ガラクタの世界 『負け犬』 まっ平らな草原の海で、ヒノトは立ち止まる。 暗い暗い闇の中で、その白く滑らかな肌がぼんやりと浮き上がって見える。 瞳孔のない白き瞳が"有翼"を見渡して…。 「それで。君達の暗部名を教えてもらえるかな?」 ヒノトが笑う。 やはりそこに感情を見つけることは出来ない。 「俺は黒羽。そっちが金羽。あっちが桃羽だ」 黒羽が、ひどく素直に答えを出す。 多分、自分達が生きて帰れるかどうかは、彼女の機嫌次第だ。 「ああ。かの有名な"有翼"ね。日向を探るのだから生半可な暗部は来ないとは思っていたけど…。まさか、いきなりトップが出向いてくるとはね。驚いたわ」 その口調は、まるで暗部がくることを想定していたもの。 分かっていたのか? 「一つ…いいか?」 「どうぞ?黒羽さん」 「任務はどうした。暗部第8班、B級護衛任務。あと3日はかかるはずだ」 「ああ。私の影分身がちゃんと働いているわよ」 「影分身だと…!?」 下忍の任務を影分身でするならばともかく、暗部の任務を影分身で行うだと―――? 有り得ない。 暗部の任務は危険度が高い―――。 どの任務だって他国の忍との戦闘や、抜け忍との戦闘が予想される。 それらは常に死と隣り合わせの任務だ。 強い力が必要とされるし、チャクラも必要。 それを影分身だと―――? 「ちょっと待ってよ…まさか…毎度毎度そんなことしてるわけ―――?」 「さすがにそういうわけにはいきませんよ?まぁそろそろ火影様が日向を不審に思う頃だと思ったので、本体である私が残りましたけど」 「感づいて―――」 「勿論。流石に火影をそこまで侮ってはいませんよ」 くすり、と笑う。 本当にそう思っているのか、どうか…そんなことは悟らせない笑顔。 捉えどころがない、というよりは感情自体が浮かばないのだから捉えようがない。 「さて、面倒なことになりましたね。殺すと木の葉に打撃が多いですし、私としましては、負け犬になってもらいたいのですが?」 「負け犬。か」 「ええ。無様で見苦しく日向から逃れた負け犬に」 くすりと笑って、無造作に腕を上げた。 キン―――と、硬質な音が鳴る。 クナイとクナイが合わさる音。 片方は勿論ヒノト。 そして、もう片方は―――いつの間にやらクナイ片手に、彼女に飛び掛っていた金羽だ。 「ちっ―――」 「暗部最強忍者、金羽ともあろうものが不意打ちですか?」 「うるさい―――!!」 ヒノトから離れる際にそのままクナイを放ち、地に付くより早く印を組む。 炎の玉が幾つも幾つも放たれる。 それらは一部クナイにあたり、クナイの起爆札が爆発した。 あっという間に草原が炎に染まる。 「馬鹿っ!!金羽!お前いきなり何してんだ!!」 「そうよ!ってか山火事になるじゃない!!!」 正直、金羽よりも実力の劣る2人は、金羽を止めることが出来ず、ヒノトに注意を向けながらも、それぞれ印を組んで草に燃え移った火を消化する。 そして金羽は、ヒノトのいたそこから目を逸らさない。 まるでまだそこに彼女がいるんだと言わんばかりに。 火がじわじわと消えていく。 そして… 「残念でした」 金羽の睨みつけるそこにヒノトはいた。 火に包まれる前の姿で、傷一つなくそこにいた。 消火活動の水も、ヒノトに当たる前に弾かれる。 見えないし、その存在を知覚させないが、そこには確かに結界があった。 「これが、君達の答え?それでは殺さない程度に逃がしてあげますよ」 「いっ!?ちょっっ!!!」 「い!今のなし!!」 くすり、と笑って、ヒノトは印を組んだ。 黒羽と桃羽の言葉なんて聞いてはいない。 金羽は暗部面をあっさりと取り外した。 暗部面は視界が狭まる。 今はそんなことで煩わされたくない。 それは、金羽が暗部として任務をこなしてきて始めてのこと。 ヒノトの目の周囲に血管が浮かび上がる。 彼女は今の今まで白眼を使ってすらいなかった。 黒羽も桃羽も内心滝のような涙を流しつつ、戦闘態勢へと入る。 もはや引き返すことは出来ない。 そして―――。 ひどく時間は鈍く…。 長く感じられる睨み合いの中―――。 ふっ―――…と、ヒノトの顔に感情が灯った。 (―――?) そこに浮かぶ感情が何か、"有翼"には分からない。 分からないが、人形のようなその顔に、初めて生気というものが宿った。 じり―――と、桃羽が距離を詰める。 近距離戦から中距離戦を得意とする彼女には、この距離は少し遠い。 男2人は動かない。 水面下でチャクラを操りながら、最善の手を考える。 ひどく静かな時間だった。 ―――が 「っっ!くっ!!…あはは…。はっっ!!はははははははははっ!!!!!!!!」 それはもう唐突に。 ヒノトが笑いはじめた。 「「「―――はぁ?」」」 その疑問の声は、3人共全く同時。 あれだけやる気満々だった相手が、今や身体をくの時に折り曲げて、これ以上ないというほどに笑っているのだ。 これは呆気にとられるしかないだろう。 「あはははは!!」 笑う。とにかく笑う。 ヒノトの目尻には今や涙まで浮かんでいる。 3人は、ぽかんとしたまま面を取って、顔を見合わせる。 面は暗部にとって、正体を知られないように必須なものであるが、"有翼"の彼らは常に変化しているので躊躇がない。 「何がどうなってるわけ?」 「さぁ?」 「私たちなんか笑われるようなことした?」 「…さぁ?」 どれだけ頭の中でさっきまでの事を再生してみても、その原因らしきものは何もない。 本当に唐突に彼女は笑い出したのだ。 「あははははははっ!!!!最高!あんた達気に入った!!」 「「「はぁ…」」」 そう言われましても。 と言うのが本心だ。 珍しいことに金羽すらそう思っている。 「さてさて。君たち。3回だけ質問していいよ?1人1回ずつ。私を久しぶりに笑わしてくれたお礼にね」 楽しそうに胡坐をかいたヒノトは黒羽を指差す。 さぁ質問しろ―――と言うことだろう。 「あ。えっと…あんたの素性…」 「それは今回の任務内容か?そうだな。悪いけどそれは却下。だがヒントは与えましょう」 「ヒント…?」 「ってか却下って…」 人に質問させといて何っ? そんな桃羽の心の声なんてヒノトは気にしない。 「そう。日向ヒノトが既に死んでいることは気付いているのでしょう?」 「―――っっ!!!」 確かにそれが任務内容のきっかけだ。 ここまでしっかりくっきり断言されると、いっそ清清しい。 ヒノトははっきりと己の死を宣言する。 そして、やはり楽しそうに次の言葉を紡ぐ。 「いいか?私は下忍だ」 「…?…知ってるわよ?」 桃羽が訝しげに眉を寄せる。 金羽は無反応だが、黒羽がまさか―――と呟いた。 「そう。黒羽は気付いたな」 「は?どういう意味?」 「桃羽。要するにヒノトは死んだ。ここにいるヒノトは別人。そしてヒノトに成りすましているその誰かも下忍だということだ」 「となると、日向のヒノト以外の下忍の誰か―――と言う事か」 「そう言うことだろ」 「ヒントはそれでおしまい。はい次―――」 白く細い指先が桃羽を示す。 「えっと…。日向の目的?っていうか動向…」 「それも任務ね。目的…ねぇ?そんなん私も知らないわよ。私はただ踊っているだけ。ガラクタの世界で踊るだけ」 「………???」 「さっぱりなんすけど…」 「動向も同じ。けれどいいことを教えてあげる。日向の長老達は誰かさんの操り人形でしかないよ」 「誰かさん―――?」 「言わないよ?あはは。だってそれ言ったら私死ぬし」 笑って言われたその言葉はひどく重い。 一瞬誰もが呆気に取られる。 「―――んだって?」 「日向の呪印。もう一つの力?と言うか改良板だしね。この呪印」 分家の人間に施される呪印は宗家には逆らえない。 しかし、ヒノトのそれはそれで終わらない。 指定された言葉の幾つかを言うことによって、その呪印は発動してしまう。 その者の全てをその呪印は奪う。 「―――…」 「はい。それじゃあ最後の質問だよ?金羽」 くすくすと笑いながら、ヒノトは指先を金羽に向ける。 言うことないよなー…と、黒羽が困惑した顔で金羽を見る。 ってか結局この任務失敗だし、呪印の事でも聞くかしらね…と、桃羽は金羽を見守る。 だが、彼らの予想を金羽は裏切った。 「―――何で笑った?」 その言葉に、黒羽と桃羽がはっきりと目を丸くした。 暗部として鍛えられ、滅多なことでは驚かない2人が、はっきりとその驚愕を顔に描く。 だって。 あの火影様以外は人間に全く興味のない金羽が―――。 他人の行動を気にしてる―――? そういえば、金羽が黒羽の許可をまたずに飛び出したのは初めてのことだった。 だからこそ、彼らはそれに対応できなかった。 その金羽の言葉に、ヒノトは少しだけ考える。 「何でって…。そうねー。あんた達があまりにも違いすぎるからかなぁー?」 「どういう…」 「だって、ドベで無邪気なうずまきナルトと、ヤル気なさMAXで面倒くさがりの奈良シカマルと、頭脳明晰で乙女な春野サクラが、本当は暗部最強部隊"有翼"―――だなんてねぇ。流石に予測不能だったもの」 ご丁寧にその名前を呼ぶたびに指先を突きつける。 楽しそうに楽しそうに。 その表情は一片も変わらない。 ―――と、いうか…。 今何かものすごいことを言われたような気がするんですけど―――? 多分…"有翼"のこれほどまでに無防備な顔を見たのはヒノトが初めてであろう。 2回3回4回5回―――と、ヒノトの言葉を頭の中で繰り返し―――。 ようやく言葉の意味を理解して…理解して、出た言葉がこれだった。 「―――はぁ?」 何言ってんの?と言わんばかりの黒羽の声に、金羽も桃羽もようやく硬直が解けた。 「えっと…。誰?それ?」 「何の話だってばよー」 ぎこちないながらも、言葉を紡ぐ2人だが、金羽の口調が演技時のものへとなっているあたり、よほど混乱している。 それに黒羽でさえも気付かないのだから、もうぼろぼろである。 「あはははははっっ!!あんた達演技がばれるとぼろぼろじゃん。よほどばれない自身があったわけだ!」 その通り。 確かに自信があった。 下忍は言うまでもなく、上忍に対しても常に完璧な演技だった。 現に今の今まで誰にも気付かれたことなんてなかったし、元暗部のカカシだって子供にはどこか甘いから全然余裕だ。 面倒くさがりで、やる気が全く見られない、将棋好きの子供も。 ドベでおちこぼれで、火影を目指す無邪気な明るい子供も。 何にも考えてなくて、任務より何よりサスケの事命な子供も。 どこにも綻びがない子供らしい子供だったはずだ。 だから過信していたのかもしれない。 絶対にばれないと信じていた。 …だからばれた時のことなんて考えてもいなかった。 それが今こうして跳ね返ってきているわけなのだけど…。 呆然と口を開いたり閉じたりしているだけの"有翼"に、またもヒノトは笑った。 正直、これだけ笑ったのはいつぶりだろうか? それも、負の感情からでなく正の感情から笑っているのだ。 ―――心から。 なんて珍しいこと。 ―――チリ…――― 「―――!!」 やばい。やばい。やばい。 額の内部がじりじりと痛み出す。 その焦りも感情も、全く外に出したつもりはなかったが、金羽が不思議そうに見ていた。 (勘がいい。流石は金羽…) それすらも面白いと感じるけど。 「さて、と。楽しいけれどそろそろ時間切れ。私は帰らないといけないの。火影様に日向に対してうかつに手を出さない方がいいよ。って伝えといて」 「え。お。おいっ!」 黒羽が手を伸ばすが、あっという間にヒノトは消え去った。 まるで幻のようにあっけなく、掻き消えたヒノトに、残された"有翼"は呆然と立ち尽くす。 「えっと…どうするの?」 「………あいつの言うとーり負け犬となって火影様に報告するしかないだろー」 そうして、その場から黒羽と桃羽が消える。 少し、金羽が首をかしげて、前の2人と同じようにして消えた。 |