ヒナタは目を瞑る。
広い畳の上、その上に広げられた布団の上、しっかりと正座して、静謐な空間で、瞳を閉じる。
耳から入る音は何もない。
ただ、ただ、静かな。
全ての生き物が息絶えてしまったかのような、恐ろしく静かな空間。
しばらくそうして、ふと、瞳を開く。
目に入ったのは、水の流れる様を描いた掛け軸。その後ろにある隠し扉は、ヒナタしか知らない。正確には、その隠し扉の開け方を誰も知らない。分かったのはヒナタだけだ。以前、遥か遠く未来の日向家を予知した際の、産物。
「取引、未来、今、判断、自由、行動」
単語を紡ぐ。
意味の繋がらない単語を、ただ、流す。
そして笑う。
壊れたおもちゃのように。
壊れたカセットテープのように。
ただ、ただ、笑う。
笑う。
薄っすらと、あまりにも冷たい表情で。
見るもの全てを凍らせてしまうような視線で。
「さぁ。始まりだ」
扉が開いた。
ヒナタしか開け方を知らない扉が。
ヒナタしか開けたことのない扉が。
現れたのは、黒い髪の、少年たち。
傷だらけで睨みつけるように、ヒナタを伺う。
「…よぉヒナタ」
「答えは?」
「…それは、分かっているのだろう。ヒナタ」
「…俺たちは、卒業までお前の行動を一切制限しない。監視をしない。…そして、俺達はお前に縛られない。随分と都合のいい取引じゃねぇか」
噛み付くように発せられた言葉に、ヒナタは瞳を伏せる。
自分にとっても、彼らにとっても、ひどく都合がいい。
「ええ。そして私は日向を出る」
「……俺達は、その責任を問われる筈だ」
「ええ。けれど、無効になる。全ては関係のない話になる。犬塚も油目も日向の力を失わない。貴方たちに損はない」
「…そんなの不可能だ」
「……だが、俺達は、それに、賭ける。…なぜなら、ヒナタ。………お前の予知能力を知っているからだ」
彼女の言葉が、真実になる様を見てきた。
天変地異の数々が、分刻みで言い当てられる様を見た。
人の死ぬ時間を言い当てられる様を見た。
彼女の予知の全てが、本当になる。
彼女の言葉こそが、未来だ。
「ええ。そうして下さい」
言葉と共に、彼らは扉の奥へ消える。
もう直ぐまた日向の者が彼らの元へ向かうだろう。
それまでに帰っていてもらわなければ、困る。
ネジに発見されると同時、すぐに巻きなおされた包帯に意識を向ける。
そのときのネジの心境を表すように、きつく、きつく巻かれた包帯。特に頬を纏う包帯は彼の性格のようにきっちりと巻かれ、止められていた。その留め金を外し、解く。
目を瞑る。
音を聞く。
静かな静かな空間で、ひどく遠い世界の小さな音を聞く。
床の軋む音。
人の話し声。
鳥の鳴き声。
風の吹く音。
葉のざわめき。
どこまでも、どこまでも感覚を広げる。
自分の存在を無にするように。
自分以外の存在を全て知覚するように、して。
捕らえる、求めていた声。
ぞくり、と、背が震えた。
包帯が揺れ、完全に解ける。
感情を置き忘れたような表情が、小さく眉を寄せる。開いた色素の薄い瞳は、眼前に何かあるかのように睨み付け、一つ、小さなため息を吐いた。
己の感情が、理解できない。
この胸の内にともる感情に、一体何と言う名前をつければよいのか。
その感情を拒むようにしてヒナタは瞳を閉じる。
固く、固く。
そして。
「ヒナタ様。開けてもよろしいでしょうか」
聞き慣れた従兄弟の声。
感情を抑えた声に、ヒナタは「はい」と答える。
小さな、小さな、か細い、日向の家が求める日向ヒナタの姿で。
誰もが知る、日向ヒナタの姿で。
2008年7月18日
ここいらはのろのろ進みますー。