その日、私たちは一つになった。






 ふ、と目が覚めた。
 目に入ったのは見知らぬ天井。

「どこ?」

 小さく言葉を発して、身を起こす。
 ずるり、と質素な掛け布団が落ちて、少し、目を見開いた。
 己の身体は何一つ身に着けていなかったから。
 残念ながら何も着ないで寝る習慣は、自分にはない。

 けれど、身体の節々に走る激痛と、身体中に咲いた赤い華に、昨日の出来事を思い出した。
 拘束された両手首には、くっきりと指の形が残り、赤をこえて青紫に近い色をしている。
 胸の周囲に散る小さな赤い華とは全く対照的に、腹部の中央には赤黒い紫のあざ。
 ふくらはぎもまた青紫か緑かの中途半端な色に染まっている。
 至るところが熱を持って、激痛を訴える。
 唇を舐めると、金臭い鉄の味。
 唾液がぴり、と痛みをもたらす。
 それでも身を起こし、立ち上がろうと力を入れれば、内太ももの辺りで赤黒くなった血が、固まって、パリパリとはがれた。
 それを冷めた目で眺めて、ざまぁみろ、と、唇がかたどった。
 さて、日向の姫が犯された事を知ったら、日向はどうするだろうか。

 日向の家は、特別な家だ。
 日向の女子は十数人に1人の確率で、特別な力を持つものが生まれる。
 その力、災害を予知し、人の生死を、未来を知る。
 よって、日向の予知姫とも呼ばれるその存在。
 彼女等は国に重宝され、それによって日向は栄える。
 それが、日向の繁栄の理由。
 古武術道日向流道場は、基本的に、他者に道場を開かない。
 あくまでもそこは、日向のもので、日向の予知姫を守るための人間を育成する、日向の護衛人の場所なのだ。

 そして、ヒナタもまた、日向の予知姫であった。
 それも、歴代のどの姫にも勝る、最高の能力をもつ予知姫。
 ささやかな凶事。
 大いなる災い。
 大人物に降りかかる災害。
 どの予知姫よりも正確に、細かく、秒刻みでヒナタは予知した。

 予知姫は一生清きままでなければならない。

 かつて、男と通じた予知姫がいた。
 不思議な事に、彼女はその次の日には予知の能力を失っていたという。

 だから、予知姫は男を知ってはいけない。
 日向最大の禁忌であり機密。
 そのため、必然的に予知姫の身を守る人間が必要になる。
 それらが、日向の道場なのだ。
 幼い頃より、ヒナタもそこで武道を学んだ。
 予知姫自身も強くありて、自身を守らなければならないから。
 そして、ヒナタは誰よりも強くなった。
 だが、それでも、だ。
 彼女が学校に通うため幾人かの護衛が付いた。

 一人は、日向傘下の家、油女の長子。
 一人は、日向傘下の家、犬塚の長子。

 彼らはヒナタと同じ年齢により、ヒナタと同じ学校、同じ教室で学ぶことを余儀なくされた。
 そして、またもう一人。
 幼きころより名前だけの婚約者と定められ、ヒナタを守るべく育て上げられた日向の子供。
 穏やかな従兄弟。

 たった一人の人間のために、3人の人間の自由を拘束した。

 ヒナタの面倒をみる油女シノ。
 ヒナタを好きな犬塚キバ。
 ヒナタを妹のように扱う日向ネジ。

 どれもこれも拘束された檻の中での演技。
 何故、何故誰も気づかないのであろうか?

 油女の態度はいつもおざなりだろう?
 犬塚の言葉はいつも薄っぺらいだろう?
 日向の視線はいつも違うところをさ迷うだろう?

 日向ヒナタは3人の人生を奪った。

 そして、高校を卒業すれば、進学も就職もすることなく、日向の家に閉じ込められるのだ。
 形ばかりの結婚で、形ばかりの夫を得て、形ばかりの妻になる。
 ただ、日向のために。

 …真っ平ごめんだ。

 最初から、最初から逃げる気だった。
 高校を卒業して、卒業旅行でも何でも理由をつけてここを出る。
 県をでて、いつかは国を出て違う世界で自由に生きる。
 油女と犬塚をまくことくらいは簡単だ。
 彼らは大人しく従順な予知姫しか知らない。
 そして、自分は予知姫なのだ。
 日向における、最高の力をもつ予知姫。
 他の予知姫に自分の行動を予知などできない。
 だが、自分は全てを予知できる。
 逃げようと思えば逃げれたのだ。
 ただ、逃げるための下準備が必要だっただけで。

 だが。

「卒業と同時に籍を入れる」

 父の言葉は突然だった。
 この言葉はむしろ予想内。

 けれど…

「逃げるな。逃げれば、少なくとも4人の人間が命を落とす」

 ―――息が、詰まった。

 何、だと?
 4人の人間、そう言ったか?
 その人間らの予想は、付く。

 油女の次期当主―――シノ君。
 犬塚の次期当主―――キバ君。
 日向分家次期代表―――ネジ兄さん。
 日向宗家後継姫―――ハナビ。

 日向ヒナタと言う人間にとって、ほんの少し、他より優先順位が高くつけられている存在。
 ここまで優秀な、日向にとって必要な筈の人間を、たかが一人の予知姫の為に自由を、命を奪うか。自分の娘までもその対象とするのか。


 なんて醜い。


 何よりも、彼らの命を奪いかねないだけの価値が、自分には、ない…のに。
 蒼白になった娘の顔を何の感慨もなく見てくる男は、日向だ。
 同じ、血を宿す。
 ぞくり、と鳥肌が立つ。
 産毛が逆立ち、手先が冷えていく。


 ―――おぞましい。


「もう行け。山中の娘と約束があるのだろう」

 正確には山中の娘と犬塚の長男と。
 男の言葉に、頷くしかなかった。



 約束の場所には、すでに2人が待っていた。
 犬塚が騒いで、山中が呼びかける。
 ほんの少しだけ手を上げて、おどおどと答えた。
 いつものように出来ているのか、自信はなかったが。

「いのちゃん、キバ君、ごめんなさい…用事が出来ちゃった…」

 申し訳なさそうに搾り出した自分の声に、2人が顔を見合わせて同時に首を振る。
 どうして回りは気づかないのだろう。この2人の息がこんなにもぴったりで、視線だけで意思を交わせる位に近しい存在であると。

「いいよー。ヒナター。何の用事なのか今度教えてねー」

 今聞かないのはいのの優しさ。
 きっと何かがおかしいと気づいていたはず。

「ヒナタ、一人か?シノとネジは?」
「ネジ兄さんと…一緒だから」
「そか、んじゃー大丈夫だな」

 彼はネジに問わないだろう。
 彼はあまりネジを好きではないし、これ以上日向に関わりたくないようだから。


 一人になったのはそうした理由だった。
 意味などない。
 ただ、1人になりたかった。
 思いがけない事にうずまきナルトがそこに現れた。

 いつもと全く違う空気を纏って、触れれば切れるような空気が、なんとなく心地よかった。
 だから、演技を纏う気にはなれなかった。
 負けず嫌いの男だと思った。
 冷たい空気を纏っていながら、強い業火を身に併せ持つ。

「俺の勝ち、だろ」

 むかついた。
 初めて、同年代の男に組み敷かれた。
 ふざけるな、と思う。
 幼いころより、こちらの意思など関係なく、ただ詰め込まれた技術。
 けれども死に物狂いで身に付いた力が、こんなにも簡単に、たかだか習い事で空手を習っているだけのような男に越されたのだ。

 むかつく。
 誰が負けだ。
 負けてなどいない。
 必死に抵抗する手足を、うずまきは難なく押さえつけた。

「襲うよ」

 うずまきの言葉に、目を見開く。
 思わず体から力が抜ける。
 今、今ここで自分が予知の力を失えば、どうなるだろうか?
 自分が望んだわけではない。
 自分よりも強い男がいて、無理やりに襲われたのだ。
 どうなる?

 どうなる?

 日向の予知姫が予知の能力を失くせば、それはただの役立たずではないか?
 予知姫は、何の役職にも付かない。
 ヒナタも日向の家を保つための仕組みを学んだことはない。
 予知姫は、予知さえ出来ればいいのだから。

 その、予知姫が…予知の力を失くす―――?

 もしかしたら自由になれないか?
 力を失くした予知姫など不要だ。
 だからといって日向に消されることはないだろう?
 それに―――。

「私は…負けてなどいない」

 気が付けば、そう言っていた。
 うずまきの顔が無表情のまま近づいて、唇を奪われた。
 元からはだけていた制服は剥がされ、素肌が地面の上を、じゃり、と滑った。


 知っていた?


 太陽に照らされた金糸の髪が好きなこと。
 男同士で騒ぐ時の無邪気な顔が好きなこと。

 これは、違う。

 別人、とも言えるかもしれない。
 冷たくて、けれども触れる体はどこまでも熱くて。
 今、私を抱く男は、確かに私が好きなうずまきナルトだ。





 気付いてしまえば、もう、堕ちるだけ―――。
2005年9月18日
不健全第2弾。
事後とヒナタの事情。