それは―――。










「イタチ兄さん?」

 2・3呼んでみて、けれどもその応えはない。
 今日は来ると言っていたはずだ。
 彼は、約束を破らない。だからきっと、任務が長引いてしまっているのだろう。
 残念、と一人ごちて、ヒナタは障子戸の前で座り込んだ。
 ここに、彼は来るはずだから。

「暇」

 と呟いて、一つため息をつく。
 だって暇なのだ。
 ぼんやりと中庭を眺めた。
 火影の結界に守られた何一つ変わらぬ光景。
 日差しが暖かに注ぎ込み、木々が穏やかに揺れる。

 さぁ―――と、突風が巻き起こり、思わず瞳を閉ざした。
 目を開けた瞬間、ふわり、と木の葉が落ちて、金色の絨毯に乗った。
 その様を綺麗だな、と眺めて気付く。


 ―――金色?


 中庭にあるまじき異色。 
 わずかに首を傾げ、注意を凝らせば、それが人の髪なのだと気付く。

「人?」

 このイタチと自分、それに火影にしか入れない筈の空間に?
 己の気配を全て消し、一瞬にしてヒナタは距離を詰めた。
 金色の髪の持ち主は気付かない距離。

 そろり、と様子を窺えば、どうやら髪の主は寝ている模様。
 想像よりもひどく幼い。
 ヒナタと同じくらいだろうか?
 金色の髪が眩しくて、かすかに目を細めた。
 自分と同じくらいの少年。
 かつてイタチに聞いた、アカデミーに通っているという少年だろう。

 そう、確か名を―――。


「うずまきナルト」


 呟くように言った瞬間、少年の瞳がぱちりと開いた。
 わずかにヒナタは驚いて、一瞬身を引くが、少年と目が合った瞬間にびくりと身を痙攣させて動きを止めた。
 少年の瞳は、深く深く鮮やかな空のような蒼の瞳をしていた。
 澄んだその光、に、吸い込まれるようにして、身動きが取れなくなった。



 嘲笑。

 理不尽。

 暴力。

 器。

 憎悪。

 狐。

 嫌悪。

 恐怖。

 畏怖。

 醜悪。




 真っ暗。
 深い深い闇の中に、吸い込まれるようにしてヒナタは堕ちた。
 まるで昔のように、情報に喰われた。




「狐の癖に…ねぇ」
「大体火影様も何であんな化け物庇うのかしら…」
「本当…。気持ち悪いったら…」
「早く死んでしまえばいいのに」




「うざいんだよ…気持ちわりぃ」
「あっち行けよ」
「近づくな」
「死ねよ。邪魔なんだよ」



 拒絶。

 拒絶。

 拒絶。



「すまない…ナルト」

 火影。




 真っ暗闇。

 何も、ない。

 ただの虚無。





 それ、なのに。




 ぽつん、と滲み出すようにして、光が落ちた。


「オレってば…オレってば絶対火影になるんだってばよー!!!!」


 ポツリ


「先代のどの火影をも超えてみせるっ!!!!」


 温かに温かに少しずつ光がどこからか湧き出して。


「じっちゃんには感謝してるってばよ!!!」


 暗闇の世界を染めてゆく。








 緩やかに緩やかに暗黒の世界を光満ちる世界へ―――。









 涙が、零れた。

 もっとも現実にそれが起こっているのか定かではないが。
 ただ、涙した―――と、ヒナタは感じた。



 なんて綺麗なのだろう。
 なんて壮大なものだろう。



 感じる。
 とてつもなく巨大で、人の意思など全く意にしない存在を。
 それはかつて木の葉を震撼させ、人々を恐怖に落としいれ、幾つもの命を奪った存在。
 とても恐ろしく、その存在を知覚する事すら恐怖する。

 そして、


 闇だ。


 それも、ただの1人きりの闇。
 人が最も恐れ、嫌がるのは誰もいない暗闇の中に延々と閉じ込められる事ではないだろうか?
 誰もいない、という孤独感。
 けれど何かいるのではないか、という不安。

 そして、何も見えないという恐怖。


 想像するだけで、身が冷えるだろう―――?


 背筋が凍るだろう?
 わけもなく泣きたくなるだろう?
 ただただ狂ったかのように叫びたくなるだろう?



 いつ、狂っても…壊れてしまっても可笑しくは、ない。



 なのに、だ。
 彼はいるのだ。
 こんな恐ろしい空間に。
 自分自身が光を放ちながら。

 ただの1人、さ迷いながら光を求める。








 彼は…

 なんて強いのだろう。











 そう・・・これは…




 彼女自身の涙ではない。















 ―――うずまきナルトの涙だ。

2005年5月7日