ガラクタの世界


  『逢瀬』












 風が、踊る。
 さやさやと、少女の涼やかな金の髪を揺らし続ける。
 冴え冴えとした冷たい輝きを放つ緑石は、ぼんやりと辺りの惨状を見渡す。

 そう、惨状。

 少女の足元を、足首まで浸らせるのは真っ赤な血。
 血溜まりに沈むのは、かつて人であった存在。
 原型を留めぬそれらは、風に吹かれ、まるで砂のようにぼろぼろと崩れ始める。

 風が、舞う。

 さらさらと、舞う。

 ふ、と…少女の鮮やかな紅ののった唇が、弧を描いた。
 風が、鳴いた。
 残ったのは砂ばかり。


 そう。


 赤く赤く。


 まるで血のように染まった砂ばかり。









 火の国と風の国との国境に広がる深い深い森には、誰にも知られていない家屋がある。
 深い森に囲まれ、なおかつ高度な忍術によってその存在は秘されている。

 シカマルは、そこに居た。
 まるで、当たり前のように家の中でくつろぐ。
 将棋の駒を弄びながら、畳の上で仰向けになる。
 その隣には、中途半端に駒の動いた将棋盤。

 ひどく静かな空間。
 家の外で、風が吹いた。
 シカマルの顔が緩む。
 "有翼"すらも知らないシカマルの表情。

 ガラリ、と、引き戸が開いた。
 それと同時に、涼やかな低い声。

「久しぶりだな」

 光を背に立つのは少年が最も待ち望んでいた人間。
 口よりも先に身体が動いた。
 勢いよく立ち上がると、まるで突き飛ばすようにして、抱きついた。
 全く予想していなかったのか、その人物はシカマルを受け止めることが出来ず、2人、もつれるように倒れた。
 地に落ちる前に、風が柔らかく彼らを包み込む。

「テマリ―――」

 嬉しそうに、嬉しそうに、シカマルは相手の名を呼んだ。
 風の国、砂隠れの忍。
 "奈良シカマル"が交流などもったこともない、存在すら知るはずのない相手。
 一瞬、憮然としたテマリだが、シカマルの頭を両腕で抱きかかえ、笑った。

「シカマル―――」

 誰も知らない2人の忍の逢瀬。
 穏やかな日差しが彼らを照らした。








「やるか」

 共に食事を取り、ちらりとテマリは視線をあるものに飛ばす。
 どこか、挑発的なその態度に、シカマルは不適に笑った。

「勿論」


 ぱちり、と、将棋の駒が進む。


 前回2人が放置したままだった駒が動く。
 この勝負に、決着が着いたことは無い。
 2人、勝ち負けを楽しみのではなく、その裏の裏を読む過程を楽しむ。
 それがこの2人のスタイルだ。
 ある意味不真面目で、ある意味ではひどく真剣な手合わせだ。
 テマリとシカマルの2人が出会ったそのときから変わることが無い。

「日向を探っているのか?」
「…相変わらず情報が早いな」

 テマリの言葉に、シカマルは駒を一つ進めて息をつく。
 彼女独自の情報網が相当なものである事はシカマルも知ってはいるが、どうやってその情報を仕入れているのかまでは知らない。
 なんにしても、木の葉暗部の最高機密がここまで早く他国の人間にばれるのは相当にやばいのではないだろうか?

「私を見くびるな」
「へいへい。それで、それがどうしたよ?」
「やめておけ」
「―――…!?」

 将棋の次の一手と、テマリとの会話の先を、並行して考えていたシカマルは、思わず動きを止めてテマリを見上げる。
 彼女に暗部任務の事で口を出されたのは初めてである。
 否定的な事を口に出されたことも、だ。

「…何かあるのか…?」

 そう、シカマルが呟くように言えば、テマリは言葉を捜すようにして、将棋の駒を右手で弄ぶ。

「何か…と言うほどでもないが…あそこはどこか可笑しい。それを私は知っている」
「…何故?」
「…砂隠れにとっても木の葉の至宝はかなり魅力的だということさ」
「…調べたのか?」
「まぁな。だが、私にも探れない部分がある」
「テマリにも…?」
「ああ。この砂の風神、月翼様にも分からない事があるということだ」
「…自分に様をつけんな。様を」
「可愛くない事を言うな。早く次の手を打て」

 いつの間にか進められた駒を、シカマルは見て眉を潜める。
 自分の打った手があっさりと交わされて、次なる予測を困難なものにしている。
 テマリの打つ将棋はひどく斬新で柔軟だ。
 木の葉にはないような方法で攻めてくる。

 もっともシカマルがそれを知ったのは木の葉で初めて父と打ってからだ。
 シカマル自身にもテマリの突飛な発想や柔軟な対応が刻み込まれていたので、父が眉をしかめて、初めて見るような盤にうなっていたものだ。
 攻めではなく防御に入り、テマリの次の手を待つ。
 テマリは、考えているのか?というような速さで打ち返し、くすりと笑った。

「なんだ?」
「木の葉の打ち方だ」
「…そうか?」
「ああ。堅実で手堅い。実際に崩すなら一番面倒な国だ」
「そうかもな」

 臆病なほどに守りを固めるのが木の葉だ。
 それこそが最も確実であり、里を、国を守る一番の事だ。

「中忍試験」

 互いに駒を動かしながら、テマリはぽつりと言った。
 その声音が、これまでに聞いたことのないようなもので、シカマルは盤面からテマリの顔へ視線を移す。
 ひどく、不快そうな表情で、盤面を睨みつけるテマリの様子に、何やらよからぬものを感じて眉を潜めた。

「嵐が、起こるかもな」
「嵐?」
「ああ。砂の主のいない大嵐。荒れるぞ」
「止める事は?」
「無理だ。音が絡んでいる…」
「音…?あそこは確か…!!」
「そう。大蛇丸だ」

 重々しいその声は、まるで木の葉に対する宣戦布告の様に。
 深く深く、シカマルの身体に染み込んだ。
 かつて3忍と呼ばれ、木の葉に君臨した者の1人。

「…荒れるな」
「ああ」

 2人、神妙に頷く。
 と、そこで、テマリが不意に何かを思い出したかのように視線をさ迷わせた。

「どうした?」
「…いや、中忍試験を受けるそうだな」
「あ?…ああ。それが?」
「…私も受けるんだ」
「………………はぁ?何で?」

 予想だにしなかった言葉に、シカマルは驚きも露わにテマリを見つめる。

「私も表立ってはただの下忍だ…私とカンクロウ、それに我愛羅が今回の嵐の中心となる」
「なんだって…?」
「大蛇丸は月翼の正体を知らない。故に、我愛羅を駒として使うつもりだ」
「…コントロールの出来ない未熟な砂の守確、それに一応は隣に居る事を許された下忍の兄弟。御しやすいと考えたか」
「そのようだ。だが、好都合」
「…そうだな。月翼、という駒をコチラは最大限に利用できる」
「ああ。木の葉と砂をこんなところで潰して溜まるか」

 忌々しげに呟いて、拳と拳を打ちつけた。
 シカマルが頷く。

「と、なるとお前が表だって木の葉に来るのか?」
「ああ。ナルトが覚えていなければいいのだがな」
「あー…そりゃ大丈夫だろ?あいつは火影様と任務以外にゃ興味ねぇよ」
「そうか。まだあいつはそこに居るのか」

 かつて、テマリとナルト知り合いであった。
 それは、まだシカマルがテマリと出会う以前のこと。
 火影が目をかけていた他国の忍。
 火影第一主義のナルトにとって、よほど面白くなかったのだろう。
 木の葉に入った瞬間に闇討ちをされたという事だ。
 シカマルとしてはテマリに楯突こうなんて恐ろしく無謀なガキも居たもんだ、と思ってしまったものだが。

 自分に、ナルトの心を開く事は出来なかった。
 ナルトは、未だ火影様以外の人間に心を開く事もなく、闇を歩いている。
 それを、悪いとは言わない。
 闇に生きるものにとって、己を守るには必須かもしれない。
 けれど、もう少しだけ柔らかに、周りのことを受け入れれば、世界は光に満ちるのだと思う。

 シカマルがそうであったように。
 サクラがそうであったように。

「下忍として出会った時が楽しみだな」

 ふと、テマリが口調を緩める。
 テマリが下忍として木の葉を訪れた事は一度もない。
 正規ルートで、木の葉の門をくぐった事すらないのだ。










「中忍試験…ね」


 何を思うか、空虚な瞳は何も映さずに、けれども唇は弧を描いた。




 回る回る。

 ガラクタの世界は回り続ける。



 さぁ。





 壊すのはだぁれ?















2005年6月11日