『みてろよ』


















 テマリは立っていた。
 ぼんやりと、けれどまっすぐに。
 なんの意識もなく、極々自然に気配を絶ち、忍の集団を見ていた。
 あまりにも無防備で、無警戒な、その様。
 けれど、まるで空気のように、森に木に馴染んで誰も気付かない。

「…連絡が、途絶えた」
「…全滅、ってことか」
「くそ。一体…どこの忍だ」
「ふざけやがって…」

 ざわめき、戸惑い、さ迷い、争う。
 これから始末する対象たちを、ぼんやりと瞳に写していた。

 テマリにとって物事はただただ遠く。
 もやに包まれたように視界は狭く。

 ―――それは、いつからだろう。

 浮かんだ考えは、すぐに埋没した。
 それは、考えてはならないことだから。

 何故考えてはならないのか。
 それも考えてはいけないこと。

 何も見ないで。
 何も考えないで。
 思考を停止させて。
 大事な記憶と大事でない記憶を区切って。

 だって。
 そう、しないと。


 そう、しないと。


 もう、立てない。



 瞼を閉ざす。

 包まれた暗闇に浮かぶ、明るい金色の光。

 それはとても温かで。
 とても優しくて。

 悪戯っ子の笑顔。
 そのくせ、優しい色を瞳に乗せる。

 触れた手の平は温かくて、幸せだった。
 ―――だった?

 何故、過去形なのだろう。

 考えては、いけない気がした。

「――−…」

 火津はいる。
 火影のすぐ傍に控えて、任務に行って、忙しそうに……。
 ―――話したのは、いつだっただろうか。

 つい最近だったような。
 遥か遠くだったような。

 どうして、こんなに記憶が曖昧なのだろうか。


 悲しそうに、哀しそうに。ひどく辛そうに、苦しそうに、それらをごたまぜにした曖昧で微妙な表情。
 それを見たのは、いつ?

「テマリ」

 声を掛けられて、テマリは綺麗に固まった。
 どれだけぼんやりしていても、気配を捕らえ損ねることなんてある筈ないのに。

 しかも、声の主は今の今まで考えていた人間のもので。
 目を見開いて凝視しているテマリに、火津は「何?」と不思議そうに問いかける。
 それはあんまりにも自然な動作で。

 どこかで警鐘が鳴る。

「あのさ、テマリ」

 まっすぐに、見つめてくる色素のない真っ白な瞳。
 ヒナタのそれとは全く別の種類の、瞳。
 いつもは感情を写すことなく、静かに凪いでいる白の瞳。

 けれど、その瞳はもう、まっすぐに。迷いなどないように。生き生きと輝いて。
 真っ白なはずの瞳に、透き通った蒼が重なって。

「ごめんな。俺ってば、ずるくて…情けなくて、すっげーアホで…。でも、もう、逃げねーってば。まっすぐ、自分の言葉は曲げねぇ。なんで、忘れてたんだろーな」

 そう、照れくさそうに火津は笑って。
 テマリに背を向けた。

「だから、テマリ。見てろよ? 俺が俺だってとこ。お前ももう逃げんなってば。じゃねーと、シカマルが可哀想だろ」

 俺が言うことじゃないけどな、と小さく呟いて、火津は当たり前のような顔で、自分たちの気配に全く気付かない忍たちの前へと歩き出した。

 立ち尽くす、テマリには構わずに。




「な、何者!」
「クソ、こんなところまで…っ」

 ひどく無防備な格好で、突如現れた真っ白な髪の男に、忍達は訝しげに眉を寄せる。一瞬で警戒を強め、それぞれの武器に手をかけた。ただ、火津の登場に仰天したのは、抜け忍たちだけではない。
 姿を消してチョウジの気配を探っていたシカマルといのだ。

「火津!?」
「ちょ、何やってるのー?」

 気配は消しながらも、小声ながらも、驚愕の声を隠せない。2人の声が聞こえた筈はないだろうが、火津はシカマルといのの潜む場所を向くと、小さく笑って見せた。
 それから自分の後ろを示して、顔の前で両手を合わせて頭を軽く下げる。

 火津らしからぬ動作に、その意味を一瞬理解できない。
 呆然と火津の指先を追いかける。

 その先に、敵中であるにも関わらず、気配も姿も隠さずに、無防備な状態で立ち尽くす少女の姿があった。

「―――テマリっっ」
「…テマリさんを頼む、ってことー?」

 すぐさまテマリの元へと移動したシカマルを、一瞬遅れていのが追う。

 それを見届けて、火津は忍の集団へと向き直った。
 突然現れて意味不明のジェスチャーを見せた白い髪の男は、どこまでもふざけているように見えて、その癖微塵も隙を感じなかった。

 だから、誰も動けず、誰も手を出せなかった。武器に手をかけ、チャクラを練り…そこまでだ。最初の一手を出す前に、肌で実力の違いを感じ取ってしまったから、動くに動けない。

 丁度そのときチョウジの気配がして、何の警戒もしていないような無防備さで、呑気な顔が木々の隙間から覗いた。
 火津はにっこりと、無邪気に笑って。
 どこからともなく引き抜いた刀の柄をくるりと回して、チョウジへと向けた。

 そのやたらと爽やかな笑顔に、チョウジは目を丸くする。
 もっとも、爽やかな癖して、かもし出す空気は物騒なもので。
 刀の柄を手の中でくるりと回して。
 チョウジから視線を外す。

 火津の目の前には、始末すべき対象。それをゆっくりと見渡して、今まで浮かべていたものとはまるで違う笑顔を浮かべる。
 人を挑発するような、不敵極まりないもの。

「俺ってば、今すっげー上機嫌なんだってば」

 唐突にそう言って、上機嫌だ、なんて言いながら、とんでもない殺気を放つ。
 全てを貪欲に飲み込んで、決して逃れは出来ないような、凶悪で、強烈な殺気。
 その殺気の大きさに、誰もが息を呑み、足が竦む。

 ただ、テマリだけが、呆然とその様を見ていた。
 その隣でシカマルといのは目を瞠るしかない。
 火津が本気を出したところなんて見たことがない。
 一度は本気で争ったチョウジですら、ここまで圧倒的な殺気は受けなかった。

 それに。 

「だからさ、一瞬で殺してあげるってば」

 あの口調も、あの表情も、まるで、"うずまきナルト"そのもの。
 あまりにもいつもと違う火津の様子に、一体何が起きたのかと、チョウジもいのもシカマルも、呆然とするしかできない。
 自分たちが接していた"火津"は、どこにいった?
 あれは、本当に自分たちが知る"火津"という人間なのか?
 かもし出す空気も、表情も、チャクラすらも…"火津"とは、違う。

 4人の強い視線に見つめられながら、火津の手の中でくるりと刀が回って。
 それはそれは鮮やかに、見事に、鮮血が弧を描いた。

 一瞬遅れて『ドッ』と何かが落ちてへしゃげる音。
 嫌な音に引き寄せられ、殆んどのものが一斉に視線を転じ、歪んだ表情で固まっている生首と目が合った。

「―――っっ!!!!!」
「ひっっ」

 刀がくるりと回る。
 癖なのだろう。
 くるり、くるりと手の中で回しながら、火津は次の犠牲者へと向かう。

 悪夢だった。
 悪夢のような、現実だった。

 くるり、くるりと刀が回る。
 刀についた血がくるりくるりとはじける。
 何度振るっても、何度血を浴びても、その刀にはほんの少しの刃こぼれもおこらなかった。
 人間の血を吸った刀なんて、すぐに限界が来るはずなのに、まるで新品のような輝きを決して失わなかった。

「後5人」

 火津は小さく呟く。
 気配を探って、突き止める。
 必死で逃げ惑う人間の急所を貫くか、首をはねる。
 全てを薙ぎ倒すような激しさで。
 乱暴に、けれど確実に息の根を止めて。

 向かってくる人間の動きを止めて、刀も術も何気なく交わして、それでいて確実に止めをさす。

「後2人」

 宣告と共に回る刀。
 火津は刀を左手に持ち替えて、そのまま振り向く。
 回転とともに火津を突き刺そうとしていた刀は空を切り、火津の刀は忍の首を取る。

 くるりと回して、右腕に持ち変える。

「あんたで最後」

 ぴたりと刀を突きつけた先に、捨て身で切りかかってきた忍。突然突き出された刀を避けることも叶わず、息を呑んだ。だが、目前まで迫った瞬間に刀の軌道が変わる。それと同時にひょいと突き出された火津の足に、忍は見事につまずいた。その先に鋭い刀がある。丁度首の先。

 自分の体重で、自分の勢いで、忍は首を失った。
 胴と頭とを切り離されて恨めしげに火津を睨む。ごろりと転がったそれを尻目に、火津は軽く印を組む。それは木の葉の暗部にとっては見覚えのあるもの。死骸を燃やしつくし、何事もなかったかのように処分する。

「任務終了、だってばよ」

 にこりと笑った火津は、どこまでもどこまでも他の3人が知る"火津"らしくはなくて。
 誰も、動けなかった。

 だから、くるりと火津が振り向いた時、警戒か、戸惑いか、身体を緊張させてしまう。
 表情が固まっているメンバーに、火津はどこか幼く目を瞬かせて、苦笑する。
 苦笑して、未だ焦点の定まらないテマリと目を合わせた。

「テマリ」

 呼びかけに、はっとして、テマリは火津を凝視する。
 その身体が小刻みに震えるのをシカマルは見る。だから少しだけ、テマリの傍に寄る。寄って、少しだけ、前に出る。
 火津は言葉を選びながら、ゆっくりと刻み付けるように、言葉を紡いだ。

「待ってるよ。俺は。ヒナタも待ってる。だからもう逃げるな」

 それだけ言って、火津は踵を返す。
 テマリの手が引き止めるように浮いて、そのまま止まった。
 その瞳には戸惑いが大きくて。何か言おうと何度も何度も口を開いて、そのたびに閉じていた。
 
「ちょ、ちょっと火津ー?!」
「任務は終わった。だから、帰るだろ?」
「そ、それは、そう、なんだけどーーー」
「じゃ、行くよ。悪いけど、俺さっさと帰りたいし」

 あっさり言って、火津はそのまま走り出す。
 誰もが説明を求めるような納得のいかない表情をしていたけど、走り出した火津はもう振り返ろうとはしなかった。














2008年5月5日