かつて火の国には一つの伝承があった。

 それ すなわち 人 を守る存在。

 人 でない存在でありながら 人 を守り続ける存在。

 それ と 人 の繋がりはとても強く。

 人 は それ を崇めつづけ それ は 人 を守り続けた。


 それ と 人 を繋ぐ巫女。

 巫女 すなわち 白き瞳 をもつ乙女。

 太陽の名を持つ一族。

 人 でありて 人 でない一族。

 その一族古きより火の国にて在り続け 人 と それ を繋ぐ。






 森が、ざわざわと泣いた。
 と、同時に一つの獣の姿が跳躍する。
 獣は、何かを探すように、必死に走り続ける。
 何かを求めて、森の中を駆ける。

 獣の、視界の隅を、何かが横切った―――。







「うわっっ!!!!」

 思わず声を上げて、シカマルは周囲を見渡した。
 木漏れ日の下で頭に本を乗せて昼寝をしていたのだが、その上を何者かに通過されたのだ。
 思いっきり本を蹴飛ばして。

「……あ?」

 寝起きで全く働かない頭でシカマルは周囲を見渡す。
 謎の襲撃者の姿を求める。
 このとき、気付くべきだったのだろう。
 下忍とはいえ忍であるシカマルが、この存在を知覚できなかったことに。
 だが、例え彼の頭が他よりもひどく優れてはいても、所詮は経験不足の子供だった。

「狐?」

 小さく呟いて、どっと息をつく。

「ったく。なんなんだよめんどくせー」

 シカマルの目の前でちょこんと鎮座する小さな狐。
 そのつぶらな瞳が、シカマルを注意深く見つめている。
 不意に、狐がきびすを返した。
 少しだけ、走って、何かを催促するように首を振って唸る。

「…?」

 それをもう一度繰り返した。
 その動作はまるで―――。

「着いてこい…ってか?」

 その言葉に、狐は嬉しそうに尻尾を振った。
 シカマルはようやくはっきりとしてきた頭をかきながら、その後を歩き出す。
 めんどくせーと呟きながら。
 その先にどれだけめんどくさい出来事が待っているかも知らずに。




(誰だ―――?)

 人が近づく気配。

 それは一般人にしては静かで、忍にしてはうるさい。
 ぼんやりとしか見えない目を、うっすらと開いて、腕の中の存在を強く抱きしめる。
 自分の腕の中に眠る少女は、未だ目を覚まさない。
 だが、呼吸は目に見えて落ち着いている。
 しばらくすれば目を覚ますだろう。
 自分の身体も睡眠を求めている。

 だが、今は駄目だ―――。
 まだ、眠るわけにはいかない。
 かろうじて動く右腕を、のろのろと動かして、クナイを取り出す。
 他からは見えぬように、自分の腕で、不自然でないように隠す。

(騒ぐようなら、殺す。騒がなくても、殺す)

 ぼんやりと待つ。

「―――っっ!!!!!」

 気配の主が、自分達を認める。
 早く、来い。
 苦しまずに殺してやろう。

「―――おまっっ!!!な…ナルトか!?」 

 自分という存在を知っている。という事実に、ナルトは少しばかり驚きながらも、相手を認識するまでは至らない。
 今はもう開ききった両目も、焦点をはっきりと結ぶことが出来ない。

(やばいな)

 これでは、はっきりと相手の急所を狙うことが出来ない。
 下手をすれば急所を外し、もっとも惨い殺し方になるだろう。
 もし、気配の主が、1人でここに来ていなかった場合、非常に厄介だ。
 悲鳴でその他がここまで来てしまう可能性が高い。
 ゆっくりと、腕の中の少女を血に降ろした。
 相手を、静かに殺してしまうために。

「っっ!ナルト!お前…なんて格好してんだ…!しかもそれ血じゃねぇかっっ!怪我してんのか!?」

 勿論気配の主は、そんなナルトの思惑には気付かない。
 近づく気配をナルトは感じてはいても、相手の声は途切れ途切れにしか聞こえはしなかった。

「って、そっちはヒナタか…!?」

 ヒナタ、その名前に、ナルトの鈍い思考が、相手は下忍の誰かだろうか?と判断する。
 けれどそれだけ。
 ぼんやりと見えるその姿に向かって、ナルトは、隠し持っていたクナイを突き出した。



「―――え?」



 ぐらりと、身体が傾いだのは同時。
 ナルトの服の裾が軽く引かれ、傷ついた身体はあっさりと地に崩れる。
 そして、目の前の存在もまた、何者かによりバランスを崩していた。

「炎弧…目が覚めたのか…?」

 ナルトが聞くと、地に伏したまま、ナルトの服を掴んだ少女が何とか身体を起こした。

「うん…。何とか…。それより、駄目…だよ。弧耀…」
「駄目?」
「シ、カ…マル君は…きっと…大丈夫…だから」
「シカマル?」

 ああ。シカマルだったのかと、そう呟くナルトに、ヒナタが心配そうに首を傾げる。

「目、見えない…の…?」
「あんまり」
「だい、じょうぶ…?」
「全然余裕。すぐ治るよ」

 けれどもヒナタの顔から不安は消えない。よろよろとナルトに手を伸ばす。
 その、手が、ほんのりと光って、ナルトを少しだけ楽にする。
 ヒナタのチャクラが、ナルトに吸い込まれていく。
 他のチャクラを己が物に吸収することが出来る九尾には、何よりもチャクラが薬だ。
 けれど、ナルトに流れ込んだのはチャクラだけではなくて。

「炎弧…まって…」
「またないよ…。そんなに…怪我をしているのだもの。…弧耀は休まなきゃ」
「だ…め…だって…」

 必死に、抵抗するナルトだが、柔らかな光に包まれて、深い眠りに身を落とす。
 その、ナルトの髪を、ヒナタが優しくすいた。
 金の髪に付着した、どす黒い血を取り除く。

「お休みなさい。弧耀」



 その光景を、ぽかんと見守っていたシカマルは、ついさっきまで己の上にいた狐が消えていることに気付く。
 ナルトがクナイを突き出したとき、シカマルはそのことにすら気付かなかった。
 そのシカマルを突き飛ばしたのは、ここまで道案内をしてきた小さな狐。

(ここに、連れてきたかったのか…)

 はたと、そう思った。

「シカマル君」
「お、おうっっ!!!!」

 急に、澄んだ高い声に呼ばれて、必要以上に驚いてしまった。
 だが、ヒナタは一向に気にする様子がない。
 物怖じしない、真っ直ぐな瞳でシカマルを見つめている。
 その瞳は、ひどく強くひどく悲しい。
 いつもとは違う少女の瞳に、シカマルは気おされる。

「弧耀…ナルト君の手当て、手伝ってくれる?」

 そう言って、少女は笑う。
 強く悲しく…儚く。
 普段とは全く違う空気を纏った少女の笑みは、今にも壊れてしまいそうで、けれどもそれが余計に美しかった。






「ねぇ…聞いた?」
「聞いた聞いた。あの子供、死んだんですって?」
「いい気味よね。今まであんな化け狐が、私たちの子と同じ空間にいたなんて気味悪いわ」

 その、言葉の波を、シカマルは泳ぐ。
 不機嫌そうに眉を潜めて、早足で、出来る限り聞かないようにして歩く。

「日向ヒナタ、死んだんですって?」

 足が、一瞬止まった。

「違うわよ。病気でしょう?」
「私は行方不明って聞いたわよ?」
 
 耳を澄ませて、速度を落として歩く。

「なんにしろ、日向はいい厄介払いになったんじゃない?」

 速度を速めた。
 それに続く笑い声は、聞きたくなかった。






「シカマル、遅いぞ」
「…おう」

 ぐったりと、憔悴した様子の仲間の下にたどり着いた。
 上忍が3人、下忍が、自分を含めて7人。
 9人から、7人になって、初めての下忍任務。
 いつもと違って、誰一人喋ろうとしない。
 ただ、沈鬱な様子で俯くだけ。
 いのとサクラに至っては、真っ赤に目を腫らして、その顔は今にも泣き出しそうに歪んでいる。

 少しだけほっとした。
 本気で、彼らを想ってくれる人間がいることに。

「今日の任務は、草刈り」

 そう言うアスマの声も、力がない。
 誰もが疲れている。
 誰もが気にしている。

 心無い噂。
 姿のない2人の下忍の姿。
 認めたく、ない、その噂。
 彼らの前で、口にするのは気が引けるけど。
 きっと、彼らも気になっているはずだ。

「…アスマ」
「…なんだ、シカマル」

 その重い声は、誰かにそれを聞かれるのを恐れて、それでも予想はしていたからだろう。

「…ナルトと…ヒナタは…どうしたんですか…」

 シカマルの口にした名前に、誰もが震えた。
 誰もが聞きたくて、真実が知りたくて、けれども怖くて聞くことが出来なかった。
 噂は、無節操に彼らを攻め立てる。
 彼らの姿がないのは事実で、それは、まるで噂こそが真実なのだと、思わざるを得なくなる。
 全員の注目を受けて、アスマは一つ息をついて重々しく口を開いた。
 彼らだって、全てを知るわけではない。
 むしろ知らないことばかりなのだから。

「…2人は…行方不明だ」
「ゆくえ…ふめい…?」
「どういう…」
「私たちにも、正確なことは知らされていないの…。ただ、彼らがいなくなったことしか、知らない」

 紅の声に、少しだけ、下忍の顔に生気が戻る。
 行方不明、ということは、死んだこととは違う。
 もしかしたら、生きているのかもしれない。
 ほんの少しだけ見えた希望に、下忍の誰もが顔を上げる。
 本当に、ほんの少しだけの希望。

 反対に、シカマルは俯いた。
 思い出すのは、ヒナタの顔。

『私たちは誰も信用なんてしていない。仲間、なんて思わない。人は、人だから。』
『俺は、いいのか…?』
『信用とは違う。シカマル君は私たちを害さない。それを私は知っている』
『何でそう言いきれる?』
『私も弧耀も人、ではないから。』

 人 は、彼らを害すもの。
 人 は、彼らを傷つけるもの。
 人 は、彼らを縛るもの。

 けれども、これだけ想っている 人 がいる。
 少なくとも、ここにいるメンバーは、ナルトもヒナタも仲間と信じている。 
 それでも、彼らは抜け出すことが出来ないのだろうか?

 人 という枠と
 人 でないという枠と

 囲ったのは誰?

 彼らを籠の中に閉じ込めてしまったのは誰?
 彼らを檻の中に縛ってしまったのは誰?


 ヒナタは、人 ではないのだと言う。
 ナルトは、人 ではないのだと言う。


 では、何か?


 それは知らない。
 知ろうとも思わない。
 きっと、それがシカマルという人間と他の人間の違い。
 それをヒナタは知っている。






 ヒナタを籠の鳥にしたのは 人
 ナルトを檻の獣にしたのは 人






 彼らを解き放つことは…出来ないのだろうか―――?
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