「署長。電話、鳴ってますけど」

 外と中とを繋ぐ階段で休憩中の部下の言葉に、男は嫌そうに顔をしかめた。
 見上げるほどの長身に、人工的に染めたと思われる黒い髪。既に40前だというのに若々しい…というよりは幼い表情をした男だった。
 男は恨めしそうに部下を見て、机の上に置きっぱなしだった携帯電話を取る。
 ついさっき仕事がひと段落して休憩に入ったばかりだったので、誰にも邪魔されずにゆったりしたかったのだ。勿論部下とてそれを知っている。

 仕方なく男は携帯の画面を開いて。
 固まった。

「………署長?」
「………………………………………ん? ああ、いや。ごめん」

 ゆるりと誤魔化すように笑って、男は携帯を耳に当てる。
 声は本当に小さく控え目。
 こんな対応をする上司は始めて見る、と猿飛アスマは物珍しくそれを見ていた。
 ただいま休憩中だったので、思いっきり煙草の煙を肺に吸い込む。吐き出す灰色の息にほっとした。最近は喫煙者に厳しい世の中なので、思いっきり煙草を吸える場所はとても貴重。そこそこ位が上なので表立って文句は言われないが、婦警とかにものすごい眼で見られる。家で全く吸わないで我慢に我慢を重ねているのだから、職場でくらい勘弁して欲しい。

「…うん。珍しいね。君がこんなところに」

 どこか優しげな声に、奥さんだろうかとか思って携帯灰皿に灰を落とす。
 そもそも奥さんがいただろうか。あんまり家庭の話を聞いたことがない気がする。というか、興味津々の婦警たちが色々噂をしているのは知っているが、興味がないアスマはほとんど聞き流していた。

「……………………………………はぁ!?!?!?」
「あっつぅっっ」

 ボトリ、と灰が手に落ちた。
 部下の悲劇も目に入っていない上司。全神経を耳に使い込んでいる。
 思わず非難の眼を向けてしまうのは、アスマにとって仕方のないことだろう。
 上司の突然の大声なんて全く聞きたくないものだ。全く心臓に悪い。
 アスマの非難なんてまるで知らない男は、苛立たしげに黒髪をかいて、片足でコンクリートをガンガンと叩く。

「や、ちょ、君何言ってんの!? っていうか、言っている意味分かってる?」

 アスマはあっけに取られて、上司の困惑を見守る。
 こんなに焦っているこの人を見たのは、初めてかもしれない。

「…そんなの無茶だよ!」

 悲鳴じみた声に、相手はどんな言葉を返したのか。
 苛立たしげな様子は変わらなくとも、少しだけ男は落ち着きを取り戻す。
 ここまで上司を感情的にさせる相手は、矢張り相当に近しい存在なのだろう。

「…まぁ、やってはみるけど…うん。約束は、できない」

 ぼそぼそと、呟く声には、どことなく苦渋が滲み出していて。
 それはまさしく苦虫を噛み潰したような顔。

「ああ。分かった。また、ね」

 電話を切ると同時に盛大なため息を上司はついた。
 短くなった煙草に気付いて、灰を落とす。

「聞いても構わないっすか?」
「あー…うん。何?」
「誰だったんですか?」
「あーうちの馬鹿息子」

 ああ子供がいたのか、とすんなり思った。
 まぁ、子供がいても全然おかしくはない年だろう。

「んで、何か問題でも?」
「大有りも大有り。あーーーーなんかすっげー厄介なことに巻き込まれてる気がするー」

 叫びながら頭を抱えた上司に、意味が分からないとアスマは新しい煙草に火をつけた。
 赤く灯った光にちらりと男は目を向けて、勝手にアスマの箱から一本煙草を抜き取る。見事な早業に呆気に取られているうちに、男はアスマの煙草の火と手に持つ煙草を押し付けた。

 勝手に煙草を奪って、勝手に火まで奪っていった男は悪びれる様子もなく、思いっきり息を吸い込んだ。

「……煙草、吸えたんですか」
「昔、ちょっとねー」

 煙草を吸うその仕草は確かに様になっていて、初めて吸う人間じゃこうはいかない。そもそも肺に上手く煙草の煙を届けられずに咳き込むのが落ちだ。

「はぁーーーー厄介だな…」
「…言っていいすか?」
「うん、何」
「…台詞の割には、結構楽しそうすよ」
「………………………………」

 見事に絶句して固まった上司の顔はなんとも見もので。

 アスマは煙草を吹かして笑いそうになるのを誤魔化した。












 ツーツーツーと電話の切れた音を聞きながら、ナルトは小さく笑う。
 満足げな、悪戯の成功した子供の笑顔。

「いいって?」

 少しだけ。ほんの少しだけ不安げな少女に向かって、頷く。

「ま、なんとかなるだろ」

 至って呑気な言葉。けれど、確かな信頼がそこにはあるようだったから、少女は静かに笑った。
 屋上の手すりに両腕を置いて、下を見下ろす。
 今は授業中ではなくて、極々当たり前の日の、放課後。
 屋上から見える運動場には沢山の生徒、部活生がひしめいていて、その中には、いのやサクラ、サスケの姿も見える。

 この場所で想いを伝えて、伝えられて、それからもう何日が経過しただろうか。
 昼休みと放課後はここに自然と来るようになってから、どれだけの時が過ぎただろうか。

「会ってみたいな」

 誰に、とは言わなかったけど、ナルトには通じたようだった。
 携帯を片手でもてあそびながら、軽く、頷く。

「そういえば、見舞いに来たとき花とケーキ買ってきたって?」
「は? …あーそういやそんなこともあったな。っつか、今頃かよ」
「仕方ないじゃない。昨日知ったんだもの。それ、捨てられたみたいよ」
「はぁ!?」

 昨日知ったという事実にも、捨てられたという話にも驚いたが、何より、あの時強制的にいのから徴収された結構な金はどうなる。
 多少場違いな怒りがわいて、ナルトは恨めしげにヒナタを睨みつける。
 それをものともせずに、ヒナタは肩をすくめた。

「ネジ兄さんから処理を頼まれた分家の女が全部捨てたみたいよ。ぐちゃぐちゃに踏みにじってね。ネジ兄さんが頭を抱えて謝りにきたわ」
「…んで、ネジのヤツが謝るんだよ」
「だって、日向における私のつがいはあの人で、分家の総監督に近い役割をしているのもあの人だから」
「分家とか身分とか、お前んち時代錯誤すぎ。マジで苛つく」
「予知姫が生まれ続ける以上、日向は変わらないよ。ずっとね」

 皮肉気にヒナタは笑い、もういいでしょう、とでも言うように話を打ち切った。
 彼女にとって家の話は決して愉快なものではなく、話していたところでなんの進展も得られない事を知っている。
 ナルトが知らない事もまだまだ沢山ある。その全てを教えるつもりもヒナタにはない。第一ナルトはそんなことを望みはしないだろう。
 古いしきたりに縛られる家の話など、今ここにいる2人にとって塵ほどにも意味のない事だった。

 きぃ、と編に扉を軋ませながら屋上の扉が開いて、なんとはなしに目がいく。
 分厚い扉の向こう側に立っていたのは至って見慣れた人間であった事に、ナルトとヒナタは少し瞠目した。

「ああ、ナルトにヒナタ、ここにいたのか」

 そう手を上げたのは、自分たちのクラスの担任。
 いつもながらに眠そうな半目で、屋上のてすりに体重をかける2人を見る。

 金色の短い髪を持つ、いかにもやんちゃそうな少年と。
 肩先までの黒髪の、いかにも深層のお嬢様といった空気の少女。

 2人の距離は、真ん中に丁度もう1人入れるくらい。
 けれど一応カカシは釘を刺した。
 なんせ、この2人が付き合い始めたのだという噂は彼の元にまで届いている。

「お前ら、異性交友はいいけど不純がつかないようにな」
「んだよー先生ってばそんな事言いに来たんだってば? よけーなお世話、だって!」
「用は別だって。君たち未だに卒業後の進路決まってないでしょ」

 そっちが本件、と眠たげな目を更に細める。
 手に持っていた真っ白なプリントをひらひらと振ってにんまりと、笑った。
 ぎくり、とナルトの肩が動く。
 ヒナタの視線は明らかに他の場所をさ迷って、おどおどと手を組み合わせる。

「えーせんせー、そんなん別に…」
「良くないでしょ?」
「うわまだ全部言ってないってば」
「…あ、あの、でも…わ、私はっ」
「日向のところはさ、まぁ複雑そうだけどさ、なんでもいいから書いてよ。やっぱこれって上のほうに提出しないといけないんだよね。そうなると白紙はダメでしょ?」

 かくり、と首をかしげたカカシに、追い詰められた2人組は大きな大きなため息をつく。
 ある意味、とてもよく似た2人組み。
 カカシは薄く開いた目を更に細くして、その様子を見守る。

 押し付けるようにプリントを2人にわたし、背を向ける。

「まぁ、卒業までは大人しくしててよ。その後は好きにしていいからさ」

 頼むから問題は起こしてくれるな、と、その背が言っていた。
 あまりにも教師らしくないその行動に、ナルトは呆れとも諦めともとれる苦笑をもらす。
 そのカカシの後姿を追って、ヒナタは笑った。

「厄介払いが出来て清々する、か」
「はぁ?」
「ううん。なんでもない。」

 密やかにヒナタは笑い、はたけカカシという、偶然にも3年間同じクラス担任だった男の残したプリントへと目を落とした。
2009年6月28日
実はこっそり矛盾を発見したので、こそこそ直してました(笑)
ままーあとづけってなぁにー?
それはねー、このサイトの長編全ての主成分よー。

というわけで、そろそろ終盤も近くなってきたかなーな日向とうずまきです。
密会場所は定番の屋上で(笑)vv
いつもお待たせして申し訳ありません。
たまにせっついて貰えると幸いです。頑張りますvv