ガラクタの世界


  『宗家』












 気配がした。
 知っている気配。
 冷たい気配。

 どこか温かい…懐かしい気配―――。
 これは―――。

「ネジ兄さん―――」

 ポツリと声を落とした少女に、ネジが驚いたように振り返った。
 その手には絞ったばかりのタオル。
 水滴がゆっくりと落ちる。

 小さな明かりに照らされた少女の顔はひどく蒼白く、まるで生気がない。
 そして―――感情が抜け落ちて見えた―――。
 それにネジは戸惑いを隠せない。
 日向ヒナタと言う少女は、極端な恥ずかしがりやではあっても、感情表情は豊かであったから。

「気が付かれましたか」

 ネジの声に、少女は一瞬びくりと震えて、おどおどとネジを窺った。
 そのヒナタらしい動作に、ネジは思わず安堵する。
 見間違いだと、しておく。

「ね…ネジ兄さん…?…私…どうして……」
「ヒナタ様は分家の道に倒れていたのです。覚えてないのですか?」

 その攻めるような視線と口調にヒナタはまたも身をすくめた。

「………頭が…痛くて…修行を…していて…それから…?」
「頭が痛いのなら、大人しくしていてください。第一こんな夜遅くまで修行するのはお控えください」
「……はい…」

 ネジのため息混じりの言葉に、少女はみるみるうちに小さくなっていく。

「あの………」
「…なんだ」
「…ここは?」
「私の家です。本家にはまだ距離がありましたので」 
「ネジ兄さんのっ…!?」

 ヒナタは目を見開くと、慌てて身体を起こした。

「あ…」

 突然の動作に、身体はついていかず、ぐらりと揺れたその身体をネジが布団に戻した。

「まだ寝ていたほうがいい。熱はないようですが、安静にしていた方がいいでしょう」
「でも…!ネジ兄さんに迷惑が…」
「この状態で家に帰したほうが私は困ります。宗家の方々に叱責されますから」
「そんな…!」

 だが、確かにそうではある。
 そもそもこの時間帯に宗家の子供が出歩くことすら非常識なのだ。
 ヒナタは下忍になったので、任務の際は仕方がないが、今日は任務で遅くなったわけでもない。
 ネジの眉間にしわが寄る。

 ―――貴方は宗家なのですから。

「……もう寝てください。宗家には私が伝えておきます」
「……ごめんなさい……」

 ネジは手にしたままの濡れタオルをヒナタの額に乗せると、無言で立ち上がる。

「宗家に行って参ります。ヒナタ様はお休みになってください」

 問うような少女の視線に、そう答えた。





 ネジは歩く。
 分家の者達に与えられる通り。
 ネジの家はその中央にある。
 それはネジが分家の中では中央に連なる者であるから。
 既に死んだ父も母も宗家の者と兄弟関係となる。

 闇の中を静かに静かに歩くと、見えてくるのは森。
 分家と宗家を隔てる深い森。
 上忍以上でなければ、木の葉の者ですら入ることは出来ない。
 日向に連なる者。それに火影などの里の頂点の者達だけがこの森を抜ける。





「ネジか」

 宗家本家の門の前で、1人の男が立っていた。
 日向ヒアシ―――。
 自分の父親と同じ顔をしたその男を見ると、ネジはいつも血が沸騰するような怒りを感じる。

「夜分遅くすいません。ヒアシ様。ヒナタ様は具合が悪いようでしたので、私の家にて休養をとっています。連絡が遅くなり、すみませんでした」
「良い。どうせあれが今まで修行をしていたのだろう」
「その様です」
「世話をかける」

 そう言ってヒアシは少し頭を下げた。
 いつもそうだ。
 日向ヒナタのことと日向ハナビのことになると、この男はちゃんと礼をする。

「いいえ」

 深く形だけ頭を下げた。
 そして、きびすを返す。



「ネジ…ね」



 くすり、と笑った。






「ヒナタ様…?」

 小さな声に返事はない。
 上から少女を覗き込むと、その瞳は堅く閉じられている。
 ふっ―――と息をつくと、ヒナタの寝るそこから遠く離れた場所に座る。
 そのまま目を閉じた。
 下忍の任務では野宿もあるので、どんな状態でも寝ることは出来る。

(宗家―――)

 小さく舌を鳴らした。
 少年の心に、杭の様にそのことは引っかかり続ける。
 ネジの呼吸が落ち着き、一定のリズムを刻みだす。




 その1時間後、闇の中で少女の瞳がゆっくりと開いた。




 音をさせずに起き上がり、ネジの元へ歩く。
 完璧に気配は消してある。
 普段のヒナタとしてでない顔、日向ヒノトと共通する顔でネジを見た。
 感情の抜け落ちたそれに、ふと感情が宿る。


「………ネジ…………兄さん……」


 優しく

 優しく

 少しだけ泣きそうな顔で呟いた。

「ありがとう」

 小さく呟くと、そのままきびすを返す。
 その顔に、既に表情はない。
 全ての感情が抜け落ちた顔。
 元が整った顔立ちだけに、それはまるで人形の様。



 次の朝―――ネジが目を開いたときには、もうヒナタの姿はなかった。













 






2005年2月20日