炎弧

 小さな頃に出会った一人の少女は、自分にとってかけがえのないものになった。

 檻の中に閉じ込められていた自分。
 見つけてくれたのは鳥籠に囚われた君。

 ぼんやりとこちらを窺う瞳は何処までも透明で。
 乱雑に切られた髪は、それでも漆黒の輝きを放っていて。
 初めて見た筈の少女は、どこか懐かしくて、温かかった。

 愛して、愛されて。
 共に泣いて、共に笑って。
 共に生きた。

 共に足掻いた。


 君と共にここを抜け出すために。



 炎弧



 君と…共に―――…。


「炎弧」

 口元が震える。
 彼女に会えた喜びのためではない。
 あまりの、怒りの大きさに。

 ぎり、と唇を噛めば、すぐさま血が流れ、そして治る。
 どうして、どうしてこの能力を彼女に渡す事が出来ないのだろう?

「炎弧」

 全ての想いを込めて、彼女の名前を呼ぶ。
 自分がつけた、彼女の名前。

「炎弧」

 彼女の口が、"弧耀"と開く。
 声帯は潰されてしまったのだろうか?
 それとも喉に砂鉄を飲まされたのだろうか?

 もどかしそうに、それすらも精一杯に、けれども少女は口を開く。
 かさかさに乾いた小さな花びらはまるで血を塗りたくったかのように真っ赤。

「炎弧」

 じゃらり、と鎖が己の手に触れた。
 これを引きちぎるのは、容易い。
 けれど、少女の身体に食い込むそれらが、少女の肌にこれ以上傷つけないようにはどうすればよいだろうか?

 髪を巻き込んだ鎖を、彼女の髪を傷つけないように排除するにはどうすればいい?
 どくどくと心臓が脈打つ。

 どうすれば、いい?

 鎖に巻かれた少女は、痛々しいなんてものじゃなかった。
 弧耀の想像をも、軽々しく超える。


 ひどい、有様だった。


 愛しい少女の姿は、優しい顔の面影すら残さずに。
 始め手足につけられた枷であった鎖は、今は少女の首筋、背、腰、足をまるで蛇のように、ぐるぐると回っている。
 素肌に直接巻かれた錆付いた鎖は、体中を擦り、髪の毛を巻き込み、体に後を残す。

 何を使ったのか、なんて知らない。
 けれど、彼女の身体には傷のないところの方が少ないくらい。

 擦り傷、切り傷、火傷、痣。
 赤く、青く、紫に。
 蹂躙された白い花は、見るも無残。

 少女は唇を歪めた。
 少年が、堪え切れなかったかのように、少女の身体を抱きこむ。
 必死にチャクラを流し込んで、彼女の奪われたチャクラを補充し、傷を少しでも治す。

 けれども、あまりに彼女を覆う傷は深く、多く。
 回復など全く追いつかない。

「炎弧」

 ―――大丈夫よ

 唇の動きがそう言った。
 それだけで彼女は限界だった。
 ナルトの顔を間近で見て、安心したかのように、糸の切れた人形のように脱力した。
 幾束もむしられ、右顔を覆い隠していた漆黒の髪が、はらはらと落ちる。

 その下の白き瞳は






 ―――もう






               ない。







 真っ黒に落ち窪んだ深い闇。木の葉の秘宝とまで謳われたその白き眼球。
 たった2つしかない、ヒナタの大事な大事な瞳。

 それが。
 そのうちの1つが…。

 ………自分のために…自分のためだけに


       奪 わ れ た。


 もう―――ないのだ。

 眼球がちぎられ、ただそこにあったのだと空洞だけが知らせる。

 炎弧。

 自分の腕の中で小さく息を零す少女は、安堵したかのように静かな表情をしている。
 かつて、共に歩き、すべてにおいて守ると誓った少女、なのに……

 ごめん。


 ごめんなさい。


 守れなかった。

 守ると決めていたのに。


「―――ふ…ぁっ!」


 ただ


 ただ



 悲しい。




 先ほどまで抱いていた、全てを焼き尽くすような怒りはすでに消えてしまった。
 まるで幽鬼のように、ふらりと立ち上がる。
 少女の体をやさしく抱いて、うっすらと笑みを浮かべ、涙を流した。

 ごめん。
 ごめん。




 身体はゆっくりと動き出す。

 ほとんど無意識に。
 かろうじて残っている理性がそうさせるのか
 ゆっくりと、ゆっくりと、動いた。





 全 て を 終 わ ら せ る 為 に―――。
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