれる。
突然の出来事に呆然とする俺達に構わず、タクティシャンはフォークをケーキにもう一突き。
「はい、メイガス」
唖然、としたままの遠坂の口の中に遠慮なくそれを突っ込む。
「な―――!」
再現。俺の時と同じように遠坂の口の中にフォークが吸い込まれて、ケーキだけを失くして出てきた。
そのあんまりにも手際の良い行動に俺は―――って、これは遠坂とかっ、かっ、か、間接キスとか言う事になるのか…―――!?
「なっいっ今っ、た、タクティシャンっ」
「美味しいですね、マスター、メイガス」
「味なんか分かるか―――っ! 何するんだいきなりっ」
「一個なら食べなくとも、一口ずつなら食べると思ったので」
なんて言いながらお前めちゃくちゃ目が笑ってるぞタクティシャン!
絶対面白がってるだけだろ…っ。
「ほらアーチャー」
「………」
赤い悪魔は次なる獲物へと牙をむく。
アーチャーは口を開けば突っ込まれると判断してか、渋い顔で無言断行。フォークに刺さったケーキは所在なさげにタクティシャンの下へと返る。うん。美味しい、と言わんばかりの満面笑顔でまたもケーキにフォークを突っ込んでって考えてみればそうかタクティシャンと遠坂の間接キスという事にもなるのか。いやだからどうしたと言われれば困る。非常に困る。なんせ遠坂がものすごい目でこっち見てるし。ぶっちゃけそれどころじゃないし。身の危険をひしひしと感じているわけで―――。
「ねぇ、衛宮君」
あかいあくまが微笑む。びっくりするくらい綺麗な笑顔だな遠坂。美人って怒るとますます美人なんだな。
まぁ俺が言いたいのは。
きっとここは戦場に違いない―――。
2012年3月4日