眩しいまでに照りつける太陽の光の中、うずまきナルトはフェンスの上に座っていた。
 校庭を見下ろすその表情は、何事にも興味のなさそうな、冷たいもの。
 太陽の光を受けて、その金糸の髪は尚輝く。空を切り取ったような青い瞳が空虚に足元を見ていた。
 あまりにも不安定で、バランスの悪い場所に座りながらも、ナルトはまるで気にしない。
 その光景に驚き、声をかけるような人間も、今はいない。
 もう既に授業の始まった校舎はシンと静まり返り、人の気配だけがあちらこちらに存在する。

 膝に力を入れて、フェンスに足を残したままぐるりと体を逆さまにする。だらりと伸ばした手が屋上のコンクリートに届いた。

 逆さまの視界に白い足が見えた。
 学校指定の革靴に包まれた足は小さく、靴下に包まれたふくらはぎは白く滑らか。
 視線を軽く上げれば見慣れた制服があった。近い距離の所為で顔までは見えない。

「何、してんの。うずまきナルト」

 言葉に、笑う。

 この声を待っていたのだと言えば、この人間は信じるだろうか。
 広々とした屋上にナルトの笑い声がちり、もう一つ、小さな笑い声が重なる。
 笑っている理由なんて、誰にも分からない。

「優等生の日向ヒナタさんは、こんな時間に何をしているんですかね。授業が始まっていますよ」
「体力馬鹿のうずまきナルトはこれ以上赤点を取ると卒業が危ういって聞いたことがあるけど、そんな人間が授業中に何をしているのかしら?」
「赤点を取る予定はないからな」
「自信過剰ね」

 ナルトはにやりと笑って、両手のひらをコンクリートの上にのせて、軽く肘を曲げる。足でフェンスを蹴って下半身を回し、危なげなく屋上の上へ着地する。
 ゆっくりと振り向けば、2週間以上も見なかった顔があった。
 白い面に浮かぶのはどこまでも冷たい微笑。あの赤い花はどこにもなく、なめらかな頬を黒髪が覆っていた。

「久しぶりだな日向ヒナタ」
「ええ。久しぶりね、うずまきナルト」

 誰もいない屋上で、2人は静かに向き合う。
 自然と笑うことを止めて、言葉を重ねることを止めて。
 うずまきナルトの瞳に写るのは、冷たい光をたたえた日向ヒナタの顔。
 日向ヒナタの瞳に写るのは、無感動な光をたたえたうずまきナルトの顔。
 互いの瞳に写る自分の姿は、いつもと同じようで、少しだけ違う。

 どこか緊張感の漂う空間で、ふと、ナルトは手を伸ばす。
 ヒナタの肩は小さく震えたが、魅入られてしまったかのように、動かない。

 日向家に行ったときは赤く染まっていたその頬へ、指先を触れようと、して…


      キーン コーン カーン コーン


 授業の終わりを告げる鐘がなった。

「………」
「……………………」
「……………………………………」
「……………………………………………………」

 予期せぬ出来事に、2人は目をまん丸にして、何度も瞬きを繰り返す。伸ばされた手はそのまま固まり、日向ヒナタの頬の直前で止まっていた。

 少女は中途半端に伸ばされた手のひらを見て―――ふと、笑う。

 それは、いつもの日向ヒナタが学校で見せる穏やかで頼りないものではなくて、かといって冷酷な微笑でもなくて、どこか不完全な、中途半端な微笑み。色素の薄い瞳を閉じれば、まるで今にも泣き出してしまいそうな、何故か、とても脆い、ガラスの様。

 うずまきナルトの伸ばされた手のひらに、日向ヒナタはゆっくりと手を重ね、頬へと引き寄せる。
 さらりと触れた髪と、重ねられた手のひらの温度に導かれるように、少年は少女の唇へと口付けた。
 触れた唇の柔らかさと温度に、瞳を閉じ肩を抱き寄せる。
 ただ唇と唇を重ね合わせるだけの行為。
 たった、それだけ。

 それだけの行為に、薄っすらと瞼を開き、少女はくすぐったそうに笑った。小刻みに揺れた吐息に、ナルトもまた瞼を押し上げる。
 自然と離れた相手との距離を縮めるようにして、ヒナタは力を抜いた。完全に体重をナルトへと預け、頬を胸板へと押し付ける。
 トクトクと規則正しい、けれど忙しない速さの心臓の音を聞きながら、ヒナタはゆっくりを唇を開いた。

「ねぇ、ナルト君」

 おどおどとした印象などまるで抱かせないはっきりとした声音で、穏やかに笑う内気な少女の呼び方をヒナタはした。
 それは、分かれていた2つの個体が1つに纏まったような、奇妙な感覚。

 何? とナルトはヒナタの耳の横で答える。
 耳元で響いた密やかな声に少女の体は一瞬震えた。

 吐息の全てを吐きつくすようにしたあと、少女は大きく息を吸った。
 それから。

「好きだよ」
「……………………………………はぁっっ!?」
「言ってなかったな、って思って」
「………っっ」

 すっきりした顔で、ヒナタは笑った。
 呆気にとられるナルトの胸を押して、体を離す。

「………噂は、嘘じゃなかったのかよ」
「嘘だよ」
「…意味わかんねー」
「嘘だって、私はずっとそう思っていたもの」

 嘘は嘘。人を好きになんてなっていないし、そんなのキバとシノが流した都合のいい作り話。けれど、噂は周囲の真実となったから嘘を演じて。ずっと嘘を演じて。
 それは嘘。
 それは嘘。
 それは嘘。
 そう、自分に言い聞かせて。

 そう、信じて。

 それも、嘘。

 嘘と本当の区別なんて、もう分からない。
 ただ、そう、うずまきナルトと日向ヒナタが始めて本当の姿で出会ったあの日に嘘はなかった。

「…俺は、お前なんか嫌いだ」

 そう、とヒナタは瞳を伏せる。

「自分勝手で傲慢で意味わかんなくて、マジでついていけねーし、大体大人しいいいとこのお嬢様だと思えば全然ちげーし」

 続けざまに、まるで自分のものではないかのようにつらつらと言葉が飛び出て、それにナルトは惑う。

 ただ淡々と過ぎていく色あせた世界で、強さだけが興味の対象で。
 一生そのまま過ぎていくのだと、そう、思っていた毎日。

 どこでそれは変わってしまったのか。

「っつーか、好きとか、なんだよ。マジで意味わかんねーし。俺の所為だろ? てめーが予知とかゆー力失くして、散々殴られて蹴られて、あーの神経質そーな親にもぶん殴られてよ、シノとかキバとかあいつらに散々恨まれて? それ全部俺の原因じゃねーか。それで、好き? はっ、てめーはマゾか? ふざけてんじゃねーよ」

 吐き捨てて、日向ヒナタの白い面を見た。
 いつも、白かった。
 白を越えて青ざめたような、それくらいに真白の肌。
 それが赤く染まるのも青く染まるも、面白いほどに鮮やかな花となる。
 色素が薄い瞳はどこまでもまっすぐ。
 何の不安も恐れもないような、まっすぐな瞳。

 気付いているだろうか。
 ヒナタのそれとは対照的に、ナルトの蒼い瞳は周囲をさ迷い、先ほどからまっすぐに少女を捉えようとしないのだと。
 "悪ガキ"のうずまきナルトでも、"本当"のうずまきナルトでも、日向ヒナタの知るどの姿とも違う表情をしている事。

 自分自身の感情を上手く整理できずに、また、感情を上手く言葉にあらわす事をできずに、結局苛立ちだけが先走る。




「―――…」




 ただ一人世界から切り離されたかのように、ぼんやりと川の流れを見据えていた少女。

 何故か、話しかけて。
 面白いと思って。
 挑発して。
 苛ついて。
 踏みにじって。
 つぶして。

 欲して。





 ―――何故?





 深い、深い、息を吐く。



 なんとなく空を仰いで、それに答えるようにして一陣の風が吹いた。
 程よく冷たい突風がナルトの、そしてヒナタの髪を乱していく。




「………お前さ、ほんと意味わかんねーよ」




 風に吹かれた言葉に、少女は軽く目を瞬かせて………笑った。




「そう簡単に分かったら、つまらないじゃない」




 ヒナタもまた空を見上げる。
 目に痛いほどの快晴。くっきりとした白い雲。真っ青なグラデーション。
 うずまきナルトはようやっと日向ヒナタをまっすぐに見つめる。驚きに歪む、蒼い空の瞳。

 ヒナタはまっすぐな瞳で見返して。
 
「それに」

 なんとなく、思う。
 きっと日向ヒナタとうずまきナルトはとてもよく似ている。

 同じように子供の頃から自分を偽って、偽った上で冷静に自分の立場を観察している。
 自分の生き方を変える気なんてさらさらなくて、負けることが嫌いで、頑固で、結局は自分のことしか考えていなくて。

 自分自身にすら、嘘をついて。

「教えてあげる。あんたの中の感情になんて名前がつくのか」
「………」

 惑う空の瞳が白い少女を写す。
 少女はもう偽らない。
 偽りのない姿で、偽りのないまっすぐな瞳で、じっと、うずまきナルトを映し出す。
 それはうずまきナルトとはなんと対照的な様。

「私はあんたを好き。あんたは私が好き。…言葉にしたら、簡単でしょう?」

 一瞬言葉が理解できなかったのか、ナルトは妙に可愛らしい表情できょとんとして、その様にヒナタはふきだした。

「………自意識かじょー」

 ヒナタの笑い声が響く中、毒気も悪意も抜かれてしまったような力のない声で、うずまきナルトは小さな悪態をつく。
 何を言い出すのだろう。
 一体何を言うのだろう。
 この目の前にいる白いお嬢様は。

 無茶苦茶だ。
 自意識過剰にも程がある。
 大体、そういうのは女が言う事じゃなくて男が言うものだ。

 ナルトは気付かない。
 自分が薄っすらと笑んでいることに。
 ひどく面白そうに笑っていることに。

「ったく」

 笑い続ける日向ヒナタの腕を引いて、引き寄せる。
 そのまま顔を寄せ、吐息が近づく。後ほんの少しで唇と唇が触れ合うという距離で、ヒナタの手のひらが邪魔をした。
 丁度互いの唇を遮るようにおかれた手のひらに、ナルトは低い声を漏らす。

「何?」
「答え、聞いてないよ?」
「…何の」
「好きか、嫌いか」
「嫌いだろ」
「じゃあ触らないでよ」
「…何で」
「何でも」

 言葉と同時にヒナタの手のひらがナルトの顎を押して、素早く身を翻す。
 あっさりとナルトの腕から逃れたヒナタは、くるりと背を向ける。
 ぽかんと立ち尽くすナルトには目もくれない。

「授業が始まるよ」

 さっきの授業はサボったくせに、そんなことを言って、ヒナタは忘れ去られた鞄を拾った。教室に行くよりも先にここまで来たので、ヒナタの出席は次の授業からだ。

 足を一歩踏み出そうとして、止まる。
 しっかりと腕をつかまれたから。
 振り返りはしないで、ヒナタは言う。

「答えは?」

 腕を握る手が小さく震えた。

 1、2、3…

 ヒナタは頭の中で、数を数える。
 
 4、5…

 10秒、待つ。
 それ以上は、待たない。
 というか、待ってなんかやらない。
 ずるいかな、と少し思う。
 答えは知っているけど、態度で彼は示してくれたけど。

 一言で良い。

 一言で良いから、態度じゃなくて、確固たる言葉が欲しい。

 大体、素直じゃないんだ。そう、ヒナタは思う。
 天邪鬼な生き方をしてきたから、仕方ないといえば仕方ないけど。

 8…

 意地っ張りうずまきナルト。
 意地っ張り日向ヒナタ。

 9…

「ああくそっっむかつく!!! 俺はあんたが好きで、あんたは俺が好き! それでいいんだろ! そーだよ、認めてやるよ! お前が好きだよ日向ヒナタ! ほんっと意味わかんねー事にな!」
「―――っっ」

 10

 もう一度引き寄せられて、乱暴に唇を合わせる。
 驚きに見開いたヒナタの目はゆるりと閉じて。時が凍ったかのように、そのまま。
 遠くで鳴り響く鐘の音は、もう、2人の耳には聞こえなかった。
2009年2月8日
素直になれたら色々苦労しないよね…とは思う。うん。