『ひづ』 いつも来る場所に先客があった。 長い砂色の髪を背に流した女。 柔らかなシフォンスカートと一緒に、ふわふわと風に揺れて翻る。 ふんわりとした、穏やかな空気とは裏腹に、その後姿は凛としていた。 「…誰ー?」 見覚えのない姿に、いのは眉を寄せる。 独り言にも近い小さなその声に、後姿は反応して、ゆっくりと振り返った。 「…!」 いのははっとして、息を呑んだ。 あまりにも、想像しなかった人物。 確かにその髪の色は彼女がまとうものだけど。それでも。 まるで、気がつかなかった。 服装が違うから、髪型が違うから…それを抜きにしても、普段の彼女とはあまりにも違うように見えたから。 ふわりと、風の舞う中で微笑む彼女の空気は柔らかで、とても温かくて、なんだかとても自然で…。 普段のどこか近寄りがたい空気はどこにもなくて、ただただ穏やかな眼差しがそこにあった。 砂の上忍。 幼馴染の好きな人。 つい最近一緒に合同任務をしたばかりの人。 立ち尽くしたいのに、テマリはゆるやかに口を開いた。 「………あいつから、伝言だ。"ありがとう、いののおかげで楽しかった"」 「え…?」 「…私からも、礼を言いたい。…ありがとう。あいつを支えてくれて。あいつを助けてくれて、あいつと話してくれて…本当に、ありがとう」 そう、頭をテマリが下げて、いのは、気付いた。 いつもの声の気配。 それを、まるで感じなかった。 温かく自分を迎え入れてくれた緑の世界は、どこか、空虚。 大樹はそこにあるけど、本当にただ、そこにあるだけ。 声は、聞こえない。 さざめくような笑い声も、聞こえない。 「………あの人は、いってしまったんですかー」 テマリが言うのは"彼"の事だと、何故か、分かった。 だから。 ほんの少し、泣きそうになる。 おかしな話だけど。 本当におかしなことだけれど、山中いのにとって姿も見えず得体も知れない"彼"は、大切な親友だったから。 「ああ。もう、ずっと昔に、な…」 そう言うテマリの顔はあまりにも寂しそうなもので。 "彼"は、きっと、テマリと仲が良かったのだろう。 山中いのなんかよりも、ずっと、ずっと、そうだったのだろう。 「…聞いても、いいかしらー?」 「ああ」 「…あの人の、ことー」 「………」 戸惑いがちないのの言葉に、テマリは少し考え込むように瞳を伏せる。 もし、話せないことだったら、別に構わないと、そう、付け加えようかといのが思った頃、テマリはゆるりと視線を上げる。 彼女が見上げた先には何もなかったけれど。 彼女の晴れた表情をそのまま映したかのように、鮮やかな空が広がっていて。 「あいつの名前は…火津―――。うずまき、火津―――」 彼女は、そう言って笑った。 それから先何が変わったのか、と言われれば、たぶん何も変わらないのだろう。 火影はいつものように、有能で敏腕で…それでいて怠け者の面倒くさがりだったし、火津は相変わらずその傍に控えていた。 テマリは自由気ままに任務をこなし、時折木の葉に姿を現す。 礼花の面々は相変わらず火影に振り回され、理不尽で悪質な悪戯に付き合わされる。 ただ、少しだけ変化を述べるなら…。 うずまきナルトに執着していた者達が、火影室にその件について通わなくなったという事。 彼らの行動を知る者たちは、ようやっと諦めたのか、全く愚かな奴らだと笑ったが、彼らがそれに反論する事はなかった。 ただ、静かに、悲しそうに笑うだけ。 それから、"うずまきナルト"の噂は人の口の端から消えて。 長い、長い時が経って。 ビーズが、鳴った。 惹かれるようにして砂色の髪を持つ少年は"それ"を見つける。 どこまでも陰のない真っ白な瞳に写る、刀が2本。 風が吹いて、鍔についた飾り紐とビーズが澄んだ音をたてた。 「お前さ、持ち主いねーの?」 少年は刀に語りかける。 1人の声が森の中に吸い込まれて、答えはどこからも返らない。 けれど少年はゆるりと手を伸ばす。 どうしても抗いがたい、そんな不思議な感覚に導かれて。 小さな手が柄を握り締めると、ひどく温かな、満ち足りた何かが少年を通り抜けた。 馴染む感覚に、少年は惚れ惚れと刀を見つめる。 磨きぬかれたような刀身は少年の姿を映し出す。 「………俺さ、俺は火津。うずまき火津。火影のばあちゃんが付けた名前なんだって。んで、俺は明日から下忍になるんだ。まぁ、けっこー強い方なんだぜ?」 砂色の髪に、真っ白な色素のない瞳。 きらきらと輝く瞳は、本当に嬉しそうに刀を見つめる。 「…俺はさ、ずっと刀って欲しかったんだよな。したら、じーちゃんがここに行けって言ってさ、来たら、お前がいた。だから、俺が使ってもいいんだよな。お前を。お前も、その方が嬉しいよな? だからさ」 悪戯っ子のような表情で、少年は楽しそうに笑って。 ビーズの音が、涼やかに、鳴った。 それは幸せから生まれた…新しい、始まり。 |