『まっすぐに』


















 『針のむしろ』という言葉がある。
 まるで針を植えたむしろに座らされているような、いたたまれない場所や気の休まる事のない境遇のたとえだ。

 そんなことを、チョウジは考える。
 針というかとげというかクナイというか、とにもかくにも全身をちくちくと突き刺されているよう。気が休まるどころじゃない。

 多分、その場にいる3人ともがそんな気持ち。

 見事に顔には出していないが、空気は恐ろしく重い。ただ息を吸うにも時間が必要だ。
 誰一人として、見事に喋らない。
 重く淀んだ空気は発言を拒む。

 ただ、それでも。
 チョウジはまだ、当事者ではなかった。

 後ろに一歩引いてその場の状況を客観的に判断できたから。

 もっともそれは、当事者であるないに関わらず、チョウジの性格もまた大きな要因だろう。

 当事者である場合、物事を側面からしか見れない。一方的な理解と一方的な事実。事実は決して一つじゃない。物事には幾つも幾つも側面があるものだ。
 秋道チョウジが望むのは、物事全ての全容。
 全ての側面からの理解。隠し事など何一つない、全てを晒しだした状況。

 別にありとあらゆる事が知りたいわけじゃない。
 ただ、自分を取り巻く環境の全てと、自分が興味を持ったことの全てくらい、把握していたいだけ。
 パズルの中央にぽっかりと空いたピースをあるべき形としてはめ込みたいだけ。

 けれども、火影と火津とテマリの3人には決して余人を入れようとはせぬ何かがあって、その何かは、彼らの謎と直結しているのだと、チョウジは思う。

 テマリと火津の後ろ姿を追いながら、チョウジはゆるりと口を開く。
 重苦しい空気を切り裂くように、腹筋に力を入れて、唇を湿す。

「うずまき、ナルト」

 前を行く2人の身体が、一瞬硬直した。
 振り返る2人組は、その一瞬の動揺を、見事に押し込めた。その代わり、感情という感情を押し込めた結果、見事なまでの無表情で、チョウジを見る。

 吹っかけた言葉の成果は上々。

「ねぇ、火津は知っているの? ナルトのこと」

 先程よりは、なめらかに口が動く。
 それでもまだ、いつもの調子には程遠い。

「何の話だ」
「ううん。ただ、火津はナルトに似ているなぁ、って思って」

 雰囲気は、違う。纏う空気は『うずまきナルト』よりも、どこか重い。暗い沈んだ表情、それか能面のような表情のない顔。顔立ちは矢張りどこまでも『うずまきナルト』とよく似ていた。けれども普段それを感じさせないのは『うずまきナルト』がどこまでも騒がしく、慌しく喧しく、明るかったから。
 その『うずまきナルト』とあまりにも違うくせに。
 どこまでも彼は『うずまきナルト』と似ている。

 一瞬八つ当たりでしかない苛立ちを覚え、顔をゆがめる。
 ただ、それに気付くものはいなかった。だから、チョウジは意識して息を細く長く吐き出す。そうして昂ぶった精神を押さえつける。

「ねぇ、テマリさんもそう思うでしょう?」

 少し、早口になった。
 
 前を行く2人はもうチョウジを見てはいない。
 ただ、何か、空気が、変わった。
 何が、どうとはいえない。
 ―――ただ、変わった。

「そう…でもない」

 一言残して、テマリは姿を消す。
 それを追うべきかどうか、火津は一瞬迷うそぶりをみせた。

「……」

 ―――ザッ。

 火津は足を止める。
 火津の動きに合わせてチョウジもまた足を止める。

「―――どうしたの? 火津」
「…本当に、お前が嫌いだよ。俺は」

 しみじみと、そのくせ吐き捨てるように火津はそう口にする。
 立ち込めるのは、重い空気ではない。気まずい空気ではない。
 紛れもない、殺気の塊。
 チョウジの方を振り返る火津の顔はいかにも嫌そうにゆがめられていて、うんざりとした真白に近い異形の眼差しがあった。
 真っ白い髪、真白い瞳。

「僕も、嫌いだよ。………たとえ、君が…」

 その先を言うべきかどうか迷うように、一瞬視線をさ迷わせ。
 訝しげに眉を潜めるのは火津。
 殺気の中に、ほんの一滴零れ落ちる、警戒の色。
 それに気付いた瞬間、チョウジの迷いは消えた。
 じわりと、冷たく、冷たく瞳をすがめ。

「―――君が、うずまきナルトの双子の兄弟だったとしても………ね」
 
 真白い、白眼とは違うそれが、驚愕に染まり―――。








 土が、不自然にえぐれていた。
 その土を隠すようにして、木の葉がひらひらと舞い落ちる。
 伸ばされた、一般に比べてふくよかな指に収まった。
 つまんだ木の葉から、はるか遠くへと視線を転じる。

 チョウジは、視野が広く、視力も良い方だ。
 それは常識内のことであるから、チョウジにはもうテマリの姿も火津の姿も見えない。

「封印式は、2つ」

 ぽつん、と呟く。

 考えていた事、思い起こしていた事。

 火津とナルト。
 ナルトとヒナタ。
 ヒナタとテマリ。
 テマリと火津。
 火津とヒナタ。

「うずまきナルトに施された封印式」

 そして、恐らくは。

「―――火津に施された封印式」

 2つの、対となる封印式。
 一方は心とチャクラを。
 一方は身体を。
 人間という器に閉じ込められた、強大な妖狐。

 たった一つの器では足りなかったのだろう。
 あまりに強大な九尾の力を閉じ込めるには一つでは足りず、結果もう1人が残りを引き受けた。血の繋がりがあればこそ、封印は完成した。

 1つのものを無理矢理2つに引き裂くなんて無茶、出来るはずがないのだ。
 だから、何かしら繋がりがなければならなかった。
 1つのものが2つになったわけではなくて、1つのままだと、そう、認識できる何か。

 それがたまたま濃い血の繋がりだった。

 何故"うずまきナルト"だったのか。
 その頃生まれた赤子は他にもいただろう。
 チョウジも、シカマルもいのも、キバもサスケも、その誰もが既に生まれていた。
 他にも幾らでもいただろう。
 
 "うずまきナルト"でなければいけなかった理由。
 たまたま、近い場所に"うずまきナルト"がいたのか。
 それとも、"うずまきナルト"でなければいけなかったのか。
 答えは後者だと、チョウジは既に確信した。
 ついさっき、予想は確信へとなり得た。





     ―――火津だ。





 パズルのピースが出揃う。
 九尾に関する封印は"火津"が何者であるのかをチョウジに理解させた。

 赤子は2人でなければならなかった。
 最も血の繋がりの濃い、一卵性の双子。
 ただの赤子はいても、双子は他にいなかった。
 
 "うずまきナルト"と"火津"

 似ているのは当たり前。
 雰囲気が違っても、纏う空気は違っても、その表情が違っても。
 その顔立ちそのものは全く同じものであっただろうから。

 ―――だから、自分たちは、"火津"に"うずまきナルト"を見る。
 顔立ちだけじゃない。
 ふとした瞬間に"火津"は"うずまきナルト"の空気をまとうから。
 "火津"の動きに"うずまきナルト"が重なるから。

 一卵性の双子というあまりにも濃い血の繋がりがそうさせていたのだと、分かった。

 薄く笑って、チョウジは木の葉を指から弾き飛ばした。











 火津は走っていた。
 ただただ早く、がむしゃらに、急きたてられるように。

 ―――否、急かされていた。

 冷たい瞳。
 観察者の眼差し。
 口元だけの、薄い、微笑み。

「―――っっ」

 目の前が、真っ白になる。
 足が急にもつれて突っ伏した。









   たとえきみが

   キミガ


   ………ウズマキナルトノフタゴノキョウダイダッタトシテモ


   キョウダイ、ダッタト、シテモ


   ダッタト、シテモ




 何もないがらんどうの部屋。


 切り取られた四角い空間。


 金色の飛び跳ねた髪と、透き通った蒼い瞳と、不敵に笑んだ唇、悪戯に輝く顔、一枚のシャツと半ズボン、赤い小さな手のひら、滑らかな肌に残された4代目火影の遺産、汚れていない膝小僧、小さな裸足の指先。


 それだけの世界。

 なんて、狭くて、なんて、和らいだ時間。



     増えるのは、幸福。


       広がるのは、希望。


         満ちるのは、時間。


           崩れるのは、世界。


             始まるのは、絶望。



 今どこにいるのか。
 自分が何をしていたのか。
 何もかも、分からなくなる。
 立っているのか座っているのか、もう、何も分からない。

 ぼんやりと開いた視界。

 そこに。


 ―――ある筈のない人の姿を見た。


 ギクリ、と火津の瞳が驚愕に染まり、腕に変な力が入る。
 いる筈のない人。

 凛と立つ、後姿。
 漆黒の艶やかな長い髪を、ただただ風に揺らして。
 火影としてではなく、1人の忍としての姿。

 その肩に沢山の物が圧し掛かっているのだと、火津は知っている。
 責任とか、期待とか、里とか、命とか…そんな、20にも満たない年の少女が背負うにはあまりにも重く、苦しいもの。
 けれども彼女は決してそれを投げ出さない。
 まっすぐに立って、その全てを受け止めて。

 その様は何て素晴らしい火影様なのだろう。
 その様は何て立派な忍の姿なのだろう。
 その様は何て神々しく人の目に映るのだろう。

 彼女は小さな小さな1人の人間でしかないのに。

 哀しい顔を知っている。
 辛いことを堪えて、無理をして笑うこと。
 時折何もかもを捨てて逃げたそうな顔をして、つまらなそうに外を眺めて。
 でも、思い出したかのように部屋を振り返る。
 部屋全体をゆっくりと見渡して、その最後に火津に向かって笑いかける。 
 まっすぐな、眼差しで。
 いつも、まっすぐに、毅然として立っていた。

 危うい土台の上で、今にも崩れ落ちそうな弱さを抱えながら。

 ただ、立っていた。

「………っっ」

 火津は立ち上がる。

 今どこにいるのか?
 自分が何をしていたのか?

 砂との合同任務。
 テマリを追う為。
 任務成功の為。
 これ以上火影に迷惑をかけない為。
 出来ることなら、今回の任務のメンバーとの関係を改善する為。

 ―――火津は、ここにいる。

「……俺今すっげー情けねー」

 我ながら馬鹿じゃないのか、と自嘲して、笑う。
 なんだか本当に情けなくて、馬鹿みたいで、格好悪かった。

 頭からまともに突っ込んだ所為で、額がひりひりと痛んだ。恐らくは軽いすり傷。口の中に入った土をまとめて吐き捨てる。

 立って、前を見る。
 それだけのことが、どうして難しいのだろう。
 とても難しいそれだけのことを、ヒナタは決して見失わないから。
 だからいつも、火津はヒナタに救われる。

 前を見て、今すべきこと。

 瞳を瞑ると、金色の髪が見えた。
 眩しく瞳を焼くような金色ではなくて、砂の大地のような、少し薄い金色の髪。
 4つに縛った髪と、どこか歪な笑顔。

 まっすぐに立っているつもりで。
 まっすぐに歩いているつもりで。

 まっすぐに、歪んでしまった、そんな、哀しい人。

「テマリ」

 火津の知るテマリはとてもまっすぐで、自分達よりずっと大人で、大きくて、すごく強くて。
 けれども、それは、支えるものがいてこその強さだったのだと、火津は知らなかった。
 火津だけではなく、ヒナタもそう。
 火津もヒナタも知らなかった。
 テマリという少女が強さの裏に、ガラスのように繊細で脆い弱さを抱えていたこと。

 まっすぐだったから、そのまま折れてしまった。
 折れて、そのまま少しずつ少しずつ壊れていってしまった。

 気付けなかったのは、火津もヒナタも一緒。
 気づいた時はもう完全に手遅れだった。
 どうすればいいのか分からなくて、テマリを原因から遠ざけることしか出来なくて。
 そんな一時しのぎがいつまでも通用する筈がないのに、それでもどうすればいいのか分からなくて、先延ばしにして、傷つけることを恐れて、ずるずると今まできてしまった。

 けれど、変わるときが来ているのかも知れない。

 ―――本当は、今までだってその時期だったのだと、思う。

 思うけど、まだ早いとか、そんな勝手なこと思ったし。


 ………テマリが、知らないところで変わっていくのが、嫌だった。


 彼女の変化がとても怖くて。
 いつ気付くのか。
 いつ彼女に話さなくてはならないのか。
 また、彼女の涙を見るのか。
 あの悲しみを、慟哭を、繰り返すのだろうか。

 そんなのもう2度と繰り返したくなんかなくて。
 テマリは何も変わらないように、そう、演じて、彼女の言葉に合わせて、細心の注意を払って。
 本当にそれでよかったのか、なんて心の声を必死で押し隠した。
 何度も何度ももたげた、心の声。

 最初の頃は、本当にテマリの為だと思っていたのだ。
 だから迷いはなかった。
 テマリがこれ以上傷つく必要なんてない。苦しむ必要なんてない。
 だから変わらなくていい。ずっとこのまま、変わらないまま。

 それは、彼女の為だけではないのだと、一体何がきっかけで自分はそれに気付いたのだろう。
 テマリの時間は止まったままで、自分の時間もまた、止まったまま。
 動けないままで、良かった。
 時間が止まったままで、良かった。

 誰よりも彼の死を拒んだのは自分だ。
 何度も何度も夢に見る。
 自分と同じ顔をした少年。
 彼は記憶の中にある姿のまま止まっていて、自分だけがその姿からかけ離れていく。
 自分達は同じ親を持ち、同じ日に、同じ時間に生まれ、同じ時に術を腹にかけられ、火影邸の一室で育てられた、唯一無二の双子であるのに。
 共に生まれ、共に育ち、共に歩むはずだったもう1人の自分はもう成長を止めてしまった。
 残された自分だけが時を刻む。
 それはなんて、残酷なのだろう。

 こんな成長止まってしまえばいいと思った。
 テマリが変わってしまったら、テマリに話さなければいけない日が来たら、自分もまた変わってしまう。
 これ以上変わるのが怖くて。

 変化はわずらわしくて。

 自分の為に、テマリの変化を拒んでいた。


 彼女の変化はもう始まっていたと言うのに。


 苦々しく顔をゆがめ、火津は土を蹴る。
 とりあえず、抜け忍の拠点を目指すべきであろう。
 そこにテマリはいるはずだから。
 チョウジもそこを目指しているはずだから。



 もう一つ、悔しかったことがある。

 それは、本当に子供みたいな感情で。
 本当に、本当に情けない感情で。

 テマリの変化が、自分やヒナタでない全く他の誰かによってもたらされようということ。

 理由もなく、自分達の絆は不変のもので、そこに入り込む隙間などどこにもないと思っていたのに。

「…シカマル、か」

 まさか、と思った。
 シカマルといる時、テマリはほんの少しだけ昔と同じ眼差しを見せていて、それに気づいた時、ヒナタも火津も柄にもなく動揺し、散々火影室を荒らしたことを覚えている。

 だって悔しかったから。
 奈良シカマルがいつのまにか自分達の中に入り込んで、あっさりとテマリの心の中に上がりこんできたこと。
 変化は望んでいなかったが、それでも変化は自分やヒナタがもたらすものだと思っていた。

 それなのに、奈良シカマルはいつの間にかテマリに変化を起こし、いつからか昔の彼女の表情を呼び覚ましていた。
 悔しくないはずがない。
 前者はともかく、後者は2人が切に望んでいたことだったから。

 一番近かった自分達に出来なかったことを、シカマルは意識せずにやってのけたのだ。
 悔しいに決まっている。
 悔しくて悔しくて、嫌がらせの1つも2つも3つもやりたくなるに決まっている。

 まぁ、時には嫌がらせの範疇も超えてしまっていたような気もするようなしないような…。
 ヒナタは、本当に、本当にテマリを慕っているから。まるで本当の姉妹のように仲がいいから。自分よりもっと激しい感情をシカマルに覚えていたとしても、何もおかしくない。

 つらつらと考えながらも走っていると、視界の先に目的地。
 思ったより進入は容易かった。
 見張りの1人もいないとはどういうことだろうか。
 なんにしろ任務としては簡単なものだ。
 他のメンバーの気配を探る。
 チョウジの気配はまだ遠い。
 その他のメンバーは揃っている。

 いい機会なのかもしれない。
 変わるために。
 逃げてきた事に向き合うために。

 テマリと向き合うためにも。
 決着をつけて、止まった時間を進めるためにも。
















2008年2月3日