廊下を歩いていると、丁度見舞いを許可した人間たちとすれ違った。
 見舞いを許可した事に大した意味はない。
 日向ヒナタの関係者はこれまで一度も家に通したことがなかったが、それはただ単に彼女が最高の予知姫であったから。
 日向ネジが立ち止まり頭を下げてくる。
 その後ろに、山中の娘と、気だるそうな少年と、金の髪を持つ少年。
 足を止めることはなく通り過ぎ、そういえば名前を聞いていなかったと思い出す。

 思い出しただけで足は止めなかった。
 どうせ後でネジなりヒナタなりに聞けばいい話。

 だが、視線を感じた気がして、ふと、足を止めた。

 少年が3人、少女が1人。
 そのうちの1人がこちら側を見ていた。
 不思議そうに。
 まっすぐな瞳。ただ、その瞳に恐れも戸惑いもなく、そういう瞳を久しぶりに見たと思う。

 その、瞳。

(…どこかで…)

 見たことがあるような気がした。
 少年はすぐに背を向け日向ヒアシはその些細な違和感を掴み損ねる。
 頭の隅をほんの少し過去の事に向け、すぐにそれを止めた。
 それは日向ヒアシにとってあまりにも無価値な事であったから。

 彼らに向かって背を向け、日向ヒアシは歩き始めた。


 それを見送った日向ネジは眉を潜める。
 日向ヒアシの後姿は嫌になるほど自分の父に似ている。
 当たり前だ。彼と父は一卵性の双子なのだから。
 ただ、父親の後姿は日向ヒアシの持つ独特の雰囲気とはあまりにも違う。
 日向ヒアシのように堂々とした空気も人を扱う事になれた傲慢な態度もなく、ただただ寂しそうな疲れたような、くたびれた後姿。

 その姿はどこか日向ヒナタに似ている。
 おどおどとした、気弱な瞳を思い出し、握り締めた拳に力が入る。

 そして、唐突に気付く。
 本当に、唐突に、先ほどまでのヒナタを思い出して。

 そう、彼女は一度もうずまきナルトの名を呼ばなかったのだと。






「いい、身分だなヒナタ。日向家当主にわざわざ足を運ばせるとは」

 開け放った障子はそのままに、日向ヒアシは冷たく言い放った。
 ヒナタはただ、頭を下げてそれに応える。
 父と娘はまともに向き合う事もなく、静かな空間で息を吐いた。

「具合は」
「…あ、だっ、大丈夫…です…」

 当たり障りのない言葉のやり取り。
 何が目的か、ヒナタは頭を下げたままにそれだけを思う。
 日向ヒアシはそれ以上口を開く事もなく、ただ異様な存在感を持って障子の隣に立っていた。決して、部屋に足を踏み入れはしない。

 ひどく重苦しい沈黙が続き、居心地の悪さにヒナタは佇まいを直した。
 時折痛む節々に気付かないフリをして、正座する。

 視線は合わせないまま、逸らされたまま、日向ヒアシは言う。

「予知は」

 あまりにも短く、そして冷たい言葉に、ヒナタは頭を下げたまま首を振る。

「そうか」

 失望の言葉。
 男が日向ヒナタに求めていた価値の殆どは失われた。
 それだけのことだった。
 それだけの、ことだった。
 
「結婚は前に言ったとおりだ。卒業後すぐ行う。いい予知姫を産むことだ」

 日向ヒナタという少女に残された価値。
 それは日向家当主の長子という肩書きでもなく、最高の予知姫であったという過去でもなく、ただの女としての機能。
 日向の先を見出す子を育む、その機能。
 ヒナタの反応を見ることもなく男はその部屋を後にした。
 もっとも、一度たりとも踏み込もうとはしなかったのだけども。






 そうして、日向ヒナタの生活は変わった。
 密やかに警護される事はなくなり、日向ヒナタに会いに来る人物はいなくなった。
 予知を求める人物などいない。恨み言さえ聞こえない。
 日向は完全にヒナタを放置する。
 その、放置状態を日向ヒナタはありがたく受け入れる。

 日向の広大な土地の一角に、家一軒入ってしまいそうな庭園がある。
 庭師の手入れが丁寧に入るその場所は、子供たちにとって格好の遊び場であり、秘密の場所。

 日向ヒナタはまたも部屋を抜け出してそこにいた。
 犬塚キバと油女シノの様子を見に行き、日向ヒナタ本来の姿を晒した後も、ここにいた。
 そして日向ネジは慌しく現れ、開口一番怒鳴った。
 その時のことを思い出し、軽く、笑う。

 砂利の上、はだしの足を置く。
 足裏に伝わる冷たい感触と砂利の感覚。
 体重を乗せると足裏に小さな痛みが走った。

 かつてこの砂利の上に小さな少女と小さな少年がいて、犬の子のように駆け回り、はしゃぎ、転び、まるで兄妹のように無邪気に戯れていた。
 それは、とても、とても、古い話。

 それは、まだ、宗家も分家も、しがらみも、何も知らない少年と少女の、幼い時代の話。



 少女は庭園で横になる。
 ちくちくと尖る砂利の体を押す痛みが、胸の奥にある痛みを誤魔化してくれる。
 ほんの少しの感傷。
 ほんの少しだけ、それに浸ってみる。

 起き上がるとぱらぱらと石粒が落ちた。
 はだしで一歩、二歩、三歩。

 ひんやりとした砂利から、木目のはっきりした床の上。
 そのまま少女は廊下を歩き始める。

 一度も立ち止まらずに。
 一度も振り向かずに。




 ―――ただ、歩き出した。

2009年1月12日
こっからは早いー。
上げるスピードが、ではなく、展開が(汗)