『未来の英霊』
なんて、どうでもいい事を経てようやっと見回りへと行くことにする。
遠坂とアーチャーは俺達を見張りやすい場所―――すなわち、見晴らしが良く、アーチャーの鷹の目を持ってすれば街の全景を見渡せる場所へと移動した。
俺とタクティシャンはまぁ堂々と街を練り歩く。
それだけといえばそれだけ。
「に、しても、だな」
じろり、とタクティシャンを睨みつける。
月明かりの中で、赤い外套を纏う黒髪の女はいつまでもくつくつと笑ってる。両腕を胸の前で交差させて、口に手を当てながら非常に楽しそうである。その目には既に涙まで浮いていやがる。くそう。
「…笑いすぎだ、タクティシャン。お前の所為だぞ」
「あ、はは、は、だってマスターその顔」
俺をちらりと見て、すぐにタクティシャンは吹き出す。
―――俺の頬にはくっきり手の平の形がある。
言わずもがな、それは遠坂の平手で、あの後目で追いきれないほどの俊敏さで張り飛ばされた結果である。はっきり言って痛かった。とんでもなく痛かった。未だに熱を持っている。
「お前、ホント性格悪いな」
「あら、マスター良い度胸ですね。両頬お揃いにしましょうか?」
「素直な感想を言っただけだろ…」
ひーひー言いながらまだまだ笑い足りないらしいタクティシャン。
じ、と睨みつけていると、さすがに悪いと思ったのか、笑いを堪えながら遠くを見て髪を払う。
その顔はひたすらに楽しそうで。
だからなのか、昨日寝る前に聞きたかった事をふと口にしていた。
「タクティシャンの真名って、なんなんだ?」
そう、俺は未だに彼女の本当の名前を知らない。
名前だけじゃない。彼女が昔どんな英雄で、どんな時代で、どんな風に生きてきたのか―――。
「って。なんだよタクティシャン」
「いえ、凄い度胸ですね、って思いまして。人気はないとは言え、気配遮断や魔力を抑える術に長けたサーヴァントがすぐ近くにいる可能性も否定できませんし、アーチャーのマスターも聞いているのですよ?」
そういう、物凄い呆れた目で見ないでくれ。
タクティシャンの言う事はもっともなんだが、なんとなく敗北を感じる。…確かに、俺が悪いのだが。
そうか。そういえば遠坂の使い魔が俺達についてきている、っていう事をすっかり忘れていた。大体何処にいるのか俺には全然わからないのだから、忘れてしまうのも仕方ないことだろう。
「う、すまない。けど、どんなヤツだったのか聞くぐらいいいだろ?」
「―――はぁ。まぁ、良いでしょう。と、言っても何を聞きたいのですか? さりとて、し…マスターが興味を持つようなことはないと思うのですが」
「いや、物凄く気になるけど。どう見てもタクティシャン普通のカッコだし。アーチャーとかランサーみたいな格好してれば英雄なんだな、と思うけど」
まぁ要するに、タクティシャンはどう見てもやっぱり英霊には見えないのだ。
それは勿論自覚しているのか、タクティシャンは、む、と口を結ぶ。しばし悩むように口元に手を当て。
「まぁ、過去の英雄でないのはバレバレですよね」
なんて、赤い外套をつまみながら笑う。
さすがに自覚はあるのだろう。
「あ―――ああ。それじゃあ、タクティシャンは」
「―――ええ。私はもっともっと先の未来で生まれた英霊です。だから真名なんて意味を持ちませんし、それによる恩恵も全くありません」
「へぇ。って、それなら別に真名知られても構わないんじゃないのか?」
素直に思ったことを言う。
実際そうだろう。この時代より過去の英雄ならばその正体に弱点を見出せても、これより先の存在ならば弱点も正体もあったものじゃない。
ただそう思っただけだったが、タクティシャンは軽く目を見張り、息をつく。
それから―――
―――色々と構うのよ。全くこの馬鹿は相変わらずなんだから。
とんでもなく早口でなんか言った。
とんでもなく早口な上に小さい声だったので、俺には聞き取れなかった。
が。
「なんか今、物凄く馬鹿にされた気がするんだが」
「いえ、まさか。そんなことあるわけないじゃないですか」
にっこりと笑う赤い悪魔。
うん。心が全く篭ってないな。
何を言われたのか非常に気になる。気になるがそれ以上に。
「で、なんて名前なんだよ」
「…聞きたいですか?」
「お、おう。だって、呼ばれるならちゃんと自分の名前で呼ばれたいだろ?」
親愛の情のこもったあだ名や、慣れ親しんだ相称なら別かもしれないが、クラス、なんてサーヴァントの枠組み名なんかより、本当の名前の方が良いに決まっている。
「それに、俺だって、ちゃんと呼びたいし」
タクティシャン、という呼び名はひどく白々しい気がするのだ。
俺としては真剣極まりなかったのだが、タクティシャンは瞬きを繰り返した後、くっ、と吹き出す。
―――む。なにも間違ったことは言ってないぞ。
じー、と睨みつけてると、その意図はちゃんと伝わったらしく、タクティシャンはひらひらと手を振ってみせる。
「マスター、別に馬鹿にしてるわけじゃありません。ただ、サーヴァントとマスターとしてのあり方から随分と外れていたので、それが面白かっただけです」
ふぅ、と一息ついて
「ですが、感心はしません。サーヴァントは所詮道具と割り切った方が、貴方のためですよ」
…その、タクティシャンの言い草に、無性に腹が立った。
当たり前の事を当たり前だと示すその口調に腹が立った。
「馬鹿言え。一緒に飯食ったヤツが道具なわけないだろ」
そうだ。
タクティシャンと俺は確かに利害関係でしか結ばれていないのかもしれない。
そもそも俺はわけの分からないままに、聖杯戦争なんて下らない出来事に巻き込まれていて、契約だって意味も知らないままに結ばれた。
だからタクティシャンがサーヴァントで、俺がマスターだなんて、未だに実感はわかない。
俺が聖杯戦争に参加するのはそれ以外の選択肢がなかったことが大きい。戦いに参加し、遠坂と協力すると決めたところで、自分から戦いを仕掛けるとかそういう事は望んでいない。
俺がするのは、降りかかる火の粉を払うことであり、何の関係もない人たちの犠牲を止めること。そのための戦いだ。
そのためにはタクティシャンの力が必要だし、それに俺は、彼女に命を救われた。コイツのおかげで遠坂とも争わずにすんで、結局一方的に助けられているばかりで―――。
………いや、そうじゃない。
それはただの理由付けでしかなく。
俺はただ、あの土蔵であいまみえた瞬間に、理由もなく、意味もなく、必要すら感じずに、ただ愚直なまでに単純にコイツを受け入れてしまっただけなのだ―――。
だから、サーヴァントが戦うためのものだとか、全然関係ない。
タクティシャンって女が目の前にいる。それが全てだ。
俺の主張にタクティシャンは呆然と俺を見下ろす。
悔しいことに身長は俺のほうが低いのだ。というか、ヒール靴の所為で僅かにタクティシャンの方が高いのだ。…ヒール靴やスーツで走ったり戦ったり出来るタクティシャンは確かに凄い。確かに人間じゃない。
「貴方を侮っていました。マスター。どうやら貴方は私の見立てより相当突き抜けた馬鹿みたいですね」
「む―――」
とことん馬鹿にされて、さすがに凹む。
俺もタクティシャン、お前のことを侮っていたぞ。お前は俺の見立てよりずっと容赦がない。
「まぁいいわ。マスターの馬鹿差加減を守ってみせるのもまたサーヴァントとしての役割でしょう。ですが、その甘さはマスターとしても魔術師としても必要のないもの。持っていても辛くなるのはマスター自身ですよ」
「む、なんでさ。辛くなんてならないぞ」
「…そ。ならいいわ。…いえ、良くはないわね…。でも…うん」
タクティシャンは1人ぶつぶつと呟き、考え込む。
その目がやたらと剣呑に見えるのは気のせいだろうか。気のせいであって欲しい。
「まぁ…結局何を言っても無駄か…ったく…これは……が必要ね」
「…おーい、タクティシャン」
うーとかあーとか唸って、ようやくタクティシャンの意識がコチラ側へと返ってくる。
「とりあえず、私はマスターにタクティシャンと呼ばれるのが嫌いではありません。ですからそう呼んでください。それに、私の名前を今教えて、世界のどこかにいる私を探されても困りますから」
「あ―――そう、だな」
そう。タクティシャンが未来の英雄だというのなら、この世界に存在する可能性だってある。
今はまだいなくても、これから先どこかで生まれて、英雄への道を歩むのかもしれない。それを知っている人間は未来を知る人間に他ならず、それは世界にとってのイレギュラー。きっと許されることではないのだろう。
そんなことにようやく気が付いた。
成る程。タクティシャンが呆れるはずである。
でも、それは。
「…そんなに近い時代の英雄なんだな。タクティシャン」
「恐らくはそうなのでしょう。もっとも、私が生まれるのは随分と先の未来ですが」
「そうなのか」
「ええ」
いつかタクティシャンが英雄として立つというのなら、それを俺は見るのだろうか?
生きているうちにそれは来るのだろうか。聞けば分かることだが、それは未来を知ることだ。それはなんかずるい、気がする。
だからそれ以上は聞かなかった。薄暗い通学路を歩く。
いつの日か英雄となるタクティシャンは、きっと今ここにいるタクティシャンとはまるで違うのだろう。
俺のことなんか知る筈もない存在で、俺とは関係のない世界で生きて、英霊となる。
それはそれで何となく寂しい気もする。
―――いや、誇るべきなのだろう。
本来手の届く筈のない英雄として祭られるような人物と隣を歩いているということを。
月が出ている。月明かりによる世界は十分に明るく、街灯など不必要。
だけど、早い風は雲をさらいあっという間にソレを隠してしまった。
衛宮士郎を追う様にうっすらと雲が影をかける。
赤銅の髪が薄暗く染まり茶色とも黒とも付かない色へと変わる。
そんなマスターの背を追いながら、タクティシャンは笑う。
真名を明かせる筈もない。
タクティシャンの真名はこの時代でだけは知られてならないものだ。
英霊としてのタクティシャンが生まれるのはもっともっと先の話。
けれども彼女自身は既に生を受けているのだから。
それにしても、と思う。
赤銅色の髪。自分よりも低い身長。鍛えてはいるが、まだまだ未熟な体。幼い顔立ち。憮然としていながらもすぐに顔に出る感情。自分の関係のない人の不幸に傷つく甘さ。遠坂凛を無条件に信じる甘さ。得体の知れぬサーヴァントに心を許す甘さ。否定と決意と共に、それでも聖杯戦争を受け入れる覚悟。誰も傷つけず、傷つけられる者を守るという頑なさ。自分以外の傷に勝手に傷つく馬鹿者。
それは、それは、腹の立つ―――。
「なぁ、タクティシャン」
「え? ああ、何かしら? マスター」
「…それだ。なんでさっきからマスターって呼ぶんだ?」
―――驚いた。気づいていたとは思わなかった。
鈍いくせに時折妙に鋭いところは同じか。
「―――ああ、そういえばそうですね。士郎の方がいいですか?」
「いや、なんかワケがあるならいいんだ。―――まぁ、マスターっていうのはやっぱり勘弁して欲しい」
照れくさそうに少年は笑うって頬を指でかく。
―――まぁ確かに、マスター(主人)などと呼ばれるのは気になるだろう。
ただ、"士郎"という呼び方は少し遠慮しようかなと思ったのだ。
"士郎"という呼び方には、あまりにも色んなものが溢れてしまうから。
彼女が"士郎"と呼び出したから、というのもある。かつて自分が彼とアイツの声を聞き間違えたように、その相似性に気づかれては困るから。
「では、シロ…と」
「…は? え―――ちょ、なんでさ!?」
「いえ、シロはメイガスに"士郎"と呼ばれる方が嬉しそうでしたので」
にんまりと笑ってみせる。
予想通り少年はあたふたと顔を真っ赤に染めて、あ―――その初々しさが今の自分には何とも言えないなーなんて悪趣味なことを思う。
うん。だって、こんな姿を見ていると……本当に、心から、楽しくて、楽しくて。
「そっ、そんなことはないぞ。別に、タクティシャンに呼ばれるときと一緒だ」
「そうですか? ふふ。シロ、そう顔を真っ赤にしていては説得力がありませんよ」
「な―――う…!」
ああ本当に面白い。
ずぅっとずぅっと昔のことを思い出す。
記憶力には自身があるほうだし、記憶に関してはいろいろと試行錯誤してきているので、英霊となる前の記憶のことをタクティシャンはちゃんと思い出すことができる。かつての聖杯戦争。出会った人たち、出会ったサーヴァントたち。
大事な、大事な記憶。
完全に、とまではいかないが、大事なことは忘れていないつもりだ。
―――この衛宮士郎という少年のこと、とか。
ああ、でもまずいかな。
この少年と共にいて、それであのアーチャーがいて、ついつい素に戻ってしまう。特に、アーチャーとやり合っている時は完全な素だ。猫を被らないといけない。しかし、あの皮肉っぽく歪んでいじけた顔を見ていると、どーしても、こう、いじりたくなるわけだ。
向こうだって記憶に比べて随分と柔軟性が高いし、絡みやすいし、のってくる。いや、恐らくはアレこそがあの弓兵の本質なのだろう。だからついついムキになって料理対決とか、してしまうのだけど。
それで、なんでこんな本気になってるんだーとか思って、大人気ないなーとか思う。
英霊になってからの時間の感覚は希薄だけど、タクティシャンが蓄えた記録と知識は0ではなくプラス。
だからまぁ、要はずっと昔に馴染んでいたこの空気が、あんまりにも懐かしくて、見慣れた顔ぶれがなんとも楽しくて、面白くて、気が緩んでしまうわけだ。
「―――タクティシャン」
「え? あっ、なんでしょうマスター…じゃなくてシロ」
「シロって犬の名前みたいだな…じゃなくて、その、結構1人の世界に入るよな、お前」
「あーもしかして、何度か呼びました?」
「ああ。呼んだ」
あちゃあ。またやってしまった、と顔をしかめてしまう。
悪い癖なのだ。生前散々言われて治った筈だが再発している。
うん。これはいけない。本格的に気が緩んでいる。
ここいらで少し気を引き締めなければ。
うん。丁度良いことにサーヴァントの気配もすることだし―――
「って、え?」
サーヴァントの、気配?
ちょっと待て。
いくら気が緩んでたと言っても、サーヴァントの気配相手に警戒もしないなんてどれだけ腑抜けているというのか。
ありえない。本気でありえない。
気配を探る。あくまでも相手には気取られぬよう、周辺に置いた使い魔の一匹をそちら側に。あたかも自然界のもののように擬態した使い魔は、タクティシャンの目となり走る。
やがてその目に映るのは―――銀色の、髪の………
「シロ、開けた人気のない場所へ行って頂けますか?」
「―――タクティシャン?」
「そのまま、自然にお願いします。メイガスにはコチラから使い魔を通じて連絡しますので」
意は伝わったのか、少年は何も言わず―――けれども緊張に満ちた様子でそのまま歩き始める。急に方向転換をしなかったあたり、さすがというべきだろうか。
くっ、と笑う。
使い魔から送られる情報にサーヴァントは写っていない。
霊体化しているのだろう。さすがにその状態のサーヴァントまで見える筈もなかった。
さて、今回もバーサーカーか、それとも他のクラスを呼び出したか。
とはいえアサシンではないだろう。
タクティシャンにあっさりと気配を感じさせるアサシンなどありえない。まぁ、わざと気配を出しているという可能性もありえなくはないが―――限りなく、ありえない。
アサシンの持ち味はその気配遮断能力。
サーヴァントにすら気付かれず、マスターにも気付かれず、目標に接近し首を刈る。それを活かさぬ筈がない。
残るクラスはバーサーカー、ライダー、セイバー、アサシン、キャスター。
タクティシャンが混じった以上、どれか一つは抜けているに違いない。
バーサーカーなら厄介だな。
あの時と同じだというのなら、これ以上なく厄介で、恐ろしい難敵。そうなったらどうしようか。さっさと逃げ出すか。それとも。
もう一つの使い魔から情報が送られてくる。
アーチャーとそのマスターは既に衛宮士郎の向かう場所に見当をつけたのか、とあるマンションの屋上で武装を整える。すぐ近くにいる翡翠の鳥は遠坂凛の目となり耳となり、状況をつぶさに届けるだろう。
自分の武器を見せることに抵抗はあまりない。
というよりタクティシャンの持ち得る唯一などはじめからソレしかない。
厳密にいえば、ソレは宝具ですらなかったりする。
―――だから、タクティシャンの持つ武器なんぞ、ただの3級品。過去の神秘に満ち溢れた時代のものに比べれば、あまりにも見劣りする。あることに対しては一級だが、その他に関してはてんでだめだ。そういう風になっている。それは時代を反映したとも言えるだろう。
だが、相手がバーサーカーともなればこちらも最強を取り出さざるを得ないというもの。
衛宮士郎が選んだ場所は街の外れにある小さな公園だった。
誰もいない夜の公園はひどく空虚に見えた。
「Wird geschlossen(閉じろ)」
これより先迷い子など現れぬよう、小さな結界を張る。
スペルは一言でいい。ほんの少しの魔力を流し込めば、あとは外套の方で勝手に魔術の起動及び展開をしてくれる。
これよりこの空域は戦闘地帯。誰も近寄らず、誰も気付かない。
それは魔術回路を持たない一般人にだけ作用するもの。
だから、後は待てば良い。
そうすればほら。
月の光を遮る魔術師とそのサーヴァントの姿がそこに―――。
2013年3月17日
本編のここら辺までの流れめっちゃ好きですw