「…ば。…キバ、ってば!!!!」
「おわっっ」
ガタン、と激しい音がして、キバは椅子ごと床に転がった。
呆れたような顔をしたいのの顔が逆さまに写る。気が付けば授業やらなんやら色々なものが終わっていたらしい。一体いつ無駄に長い担任のホームルームが終わったのだろうか。
既にいのとキバの他に生徒の姿は教室にない。元々キバは帰宅部で、大抵教室に残る人間で、それに部活のない日のいのやヒナタ、ナルトにシノやシカマルがだらだらと付き合うというパターンだった。勿論それは、ヒナタの部活が終わるのを待つための行動だったりも、して。
気が付けば、それが日常だった。
自分でなく、日向ヒナタの優先。
キバだけじゃなくて、シノもそう。
「ちょっとー無事ー?」
「あーおうよ。っつか、いきなり大声出すなよ」
「何度も呼んだわよー」
あからさまにむっとして、いのはキバの頭の横に座り込む。
その角度だとキバからは結構やばかったりするが、彼女は短パン着用者であり、それをキバも知っている。
ぼんやりと、さらさらと流れる淡い金色の髪を眺めていたら、いの指がすぅ、っと伸びてデコピンをかました。
「って。なんだよさっきから」
「あんたの方こそなんなのよー。失恋したからってねーそう何日も暗くなんないでよねー」
「は?」
言われた言葉の意味が分からなくて、呆ける。
失恋とはなんだ。
そう考えていると、いのが思考を読んだようなタイミングで。
「あんたがー…ヒナタが好きなことくらいみーんな知ってるんだからねー」
ああなるほどーって。
脳のど真ん中まで届いた筈なのに理解が出来ずに反射だけでそう思って。
その意味にようやっと気がついて。
笑った。
「ちょ、何よー。頭大丈夫あんた? そんなにショックだったわけー? 元気出しなさいよー」
何故か突然くつくつと笑い始めたキバに、いのは慌てる。あまりのショックに頭がおかしくなったんじゃないだろうか。
真剣にそう思ってしまう。
それくらい、犬塚キバは日向ヒナタに執着していたから。
…それが愛情であったのか、と問われれば、犬塚キバは決して頷けない。
見当違いな慰めに、キバは身を起こしてただ笑った。
日向ヒナタとうずまきナルトが付き合い始めたのは、ヒナタが学校に戻ってすぐのことだった。知ったのは、多分結構遅めで、それは犬塚キバが日向ヒナタが好きという理由の所為だろう。噂を知った時、キバは驚愕も動揺もしなかったが、一応振られた人間らしく落ち込む演技位はした。
ただ、はっきり言って、家のこととか、日向ヒナタの意図とか、日向家のこととか、これからの事とか、ひどく、気になることばかりで…ナルトとヒナタが付き合い始めたとか、どうだっていいし、あのナルトとあのヒナタなら、そうなるかもしれない、という予想はあった。
好きあっているのかどうか、という点ではよく分からないが、なんとなく誰よりも近い2人だという感じはした。
とても似ているんじゃないか、と思った。
自分では理解出来得ない存在であると思った。
だから別に、なんのショックも感慨も起こりえない。
それに。
第一、犬塚キバは。
「なぁ、いの」
「な、何よー」
急に真面目になった声に、いのはドキリと身を竦ませる。
いっつも落ち着きなくさ迷う瞳がいのを見つめているから、柄にもなく緊張して。
「俺と付き合おーぜ」
多分ずっと前から言いたかった言葉を、犬塚キバは口にしていた。
いつも絶対に言えないと思っていた言葉のはずなのに、驚くほどにすんなりと出た。
さぁどうだ、と答えを待つ。
今度呆気に取られているのはいのの方だ。
「あ、あ、あんた、さいてーっっ。何よ、ヒナタがダメだったからってそんな」
「ちげーよ」
いのの言葉半ばに断ち切る。
本当は、言うつもりなんてなかった。
きっと言わないままに高校を卒業して、家が選んだ相手と結婚するんだろうって、時代錯誤的なことを当たり前に思っていた。
日向家も、それに連なる犬塚も油女も、本当にどこまでもどこまでも時代錯誤で…。
けれど予知という力を守るためにはそうでなくてはいけなかった。
「勘違いするなよ。俺が好きな女はずっと前から山中いのだって」
「……っ! そんな、わけー…」
「ヒナタは、幼馴染だ」
幼馴染で、それから、守らなければならなかった人。
自分を守るために、守らなければならなかった人。
…誰もヒナタに手を出せないように、シノと2人話し合って、噂とか流して、好きな振りして。
本当は、好きでもなんでもなくて。
―――恨みさえ、憎しみさえした、嫌悪の対象。
「なぁ、いの」
「なっ、何よー」
「マジでさ、俺好きだから。お前知らないだろ、俺が今まで散々我慢してた事とかさ、諦めてたしな」
「…なんで、じゃあ、今そんなこと言うのよー」
「さーな。なんか言いたくなったんだよ」
「何よ、それー…。ずるいじゃないのよー。私だって、ずっと、ずっと好きだったんだからねーっ! あんたが、いつもヒナタの事ばかり見てるからっ、だからー、諦めたんだから、諦めてたんだからー」
ポロリと、大粒の涙がいのからこぼれたとき、殆んど何も考えないでキバは動いていた。
へたり込むいのを腕の中に抱きこんで、その髪に顔を埋める。
香水でもシャンプーでもなくて、いの自身の柔らかい香りがした。甘く、痺れるような。
真っ白になった頭の中で、バクバクと煩い心臓の音だけが鳴り響いて。
今はただ、その香りに酔いしれた。
「タイミングが、悪かったかな」
「みてーだな」
自分のクラスの教室の前、廊下で座り込んで話す生徒が2人。自分たちの教室を眺めながら、他のクラスのガラス窓の下に背をもたれて、一方は体育座り、一方は胡坐座りで。それぞれが、学校の人間が知る表情とはまるで違う顔。
ついさっきまで教室の中を覗いて入るタイミングをうかがっていたら、完璧にそれが出来ない状況になってしまった。
廊下はシンと静まり返っているから、自然と2人の声も密やかになる。
勿論教室の中の2人にも気を使っている。
「ナルト君が、鞄忘れた所為で…」
「んだよ、お前だって教室出たとき気付かなかっただろ」
「…置いていくつもりなのかなぁって思って」
「はぁ?」
「だってまさか、携帯も財布も鞄に入れっぱなしなんて思わないもの」
鞄なんて教科書とプリントを入れるだけのもの。
ヒナタは昔いのと出かけた時に買ったバックに財布を入れているし、携帯はポケットの中だ。
だから、元々教科書のほとんどを学校に置いているナルトは鞄も置いてくるつもりなのだと、そう思った。男子のほとんどはポケットに財布と携帯の両方を突っ込んでる。
「普通、入れとくだろ?」
心底不思議そうに聞いたナルトにヒナタは小さく笑う。
道理で、キバやシカマルがナルトにメールやら電話やらしても不時着のことが多いわけだ。ヒナタは殆んど携帯を使わないから大して気にもしなかったが、緊急の時はさぞ不便な事だろう。
「携帯電話って、携帯しなきゃ意味ないよ」
「あーよく言われる。でも、面倒だろ」
きっぱり断言したナルトにヒナタは笑うしかない。
ヒナタも正直面倒だから携帯はあまり使わない。メールを返すのも打つのもひどく億劫。恥ずかしがり屋で引っ込み思案で女の子らしい内容を考えるのはとても面倒。使うとしたら写真や音楽鑑賞。
ナルトもヒナタと同じように、バカ元気で悪戯好きで無駄に明るい人間のうつメール内容を考えるのが面倒なのだろう。
それに、文章は思わぬ本音が出たりするから。
「…何をしている」
落とされた低い声に、2人は声の主を見上げて笑う。
声の主、シノの見慣れない、感情を読ませない冷めた笑い方で。
シノの存在には気が付いていたから、2人はわざわざ演技をしようとは思わなかった。
その切り替えが嫌になるほど2人とも上手いので、シノはそれに戸惑うしかない。
「ナルト君が鞄忘れたって」
「まー若気の至り?」
「意味分かんないし」
「あ、ヒナタ、俺の携帯鳴らせよ。したらあいつらびびるだろ」
「嫌われるよ」
「今更だろ」
小さめの声でぼそぼそと話す2人にシノは首を傾げながらも、元々用のあった教室の扉を開ける。
「あーあ」
「あーあ」
全く残念そうでない声でナルトとヒナタの非難。
扉を開けたシノは意味が分からないままに教室の中に入ってしまっていて、しっかりと視線を送ってしまっていて。
それで、うっかり、見てしまう。
抱きしめあっている2人の姿。
しかも、その片方は泣いていて。
「…………………………………じゃ、まを、したな。すまない」
「うわーーーっっ! ちょ、ちょっと待てシノ」
「ち、違うのよーシノっ。ち、違わないんだけどーでも、ええとあの」
静かに扉を閉めたシノに動転の極みの2人組が慌ててそれを追いかける。
多分本人たちも何を言っているのか分かっていないだろう。
そうすると当然廊下に飛び出た2人と、廊下に座り込む2人の視線がバチリと合う。
その時にはもう、ナルトは悪戯っぽい顔を浮かべていて、ヒナタは穏やかで気弱な顔を浮かべていて。
「キバやっるぅ!!」
「い、いのちゃん…良かったね…っ!」
動転とか、驚愕とか、色んなものを通り越して、キバといのは完全に固まった。
その間にシノはそそくさと教室に入り、図書館に返す本を自分の机から取り出した。今日が返却期限だったことを委員会の後で思い出したから取りに来たのだ。まさか、こんな場面を見る事になろうとは思うわけがない。
「…俺はこれで」
ぼそり呟いて、密やかにシノは去る。
その見事な逃げっぷりにナルトとヒナタは密かに感心した。
本当ならさっさと鞄を取って逃げたいところだが、彼らの場合、彼ら自身の作り上げた性格がそれを許さない。キバだけならまだしも、ここにはいのがいるのだから。
「なに固まってるんだってばよ! へへーやったじゃんキバ!」
ナルトはバンバンとキバの背を叩きながら快活に笑う。
「ナルト…っ、お前ら…一体どこからっっ」
「…あっ、あの、ごめんね…聞く気はなかったのっ。でっ、でも、入れなくて…」
「いやーキバっていのの事が好きだったんだな! 俺ってば全然知らなかったってばよー」
白々しいながらも、彼らの本当を知らなければ全く違和感のない演技にキバは青ざめる。
「いっ、いのちゃん…?」
泣いた後がまだはっきりと残る赤い眼がびくりと震えて、ようやっといのは我に返った。
ぷるぷると震えて、顔が真っ赤に染まる。
普段どちらかというと大人びた容姿で、それでいてさばさばとした彼女には中々見られない可愛らしい表情だった。というより、始めて見ると言ってもいい。
「なっ、なっ、何で2人ともこんなところにいるのよーーーっっ!」
「あーそうそう。鞄忘れて取りに来たんだってば!」
「あっ、あの、もう邪魔しないから…」
「っていうか、だから、お前らいつから居たんだよ!」
「えー? っつかほんっとうに聞きたいか? キバ」
恥ずかしいやら照れくさいやら腹立たしいやらですっかり動転しているキバだったが、演技時のナルトが滅多にしない真顔になったことで、我に返る。というか、少しだけ冷静になる。
目の前に居るうずまきナルトは、本当はこんな馬鹿げた行動なんてしそうにない、かなりムカつくヤツで。
「いや、遠慮、しとくわ…」
キバは一瞬の判断で迷わずに引いた。ほとんど本能だ。
「そっ、それじゃあもう行くねっ。…はい、ナルト君」
「おっ、サンキュー」
いつの間にやらヒナタは教室からナルトの鞄を取ってきていた。それを受け取って、ナルトはにかりと笑う。満面の笑顔に、恥ずかしそうに俯いて、ヒナタも控え目に微笑んだ。
前なら決して見られなかった光景。
けれど、前の方が素直に受け入れられたであろう光景。
微妙に歪んだキバの顔に、一瞬ナルトの冷たい視線が通り過ぎて。
「じゃあなキバ! いのと仲良くしろよー!」
「いのちゃん、キバ君、また明日…」
バイバイ、と2人は手を振って、唖然としたままのキバといのだけが残されたのだった。
2010年5月9日
番外編として出そうかどうかですっごい迷ってたんですが、結局色々修正or再構成しまくってこっちに落ち着きました。じみっちに進めていきますー。