『ひさしぶり』



















 木が、震えた。
 風の所為なんかではない。まるで木自身が動いたかのように、して。
 それは、おかしな状況だった。
 あまりにも、不自然で、異常な光景だった。
 最初の木が揺れたことに鼓動するように、周囲の木もまた震えだす。
 風はない。大地に根付く草花はそよとも動かない。
 それなのに、木は震え、枝をゆすり木の葉を散らし、実を落とす。

 そんな、異常な光景。

 異常で、歪で、それなのに何故か、気味悪さや不気味さをまるで感じさせない、本当に、異常な状態。







 ざわざわ。

 ざわざわ。


 森が歌うように。

 そして―――。







 ―――…来た。








 声なき声の、歓迎曲。







 迎えられたのは、3人の男女。

 喜びに、森はざわめく。
 葉をこすり合わせ、枝を震わせ、花を咲かせ、蕾を震わせ。

 そんな中で

「―――久しぶり」

 ヒナタが、口火をきった。

 その声に、ずっと俯いたままだったテマリが息を呑む。
 火津の匂いがする。
 うつむいた先、尖ったつま先から顔を上げる。導かれるように。
 …導かれて、視界が開けた。

 大樹がそこにあった。
 ずっと昔に封印された、もう誰も入らない土地の奥深くに根付く、その樹。
 歓迎の意を示すかのように、葉が、降り注ぐ。

 その、根元。
 刀が2本、刺さっていた。
 風が吹いて、鍔についた飾り紐とビーズが澄んだ音をたてた。

 その刀の持ち主を、3人は知っていた。

 テマリは息を呑んで、何度も口を開いて、閉じる。
 ぐらりと傾きかけた身体を、ヒナタと火津がとっさに支えた。
 それにすら、今のテマリは気づかない。
 視線はただ刀を見つめ、足りない呼吸を補うように、震える声帯を揺らし、掠れた声を絞り出した。

「ひ…づ…」

 声は誰にも届かずに、ただ、空気の中に散る。
 さざなみのように揺れ動く声は、何度も、何度もそうして空気に散った。

「ひ、づ……っっ」
 
 ごめん。
 ごめんね。

「…さみし…かったか…? すまない…ずっと来なかった」

 探していたんだ。
 そう、テマリは顔を覆う。

 長くて、明るくて、日に照らされると眩しい黄金の髪とか。
 空みたいに、空よりも、澄み切った鮮やかな蒼い瞳とか。
 悪戯っ子のように顔をくしゃくしゃにして、幼く笑う姿とか。

 探していた。
 いつも、いつも。

 いなくなってしまったことを、認められなくなって。

 胸の中に空いてしまった穴、それを埋める方法を知らなくて。

 息を、呑む。震えをかき消すように。気持ちを落ち着けるように。
 けれど、零れ落ちる涙を、テマリはぬぐおうとはしなかった。

 ―――泣くなって。

 声が、聞こえた気がした。
 高くて、喧しくて、でも、安心する。
 顔を上げたら、刀身に真っ赤な目になったテマリ自身の姿があった。

 情けない顔をして、ぼろぼろ涙をこぼす、忍びではない、ただの女の姿。

 もう昔とは違う。
 手足が伸びて、背が伸びて、体つきが変わって、髪が伸びて。
 何もかもが、火津といたころのテマリとは変わってしまった。

 それを目の前に突きつけられて、テマリは目を何度もこすって涙をぬぐう。
 できるだけ自然に、笑って、嗚咽を堪えながら語りかける。

「お前が…見たいって、言ったな…。一度くらい、女らしい格好しろって…」

 ワンピースと、高いヒール靴。
 化粧をして、爪に薄紅のマニキュアを塗って。
 忍としてじゃなくて、ただの女としての格好。

 いつか、と約束した。
 いつか、そんな格好が似合うような年になったら、火津に見せる、と。
 火津に見せて、それで、一緒に出かけよう。
 忍じゃない。
 ただの、恋人同士で。

 …そんな約束を、昔、した。

 子供の頃の、他愛のない小さな約束。
 他愛のないことを、ずっと、ずっと大事にしていた。

「何で、見せる前に逝くんだよ…」

 見せたい相手は、1人しかいないのに。
 もう約束は果たされない。
 嗚咽が漏れて、テマリは唇をかむ。 

 ―――悪い。でも、綺麗だよ。テマリ。

 また、声が聞こえた気がした。
 

 違う。


 声が、したのだ―――。

「っっ」

 息を呑んで、刀を見つめる。
 ちりん、とビーズが鳴った。

 ―――…風も、ないのに。

 違和感に気付くよりも早く、異変は起こる。
 淡い淡い光が、大樹からにじみ出るようにして、零れ始める。
 目を見張る者たちの前で、異変は更に進行して。
 光が、じわり、じわり、と収縮して、人の形を作り出す。
 眩しい光を纏う人の姿。
 輝かしい金色の髪、悪戯な光を放つ、澄んだ蒼い空の瞳、幼い輪郭は不敵に笑みを浮かべる。
 それはかつて、うずまきナルトと呼ばれた少年と同じ姿。

 呆然と立ちつくしたテマリの頬に、光をまとう少年の手が伸びて、そっと、涙をぬぐう。

『遅かったね、テマリ。会いたかったよ』
「…ひづ…なのか?」

 驚愕のまま立ち尽くすテマリに、少年が笑った。とても、穏やかに。テマリを見て、そしてその後ろの存在に視線を向ける。
 彼が知っている姿よりもずっと、ずっと成長した半身と友人。

 "うずまき火津"

 誰にも知られてはいけなかった、うずまきナルトの双子の兄。
 幼いうずまきナルトの世界の中心だった人。

 同じ姿で生まれながら、もうまるで違ってしまった。
 金色の髪、蒼い眼差し、幼い輪郭、細い手足、甲高い声。
 それは、うずまきナルトの失ったもの。

『テマリ…それから…ナルト、ヒナタ…』
「ひ…づ…?」

 呆然と、立ち尽くす、白い髪の青年。
 かつて呼ばれた名前を、かつて失った半身が呼ぶ。
 失ったはずの半身が、失ったはずの名前を呼ぶ。

『ナルトがさ。テマリ連れてきてくんないから、こんなに遅くなっちゃった。けど、さ。2人共でっかくなってるんだもん。嬉しかった』

 寂しそうに、けれども嬉しそうに、火津が笑う。
 ふんわりと、金色の髪が舞った。
 うずまきナルトとただ一つだけ違う、後ろで結んだ長い髪。

 3人を何度も何度も見比べて、そらから最後に、火津はヒナタに向かって笑いかけた。
 本当に、幸せそうに。

『ヒナタ…ありがとう』
「…ううん。ごめん」
『なんで、謝るの?』
「…遅くなったから。…私の、所為だから…」

 ヒナタだけが、彼のことを知っていた。
 テマリもナルトも彼がここにいたことを知らない。
 ナルト1人でも、テマリ1人でも、ヒナタ1人でも…彼は絶対に現れはしない。
 それが、彼との約束だった。そして、契約だった。

 だから、ヒナタは謝りたかった。
 現れる事のない火津と話すことは出来なかったけど、彼がずっと待っていたに違いないのは分かっていたから。
 ヒナタ1人でも、中々来る事が出来なかった。
 忙しさと…火津の夢を叶えられない自分に対する苛立ちと、申し訳なさ。
 心配なんてかけたくないのに、心配させてしまう報告しか出来ないもどかしさ。
 火津の前に立てば、現状がはっきりと見えてしまう。
 彼が、自分たちが望んだ世界でないと分かってしまう。

 知っているがゆえに、ヒナタは苦しんだ。
 前に、先代の火影である老人が言った言葉は正しい。
 何もかもを背負い込んで、抱え込んで、必死で歩いてきた。

 ずっと前を向いて、必死で歩いて、大事なものを間違えないように考えて。

 …本当に、大事だったから、テマリに何も出来なかった。
 …本当に、大事だったから、火津の前に立てなかった。
 …本当に、大事だったから、ナルトと向き合えなかった。

 その想いの強さゆえに、彼女は弱くなる。
 テマリを愛するがゆえに。
 火津を愛するがゆえに。
 ナルトを愛するがゆえに。


 ヒナタはずっと切望していた。

 夢を見ていた、と言ってもいい。

 3人揃って火津の前に立つ―――




     今、この瞬間を。










2008年8月30日
テマリと火津とヒナタと、ナルト。