『ゆめ』



















 揺らぐ真白な瞳に、火津ははっきりと首を振った。
 金色に輝く少年は、誇らしく、笑う。
 懺悔なんていらない、そう言うように。

『でも、約束を守っただろ』

 声変わり前の、幼い声。
 まっすぐに3人に届いて、胸を突く。

 ―――火影と、火影を支える補佐。

「…火津」

 3人の少年と少女が、かつて描いた夢。
 うずまきナルトが火影になって。
 うずまき火津と日向ヒナタがその補佐になる。
 3人で、この里を、国を支えて、守って、先代の火影である三代目の意思を告ぐ。

 幼い夢だった。
 途方もない夢物語だった。
 それでも、本気だった。

 けれど、その夢は叶えられなくなったから。
 だから、うずまきナルトはうずまき火津になった。
 日向ヒナタは火影になった。
 うずまき火津の夢を叶えるために。

「火津の…夢を叶えられた、かな…?」
『うん。それに、この前言ってくれたじゃん。"今度は3人でここに来る。過去を惜しむためじゃない。過去と決別するために"って』

 つい最近、火影になった少女が誓った言葉を、一字一句違わず繰り返して、少年は笑った。
 火影と、火津と、テマリではなくて。

 …ヒナタと、ナルトと、テマリとしての3人を、火津は求めていた。

『それに、ヒナタにはずっと感謝してたんだ。本当にずっと。…だって、ヒナタのおかげでここにまだ残って居られたから』

 火津の言葉に、眉を寄せるテマリとナルト。
 2人は、どうしてここに火津が現れるのか分からなかったから。その理由を知らないから。

「どういう…事だ?」
「…ヒナタ?」

 ヒナタはただ、目を伏せた。
 2人の視線から逃げるように。

 だから、金色の少年が言葉を紡ぐ。

『九尾を消した、あの時、俺は死んだ』
「っつ!」
「火津…!」

 はっきりとした死の肯定に、テマリとナルトは同時に声を上げる。
 その死を理解していても、認めてはいても、それでも。

『それは、いいんだ。あの時は、仕方なかったから。ナルトとヒナタ、テマリを守るためなら、俺は何でもする。後悔なんてしてない』
「ばか、やろう…こっちは後悔だらけだ」

 どうしてあの時。

 そう考えなかった時はない。
 夢の中ですら、火津は死んでいく。
 何回も何回も、どんな選択をしても、彼は死んでしまうのだ。
 自分たちを残して。
 何度も、何度も。

「ほんとに…馬鹿だよ」
『ゴメン』

 困ったように、穏やかに火津は笑った。
 本当に、穏やかで、穏やかで。
 世界に微塵も後悔がないように笑うから、それがあんまりにも…悲しい。

『あのとき、ヒナタは俺を九尾ごと消した。けれども、最後の最後でほんの一欠けらだけ、俺の魂を引き離せた』
「かけら…?」
『うん。禁術…だよね? ヒナタ』

 じぃ、っと微動だにせず火津の言葉を聞いていたヒナタは、ようやく顔を上げる。
 まっすぐに火津を見つめる。
 その左腕が右腕に添えられていることに、火津は気がついていた。
 今だけじゃない。
 火津が現れたその時から、ずっと、火影はその腕を押さえていた。
 自分のしたことを思い出すように。

「禁術の一つ…あの時、私は自分の右腕を媒介に火津の魂をとりこんだ。たった右腕分しかない、ひとかけらの火津の魂を」

 ヒナタは思い出す。
 火津が死ぬ、その瞬間を。
 動かない右腕とは対照的に左腕に力がこもり、震える。

 当時のヒナタはその行為が何をもたらすか、正確には知らなかった。その効果をはっきりと知る前に、九尾は封印を破ろうとしたから。

 それは、三代目と四代目の知る封印術・屍鬼封尽に少し似ている。
 死神と契約を交わし、魂を取り込む。
 右腕に宿った死神は火津の魂の一部を刈り取り、ヒナタの右腕に封印した。
 その代価に、ヒナタの右腕の機能は全て失われた。
 ヒナタの右腕分だけ、火津の魂を切り取ったのだと思ってもいい。

 肉体を失った魂はどこに行くのか、ヒナタは知らない。
 それでもそんな術を探し、求め、詳細の分からぬままに扱ったのは、ヒナタが最初から使うつもりだったもう一つの禁術のため。
 それこそが九尾を消し去るために準備してきた術であり、それを九尾に対して発動させる事だけが、その時の目標だった。

 あれは、徹底した破壊術。
 全てのチャクラと質量と魂を分解し塵と化し、それすらもこの世から消しつくす。
 対九尾用の術として開発し、研究を重ね、チャクラを貯め続けてきた。
 何もかもを消し去るその禁術は九尾の全てを破壊し…九尾の動きを抑えていた火津の全てを壊し、分解し、消そうと働いた。

 それを、ヒナタは拒んだ。
 右腕分の魂だけでも、火津をこの世に残すために。

 だからもうヒナタの右腕は動かない。
 肩先からの感覚はまるでなく、どれだけの力を込めようとも動く事のない肉の塊。それはただの飾りであり、重りだ。
 奇妙なことに、細胞が死活する事も腐り始める事もなく、ただ、右腕の時間だけが止まってしまったかのように動かなくなった。
 その事を知るのは、瀕死だった3人を治療した綱手と三代目火影だけだ。
 それが禁術の代価だと知ったとき、ヒナタは誰にもその事を知られない道を選んだ。

「何でそんな無茶…!」
「そんな…」

 憤る2人の声に、ヒナタは平然と、言葉を紡ぐ。

 何でもないことのように。
 何でもない筈がないのに。

「その魂を火津の刀に封印した」

 ヒナタの右腕をよく注意してチャクラを透かして見てみれば、本当に微細なチャクラが全体を覆っていた。あんまりにも普段どおりに動くから、そんなこと、誰も気がつかなかった。
 いや、ヒナタが決して気付かせようとはしなかったのだ。

『だから、俺はここにいられる』

 火津はそう、淡く微笑む。
 火津という存在は全て消えようとしていた。
 それは、火津という存在を構成する全て。
 肉体も、魂も、仲間に対する想いも、夢も、テマリへの気持ちも―――。
 何もかも消え去って、本当に、"火津"はどこにもいなくなるのだと…そう、理解してしまったら、どうしようもない恐怖が彼を襲った。
 確かに火津は表の世界に一度も存在しなかったけど、それとは違う。
 本当に、この世界のどこにもいなくなる。
 髪の毛の一本すら、魂の一部すら、何もかも失う。
 火津が手に入れた全ては失われて、完全に、消え失せる。
 それは、なんて、恐ろしい事なのだろう。

 選んだのは、火津自身。

 ヒナタの伸ばした手を見たとき、すがるように掴んだ。
 彼女が何を失うのかなんて何も考えなかった。
 ただ、怖くて、恐ろしくて、必死だった。

「消えて欲しくなかったの」

 ヒナタは笑う。
 どこまでも儚く、どこまでも柔らかく。

「皆には内緒だったけど、最初から準備はしてたんだよ」

 右腕には結界を発動させる術印を、その腕に巻かれた包帯には禁術のための術式を。
 最初から誰かを失うかもしれない覚悟だったから。最悪九尾を消滅させるその瞬間、そこに誰もいないとも限らなかったから。だから、詳細の分からない禁術であってもヒナタは構わなかった。結果さえ知っていたなら、それでよかった。

 幼かったヒナタにとって、4人の世界が全てだったから。
 誰が失われたとしても、彼女は同じ選択をした。
 
 大好きな2人にヒナタは笑う。
 どうして話してくれなかった、そう悲しむ彼らだから、ヒナタは笑う。

「ナルトも、テマリも、知っていたらそうしたでしょう」
「それは…っ」
「……まぁ、しただろうな」

 決まり悪く視線を逸らす2人。
 火影という役柄ゆえに多くのことを知っていたヒナタがそれをしただけ。
 自分以外の仲間にはして欲しくなかっただけ。

「…でも、相談くらいしてくれってば…なんか俺、すっげー情けないじゃん」
『ナルトが情けないのは前からじゃん。何を今更』
「なっ―――!! どこがだってば!」
『色々となー。ヒナタもそう思うだろ?』
「…まぁ、否定はしないかな」
「しろってば!」
『無理無理、絶対無理』
「ひっでー…っっ」

 愕然と顎を落とすナルトの肩をテマリが苦笑して叩く。
 かつてあった優しい時間。

 それは、あまりにも懐かしいもので、あまりにも、儚いものだった。

『俺さ、皆がどうなってるか、知ってたよ』

 不意に火津が落とした言葉に、一瞬、呆気に取られる。
 そう、ヒナタさえも、だ。

「…どう、して…? だって、今この瞬間まで封印が」
『多分、完璧じゃなかったんだよ』

 ヒナタの言葉を遮るように、火津は笑う。
 封印されて、中途半端に開放されて、知りたいことも、知りたくないことも、知ってしまった。

『封印されて、それから、意識がはっきりしたのがいつかなんて分かんないけど、寝起きみたいなぼやぼや状態でどっか、浮かんでた』
「……っつか、もうちょっと真面目に話せってば」
「緊張感がないな」

 素直なコメントだった。
 でも、と思い出す。
 ずっと昔は、火津がいなくなってしまう前は、そうだった、のだと。
 真面目な話をしようとしてもすぐに横道に逸れて、結局緊張感なんてどこにも無くなって、笑い転げて、そんな毎日だった。
 そんなこと、忘れてしまってたけれど。

『だってさ、俺知ってるって言ったじゃん? ヒナタが火影になったこと、ナルトが火津って名乗ってること、テマリが変に2人と距離取ってること。なんか、お前らホントがちがちしてさ、つまんねーって。結構悔しかったんだぜ? 何やってるんだーとか、お前らいい加減にしろよーとか、ずっと、思ってた』

 ナルトは火津になって、ナルトを殺した。
 ヒナタは火影になって、ナルトへの気持ちを殺した。
 テマリは風影を止めて、記憶を殺した。

 四角が三角に変わったら、お互い変にすれ違って、上手くいかなくなった。
 上手くいっていないのが分かっているのに、火津には何も出来なかった。
 どうにかしたくて、昔のようになって欲しくて…そう思っても、火津の声は3人には決して届かない。
 でも、今なら…ようやく、届くのだ。

『もうさ、いいんだよ。そーいうの、俺が全部持ってく。だからさ、ヒナタはナルトに好きだって言っていい。ナルトはヒナタに好きだって言っていい。ナルトが死んで本当に悲しんでる奴らには言ったっていいじゃん。俺は俺のことを知っているヤツが増えるなら嬉しいよ。俺がいたって事を知ってくれるってことだろ?』

 火津は笑う。
 本当に太陽のような、まぶしい、嘘のない笑顔で。
 それから息を吸いこんで、吐き出す。ゆっくりと、色々な感情を吐き出すようにして。

『テマリも、俺以外の男を好きになったっていいんだ』

 温かい声に、テマリをはっきりと息を呑んだ。
 その、自分よりも遥かに身長が高くなったテマリの姿を、瞼に焼き付けるようにして、火津は目を瞑る。
 今のテマリは火津の知らない時間を歩んできた人間だ。
 それを、寂しいと、悲しいと想う心も確かにあるけれど。

『テマリが幸せじゃないなら、俺は嫌だ。ナルトが幸せで、ヒナタが幸せで、テマリが幸せで、それで笑ってくれないと、俺が不幸になるじゃん』
「でも、」
『でもも何もないって。これが俺からの最後の約束。皆、守ってよ』

 そう、少年は笑って。
 本当に、思い残す事はないという風に笑ったから。

「火津!」
「火津っ!」
「まってっ」

 思わず手を伸ばして―――。










2008年10月4日