『さいかい』










 小さい火影と共に馴染みの甘味屋を覗くと、思ったとおりに店内の奥にキバとシノの姿が見えた。向こうもこちらに気づき、手を振ってくる。

「おーっすチョウジ! 久しぶりだな」
「………」
「うん。久しぶり。元気だった?」
「おーよ。元気元気。他の2人はどうしたよ。めずらしーじゃねーか。一緒じゃないなんてよ」
「うん。今日はちょっとね」

 そういって、チョウジがヒナタの身体を前に差し出す。チョウジの大きな身体にすっぽり隠れていた小さな少女の姿に、キバもシノもきょとんとして、顔を合わせる。
 ヒナタは何も言わず、ただ2人を見上げている。
 やがて、キバの顔色がさぁ―――、と変わった。シノもまた同様。色を失って幾度か口を開く。

「…おい、おいおいおいおいおい。な、何してるんだよそんな格好でっっ」
「………………どうしたのだ? 何かあったのか? 大変なことか?」

 里有数の上忍が揃って慌てふためき、まるで自分の子供が予想外の場所に出てきたような対応をしているので、チョウジは思わずふきだした。面白すぎる。

「ちょ、チョウジ、笑い事じゃないだろ?」
「…そうだ。何か有事でもあったのではないのか?」
「それは本人に聞いてよ」

 見ただけでちゃんとその正体を見抜くとは、さすが同じ班で任務を幾度もこなしてきただけある。そう思いつつも、2人の慌てぶりときたらいっそ滑稽である。

「ひ、ヒナタ。どうかしたのか? こんなところで」
「……何か嫌なことがあったのか? 相談ならのるぞ?」

 あまりの動揺ぶりにきょとんとしていたヒナタは、心底嬉しそうに微笑んだ。それは、里の頂点に立つ火影という存在にしては、ひどく幼くて、無邪気で、幸せそうな。

「久しぶりに、外に出てこれたから。2人と話がしたいの。……いい?」

 火影としてではなくて、ヒナタとして。
 3人で任務を果たしていたあの頃のように。休みの日に3人で遊びに行ったあの頃のように。3人で修行に明け暮れたあの頃のように。そのほとんど全てをヒナタは演技していたわけだけど、彼らを想う気持ちだけは真実だ。

 ひどく驚いた顔で2人は顔を見合わせて、ぎこちなく視線をヒナタに戻す。その顔はなんだかひどく輝いていて。
 音が鳴りそうな勢いで頭を縦に振って見せた。

「当ったり前!」
「勿論だ…何故なら、俺たちはヒナタの仲間だからな」

 キバとシノの台詞に、ヒナタもまた勢いよく頷いて、ほんの少し泣きそうな表情で、笑った。
 それを見届けて、頃合を計ってからチョウジは口を挟む。

「ゴメン。僕はちょっと、いの探してくるね」

 そうして3人を置いて甘味屋を出て、そのまま歩き出す。それは、決して人を探すといった曖昧な歩き方ではなかったが、そのことを指摘する人間がいるわけもなく。
 チョウジはその巨体に似合わぬ身軽さで人の波をすり抜けた。
 里の中心部…火影邸のある方へ向かって。






 たどり着いた場所に、火津は息を呑んだ。
 その反応にシカマルは彼がこの場所を知っていることを確信する。

「…何が、あった」
「……わかんねーけど、お前を呼んでんだよ。ずっと、お前をっ」
「お前は、どうしてここを…?」
「知るかよ! 任務中に見つけただけだっつーの! 何なんだよ! あいつも、お前も…っっ!! くそっ…早く、早く行ってやれよ…」

 火津に背を向けて、シカマルは逃げるように走り出した。…いや、実際逃げ出したのだ。
 テマリと、火津の関係を見るのが怖くて。
 2人がどれだけ近い存在なのか知りたくもなくて。
 2人が近くにいるのなんて見たくもなくて。

 がむしゃらに逃げ出して、遠く、遠く離れた場所で膝をつく。
 息が荒かった。
 膝が笑っていた。
 嫌になるほど苦しかった。
 胸元を押さえ、頭を地にこすり付ける。

「なん、なんだよ…。なんっで…なんで…くそっ」

 ぽたぽたと、幾つもの水滴が地に落ちて消えた。

 逃げ出したシカマルは知らない。
 テマリと相対した火津が、明るい、明るい金色の髪をしていたことを。空よりもなお、透き通った青い瞳をしていたことを。

 火津は呼吸を整え、テマリに視線を向けた。
 草原の真ん中で子供のように声を上げて泣くじゃくる人。
 胸の奥にずしりと鉛を詰め込まれたようだ。
 全身に刃を押し込まれたようだ。

 緩慢な動作で、火津はテマリの前に立つ。
 視線を合わせ、抱き寄せる。
 強く。優しく。

「…かな…で。…ねが…っっ…」
「………テマリ」

 ごめん。
 言葉に出来ず、何度も何度も頭の中で繰り返す。
 やがてテマリは泣きつかれて寝てしまい、その髪を撫ぜながら火津は泣いていた。
 なんのための涙か、何に対する涙か、誰に対する涙か。
 誰も、分からない。







「そういえば、シカマルは元気してるかなー」

 ふと、思い出していのは口にする。それはどちらかというと独り言に近かったが、相手はしっかりと聞き返してきた。
 木が揺れて、言葉を耳にする。

 ―――シカマル? どうして?

「んーーー。…どうにもあいつ、よーやく初恋みたいなのよねー。前途多難そうだけどー」

 ―――ふーん。そうなんだ。へぇ。誰?

 ひどく興味深々そうな口調にいのは笑った。それもそうかもしれない。いのはシカマルの笑い話を散々していたし、どんな人間かも詳しく説明している。彼からしてみれば、シカマルは相当変わった人間になっていることだろう。実際変わってはいるのだが。

「言ったことあったかなー。砂の、テマリさんー」

 ざわり、と木が揺れた。その揺れ方はいつもと同じ。けれど、いのは小さく息を呑んで木を見上げる。全身を貫かれたような気がした。

 ――ー…へぇ。

「…知ってる、の?」

 ―――んー? なんで? 知らないよ。俺の知ってることなんて、いのが教えてくれることくらいだもん。

 いのは、木を抱きかかえるようにして両腕を回す。

 ―――いの?

「…なんか。ごめんねー」

 ―――何が?

「分かんない…。でもなんか…なんか…ごめん」

 ついさっき、ざわりと、木が揺れた瞬間、何かがいのの身体を通り抜けた。いのの心に流れこんだ。唇をかみ締めて、瞳を閉じる。
 苦しい? 懐かしい? 辛い? 嬉しい?

 分からない。

 ―――いの、泣いてるの?

「うん。ごめん」

 ―――泣くなよ。チョウジが俺を殺しに来るって。

「ゆーれーの癖してそんな事言わないでよー?」

 ―――え、俺幽霊なの? …あーそうか。そんなもんなんだ。俺。

「精霊でもいいわよー別に」

 くすりと笑ったいのに、幽霊と自覚を持ったらしい彼はざわざわと木の葉を振り落として笑った。

 初めて、いのは思った。
 初めて、少しだけ考えた。



 "彼"が誰なのか、ということ。















2007年9月2日