憧れの人を見かけた。
砂の方と一緒にいるところ。
それは苦い痛みを伴ったけれど。
彼女は彼といると空気が少し違うから。
彼は彼女といるととても幸せそうに笑うから。
だから、これでいいんだ、って、自分に言い聞かせた。
「つ、つ、付き合って………る、のかなぁ…」
付き合って、の後の沈黙が長すぎたため、様々な事を一瞬で考えたシカマルは動揺のあまり、ぶはっ、と茶を吹いた。そんなシカマルにはまったく構わず、ヒナタはもじもじと手を組みつつ、ちらちらと里の方をうかがう。
そこにナルトとテマリの姿はないが、やはりどうしているのか気になって仕方がないのだろう。
あの後、2人は自販機で買ったジュース片手に小さな森の中にいた。
なんでもヒナタのよく来る場所だそうだ。
穴場、とでも言おうか。
「あ、ああ…そういう事」
げほげほと言いながらようやくシカマルは頷いた。
頷いた後で、気づく。
―――今、なんと?
「………ってぇっっ!? だっっ、誰と…誰がっっ!?!?!?!?」
思わずジュース缶を強く握り締めてしまい、お茶がぼたぼたと零れ落ちた。
しかしそんなことに構っちゃいられない。
普段のシカマルらしいのんびりマイペースなスタイルを、あっさりとつき崩すくらいには衝撃的発言だった。
「え…あ、て、てまりさん…と、ナルト君…」
と、振り向いて、シカマルの惨状にヒナタは気づく。
ぽかんと目も口も開けっぱなしの男は、己のひざ上にぼたぼたとこぼれるお茶を感じていないのか、呆然と、座り込んでいた。
「だ、大丈夫!?」
慌ててハンカチを取り出すヒナタに、我に返る。
「あ、わ、わりぃ…」
ありがたくハンカチを受け取り、お茶を拭く。
今頃になってその熱さを感じた。慌てて拭き取り、必死になって己の思考を落ちつける。
ヒナタの言葉は、あんまりにも衝撃的で、けれども確かにそう言われれば、と頷けるところもあったから、シカマルはしばし考え込んでしまう。
そう、例えば、先ほどのナルトの唐突かつ意味不明の行動。
シカマルとテマリが一緒にいて、ついつい嫉妬してしまったのだと考えれば無理もない。
シカマルは仕事内容の所為でテマリと共にいる事は多い為、昔の下忍仲間や、幼馴染達に冷やかされるのは日常茶飯事だ。それを一々訂正するのも面倒で仕方がなく、気がつけば最早定説となっているので訂正のしようもない。テマリは何も言わないが、むしろ今の状況を楽しんでいるようで、もっと正確に言えば、この状況を使ってシカマルをからかう事を楽しんでいるようだ。シカマル自身はもう訂正を諦め、テマリのからかいも受け流そうとする体制に入っている。もっとも、テマリの言葉は妙にシカマルの痛いところをついてきたりするので、中々無視は出来ないのだが…。
昔、そう言えばナルトに聞かれた事がある。それは確か、サスケ奪還任務も終わり、木の葉に居たテマリが砂に帰ろうとする頃だったか。
『シカマル、砂の姉ちゃんの事好きなんだってば?』
どこかで聞いた噂話を確かめにきたのだろうか、とその時は思った。
ナルトとテマリの間に接点と言えるものはほとんどなかったから、まさか彼らが好きあっているなどと想像もしない。
いや、ナルトとテマリが付き合っていると仮定したとして、それはいつからであろうか。
サスケ奪還任務の後、砂の協力者、として木の葉に逗留していたテマリ達砂の三姉弟。彼らの姿は様々なところで見受けられたし、テマリの見張り役はシカマルであったから、彼女がナルトと2人で会っていないのは証言出来る。
もっとも、ナルトの見舞いにテマリとシカマルが訪れた事はあったから、会ってはいるのだが、その時は2人とも特別な感情を持っていたようには思えなかった。
それは自分が鈍いだけなのかもしれないが。
第一、あの真っ直ぐでバカ正直なナルトが、下忍仲間やイルカやカカシにそれを報告しないのは不自然だ。
彼の事だからテマリと付き合っている事自体に、危険性がついて回っているのだと理解できるようには思えない。もっともテマリなら察しているだろうから、ナルトに口止めをする可能性もある。
「……確証がない事に、ぐだぐだ考えてもどうしよーもねーか…。ったくめんどくせー」
深々とため息をついたシカマルに、ヒナタはきょとんとして首を傾げた。
「俺としては全然分かんなかったわけだけど、なんで、ヒナタはそう思うわけ」
誰一人として口にしなかった、疑問にも持たなかった、うずまきナルトとテマリの関係。疑問を口に出し、けれどもすぐさま後悔する。ヒナタが、一瞬驚いたように目を見開いて、それからひどく柔らかく笑ったから。
知っている。その表情。
いつも俯いてばかりの日向ヒナタが、顔を上げて、真っ直ぐに前を見る瞬間。
翳ってばかりの白い瞳が、柔らかく細められる事。
口元にとても緩やかな笑みを刻む事。
「なっ、ナルト君、が…」
「が?」
「う、うんっ。す…すごく…嬉し、そう、だから。てっ、テマリさんが笑うと…ナルト君も、すごく、幸せそうだからっ」
だから、きっとうずまきナルトはテマリがとても好きで。
「て、テマリさんもっ……ナルト君と一緒だと、たっ、たまに、すごく、すごく、幸せそうに…笑うから」
だから、きっとテマリはうずまきナルトがとても好きで。
きっと2人は付き合っているのではないかと、日向ヒナタは考えた。
なるほど、と思いながらも、シカマルは苦々しい顔を崩さない。
「……と、なると、だ」
「えっ?」
「…テマリの奴…」
わざとだな。
そう、確信する。
テマリとシカマルが付き合っていると思われていれば、誰一人としてナルトとテマリの接点には気づかないだろう。一緒にいたとしても付き合っているとは思わないだろう。
おそらくは、それが目的で彼女はシカマルとの誤解を正さないのだ。
ため息をこらえて、シカマルは視線をヒナタに向ける。
きょとんとした顔で、シカマルを伺う少女。
「……それで、ヒナタはそれでいいわけ?」
「えっ?」
「…ナルトがテマリと付き合ってて、それで、いいわけ?」
言い筈ないだろう? そう思いながらも、シカマルは言葉を重ねた。
初め、シカマルの言葉を理解できずに、ぽかんとしていた少女の顔に、徐々に血が上り、やがて真っ赤に染まる。
「あっ、あの…っ…わた、わたし…………ぇえっ!」
動転した少女の言葉は意味を成さなくて、ほんの少し脱力しながら、シカマルは小さく笑った。
「あ、あ、あ、あの、あの…し、シカマル君……し、知って…るの?」
何を?、とは言わず、ヒナタは真っ赤な顔で、シカマルを見上げた。
何を今更、と思いながらも、相手がひどく必死な表情をしているもので、即答するのはためらわれた。
「あー………多分、ナルト以外は大体知ってる」
「ええっっ!?!! なっ、なんで…?」
「…なんでも何も…ヒナタ、顔に出すぎだし」
ナルトと顔を合わせる事も出来ない。そのくせいつもナルトの事ばかり見て、ナルトの事ばかり気にしている。ナルトと話せば真っ赤になって俯くし、ナルトと一緒にいればひどく幸せそうに笑う。
それで気づかないのなんて当人たるナルトくらいだ。
ナルトのあの鈍さはある意味才能だとシカマルは思う。
本気で驚いたのか、顔を真っ赤にして身を縮込ませる少女にもう一度笑った。
「あっ、あの…私…私ね…」
「おー」
「………なっ、ナルト君が…幸せそうだから…そっ、それでいいと思うの…」
悲しそうに、淋しそうに、けれども少女は笑ってみせる。
シカマルを安心させるように、自分を誤魔化してしまうように。
「ふーん…」
興味なさ気に空を仰いで、シカマルは小さく嘆息した。
この空の下、一緒にいるであろうテマリとナルトのことを思いながら。
思い知らされる瞬間がある。
日向ヒナタという少女がうずまきナルトを好きなのだということ。
その度に思い知る。
奈良シカマルという人間は日向ヒナタが好きなのだということ。
何度でも、思い知る
何度、でも
―――思い知らされる
2008年1月12日