「九尾の身体を何処にやった」


―――弧耀はここに居る。いつだって。


「目的は、何だ」


―――弧耀。ごめんね。私の所為でこんな事になって。


「うずまきナルトは何処に居る!」


―――ああ。もう目が覚めたかな?怒るよね。きっと。


「日向ヒナタ!」


―――でも弧耀。大丈夫。私はちゃんと貴方と居るよ。







「気でも狂ったんじゃねーのこのガキ?」

 くすり、と笑ったヒナタの口元を見咎めた男の1人が、足を振り上げながら言う。
 ガッ―――と、足のつま先が腹部を蹴り上げて、少女の唇から幾度も零した胃液と唾液がだくだくと零れ落ちる。
 一向に口を割る気配のない少女に飽きてきたのか、もはや問答は無く、ただ弄ぶ。

 それがこの部隊の真実。
 生かしたまま、人を苦しめる事に関してだけは超一流だ。

 少女の悲鳴は、もう上がらない。
 悲鳴を上げる力も、もう、ない。

 いつの間にか露わになった透明な瞳はうつろに、ただ目の前を映す。
 つまらなそうに、その白い瞳を男が舐めて、ただの反射で瞼が閉じた。
 けれども、その瞳が隠れるのは嫌なのか、無理やりに眼球をさらけ出す。
 瞳孔のないその瞳。

「つまんねぇな」

 ぽつり、と呟いた男。
 それはこの場の面々が思っていること。

 鳴かない鳥などつまらない。
 その涼やかな声をもって、喉が張り裂けない程度には鳴いてもらわなければ、こちらの欲求が満たされないと言うものだ。
 瞳から頬、耳を舌でなぞって、自分の唾を擦り付けてから、男はヒナタから離れた。

「今日は終わるか」
「だな」
「隊長へは?」
「俺が伝えとく、また、鳴けるようになったら遊ぼうぜ」
「おう」

 少女から一様に離れながら男達はげらげらと笑う。
 それでも1人は少女の見張り、そして時に遊ぶために残っているのだ。

「おーお。日向の姫もこれじゃあ台無しだな」

 くくっ。と笑った声に、少女の瞳は、もはやなんの反応も返さなかった。






「おい」
「なんすかー隊長」
「変わる。お前は先に終われ」
「うーっす」

 そんなやり取りがあって、男は結界を抜けて外へ出た。
 残されたイビキは、少女を見る。
 少女は、うつろな瞳で、けれどもイビキを見た。
 先程までとは違う。
 空虚な瞳ではあるが、そこには確かに彼女の意思が宿っている。

「言う気は?」
「…な…い……よ」

 声の出しすぎて痛めたのか、しゃがれた声しかヒナタからは出なかった。
 イビキはわずかに顔をしかめ、ただ印を組む。
 それと、同時に、くしゃりと空間が歪んで、1人の男が現れた。

 ヒナタと同じ白眼をもち、同じ血を抱く己の父―――。
 目を―――見開いた…。

 日向ヒアシは、ヒナタを見る。
 ヒナタもヒアシを見た。

 闇の中の親子の邂逅。
 それはどんな思いをもたらすのか…。
 ヒナタは、ヒアシに父親らしい事をしてもらった事は一度もない。
 それどころか、彼に名で呼ばれたことすらないのだ。

「ヒナ…タ―――」

 けれど、初めて…こんな闇の中で、初めて彼はその名を呟いた―――。


 瞠目した。


 ヒナタが、父に名前を呼ばれたことはない。
 「あれ」とか「あの子供」として呼ばれる。
 "ヒナタ"と言う名は、父がつけたにも関わらず、彼は自分をそう呼ぶことはなかった。

 一度は呼んだ事があるのかもしれない。
 けれど、だ。
 自分が物心ついたときには、彼にそう呼ばれることなどなかった。
 だから、心底驚いた。
 彼が呼ぶのは私の名前。

 弧耀の付けてくれた大事な大事な名前ではなく。
 日向に縛られた自分を示す、父のつけた…名前。

 一度、顔を歪めてヒナタを見つめたヒアシは、次の瞬間には元の普段通りの鉄壁の無表情を持って感情を閉じ込めた。

「随分と、愚かな真似をしたものだな」

 その声にどれだけの揺らぎもなく。
 それに、むしろ安堵した。
 彼を憎悪していた裏で、自分が実は彼に認められたかったのを知っている。
 今、彼に優しい言葉を掛けられれば、自分が揺らいでしまうかもしれないから。

 無表情に無表情をもって答える。
 日向ヒナタではない、炎弧としての顔で。

「そ…う、でも…ありません…よ」

 未だ声帯は回復しない。
 ヒナタはそれでも弱みを見せないように、真っ直ぐにヒアシを睨みつける。
 ヒアシはその視線を遮るように瞼を下ろし、浪々と言葉を紡いだ。

「日向の血は特殊。日向は所詮木の葉の飼い犬。木の葉から離れれば所詮息絶える運命」

 突然の言葉に、不審そうにヒナタはヒアシを見、次第にその顔は強張る。

「…ま…さか」
「日向は生まれた時より血に毒をもつ。宗家も分家も隔たりなく。木の葉の許可なく日向が外に出れば…毒は身体に廻り、息、絶える」
「………」
「知らなかっただろう。火影すら、知らぬ。日向家当主のみが知る事実。日向は所詮木の葉のもの。木の葉に誓った日向の祖先が与えた血の戒め」

 どくっっ、と心臓が音をたてる。
 血が身体を脈々と流れる。
 それ自体が、ヒナタを縛る日向の鎖。
 イビキも知らなかったのか、表情が強張っている。

 だから所詮日向は木の葉の外では生きる事など出来ぬのだ。

「諦めろ」

 ただ、一言。
 けれどそれは決定的な言葉だった。
 日向の者にとって、木の葉の外は憧れであり、毒なのだ。

 けれど。
 それでも。
 人は空に憧れ、空に向かって手を伸ばす。

「私は足掻く」

 一息で言って、わずかに乱れた呼吸を整えつつヒナタは強くヒアシを睨みつける。
 ヒアシは、ただ頷いた。
 そして。

「ヒナタ」

 力強い、父によって呼ばれるその名前。
 己の名前は炎弧であるとし、当の昔に捨てた筈のその名前。

 どうしてこんなにも嬉しく感じてしまうのだろう―――。
 胸が熱くなる感触は、まるで弧耀を裏切っているかのように感じてしまう。
 折角、名前が嫌いだと言う自分の為に、弧耀が名前を付けてくれたのに。
 それなのに。

 "ヒナタ"と、呼ばれることに喜びを見出してしまうなんて―――。

 揺らぎそうになる表情を、ぎり、と歯と歯を強くかみ締めて堪える。

 私は"炎弧"
 "日向ヒナタ"ではないのだから。

「これは、お前と交わす最後の言葉だ。日向ヒナタ。我が娘よ。足掻け。足掻いて、足掻いて、足掻き続けろ。自由を求めるお前を…私は羨ましく…誇りに、思う」

 ―――自分には、出来なかったから。




 なんて自分勝手で、傲慢で、ずるい、言葉、なのだろう。




 認めてくれていた。
 認めてくれた。 

 最後に、本当に最後に、少しの優しさを彼は垣間見せて、去っていく。
 そんな言葉を残されて、自分はどうすればいいのだ。
 この、背中にすがりつきたくなるような気持ちをどうすればいいのだ。





 ふ、と、イビキが視線を上げる。

(来たか―――)

 思って、背に注意を向ければ、1人の男がただ佇む。
 彼もまた、不器用な男。
 さぁ、どうなることか―――。
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